「地獄寺」―あの世とこの世の境界にある、人間の本音が隠れている場所―
◆地獄めぐり day 13
前日、興奮の新地獄を発見したランパーン県からチェンマイへ移動した。ご存知の通り、チェンマイはタイきっての観光都市であり、世界中から多くの人が集まっている。これまで自分以外にひとりも外国人を見かけないような生活が続いていたため、チェンマイに着くとどこかホッとした。
そしてこの日は、チェンマイの隣県、ランプーン県へ向かう。ロットゥーに乗り約1時間でランプーン県に到着した。が、到着した場所がバスターミナルなどではなかったので、次なる交通手段を探さねばならなかった。幸い、近くにバイクタクシー乗り場があったので近づいた。不愛想なおじさんに声をかける。「ワット・プラジャオトンルアンへ行きたいのですが…」目的地のワット・プラジャオトンルアンまではかなりの距離がある。正直、バイクタクシーは長距離移動には向いていない。おじさんは苦い顔をしたが引き受けてくれた。タイではノーヘルがまかり通っているが、このおじさんは私にヘルメットを渡してくれた。それだけ長い道のりであることを覚悟した。
おじさんのバイクにまたがること1時間、コンクリートで舗装された道をものすごいスピードを出して走ったので、振り落とされるのではないかと思った。運転している方はまだしも、後ろに乗っている身としては座席の後ろのわずかな持ち手しか命綱がないので、かなりヒヤヒヤするのである。そうこうして、目的地のワット・プラジャオトンルアンに到着した。ここには地獄絵があるという。
本堂らしき場所に入ると、十数人のおばさんが何かを作っていた。どうやら祭事で使うもののようである。
おばさんたちに「こんにちは~」と声をかけ、地獄絵の所在を聞く。どうやら本尊脇の壁面にあるらしい。行ってみると、何やら足場が組まれている。その奥に地獄絵が見えた。
うれしさとともに、なぜちょうど地獄絵の前にだけ足場が…という悔しさもこみあげてきた。しかも真っ暗でよく見えない。仕方がないのでとりあえず写真を撮っていると、近くにいたおばさんが寺院の扉を開けてくれた。これで光が入りちゃんとした写真が撮れる。ありがとうおばさん。
ワット・プラジャオトンルアンでアンケート調査をすると、前回同様「新地獄」の名前を知ることができた。その名は「ワット・ラーイゲーオ」といい、この寺院の近くにあるとのこと。早速行ってみることにした。
バイクタクシーに乗り、ワット・ラーイゲーオに到着。先のワット・プラジャオトンルアンと同様、こちらの寺院も工事中であった。本堂へ入ってみると、ペンキで塗装をしている真っ最中であった。
壁画はほぼ完成していて、その中に1枚だけ地獄絵があった。
向かって左側に描かれた亡者たちは、人間であったとは思えない身体の色をしていた。まるでエイリアンのようである。
この寺院でもアンケート調査で「新地獄」情報を手に入れた。昨日今日と地獄の大収穫祭である。情報を得た寺院の名は「ワット・パトゥムサーラーラーム」という。このあたりの寺院は地元に密着した小規模なもので、観光地などではまったくない。このような寺院に地獄があるという情報はなかなか手にしにくいので、地道に聞きまわった甲斐があるというものだ。
ワット・パトゥムサーラーラームに到着。しかし本堂に地獄絵は見当たらない。別堂に入ってみるも見当たらない。そううまくはいかないよなぁ…と落胆していると、これまた別堂の端に何かが見えた。すっかり敏感になった地獄センサーが反応したのである。そこは物置のようになっていて、中に入ることはできなさそうであった。しかし地獄の片鱗を見つけてしまった以上、全貌を見ないと気が済まない。絶対に引き下がれない。近くにいたおばさんに「開けてください!!!!」と頼み込んだ。結果、なんと特別に開けてもらうことができた。時には図々しさも必要である。
物置らしき部屋の中は本当に物置であった。カビ臭さとほこりが漂い、使わなくなった仏具や粉々になったシャンデリアがあった。危うく踏みそうになってしまった。
途中、先のおばさんに「市場に行かなきゃならん!もう閉めるよ!」と急かされ、「あと1枚!あと1枚!」と粘りながら、地獄絵を写真におさめていった。我ながら本当に図々しい。
その後調査を終え帰路についたが、バイクにまたがっていると横殴りの雨が襲ってきた。先のおじさんは一旦停車し、全身がすっぽり覆われるほど大きなレインコートを貸してくれた。大粒の雨に打たれながらバイクで走ること1時間、バイクタクシー乗り場へ戻ってきた。突然の雨さえも、地獄めぐりにおいては楽しいハプニングのひとつである。
最初は不愛想だったおじさんも、こうも訳の分からない地獄めぐりに付き合わされるとしまいには笑顔になっていた。私も満面の笑みで「ありがとうございました!」と告げ、騒々しいチェンマイの都へと帰った。
◆地獄めぐり day 14
この日はチェンマイ市街地から少し外れた2か所を訪問。まずはワット・パージャルーンタムという寺院へ。ここには「棘の木」像があるという。チェンマイ市街地からトゥクトゥクで1時間、ワット・パージャルーンタムへ到着した。境内にはあらゆるコンクリート像が並んでいた。中には恐竜の像もある。まさに私の好きな「ジャングル系地獄」であった。
ジメジメした境内の中を探していると棘の木像を見つけた。いい感じの色褪せ具合である。亡者の身体には、棘の木に傷つけられた跡が生々しく表現されていた。
一通り写真を撮り終え、住職にアンケートをお願いしに行った。昼寝をしていた住職が出てきたが、どうやら耳が遠いらしく話が全然伝わらない。さらに「棘の木像はいつつくられたのですか?(大声)」と尋ねると、「つくったんじゃない、生えてきたんだよ!」の一点張り。篤い信仰がゆえの回答であるが、それでは答えにはならないのだ。筆談を交えながら、しつこく何度も尋ね、最低限の回答を得てその場を後にした。こちらは話を聞かせてもらっている立場であるし、何より相手は住職という神聖な立場の方である。なかなか進まない調査に苛立ちも覚えたが、どこまでも丁寧に、しかし絶対に引き下がらない姿勢を保つのはかなりの精神力を要した。
先の調査でかなり疲れたが、この日はもう一寺院調査しなければならない。ワット・ドーイグーカムという寺院で、ワット・パージャルーンタムからそう遠くない。トゥクトゥクの運転手に行先を告げ、しばらくトゥクトゥクに揺られた。しかし思ったより時間がかかる。不安に思い地図を確認すると、なんと近くに同じような名前の有名寺院があり、どうやらそちらへ向かっているようである。慌てて「その寺院じゃないです!ワット・ドーイグーカムです!」と運転手に言い、道を引き返してもらった。
ワット・ドーイグーカムに着くと、さっそく数匹の大型犬が吠えながら駆け寄ってきた。私は犬が苦手である。昨年の調査時、ひとりで歩いているときに何匹もの大型犬に吠えたてられ、後ろをついてこられ、すっかり怖くなってしまったのである。彼らは自分たちのテリトリーによそ者が入ってくると、今にも襲い掛かってきそうな恐ろしい声を発しながら近づいてくるのだ。犬に噛まれたらただじゃすまないし、最悪狂犬病の恐れもある。冗談抜きに死ぬかもしれないのだ。まして自分ひとりでは助けを呼ぶこともできない。そう思うと怖くてたまらないのである。犬に遭遇したときはいつも、人間は野生動物の前では本当に無力であると感じる。鋭い牙もなければ爪もない。文明に守られた、ひ弱な生き物である。
幸い、同行した運転手が犬を追い払ってくれ、目的の亡者像へと辿り着けた。ワット・ドーイグーカムには、大きな亡者像2体と棘の木像がある。
棘の木像は先ほどと打って変わり色鮮やかであった。そしてこの寺院の棘の木像の大きな特徴は、木のもとで亡者を追い立てている獄卒に女性がいることである。
獄卒は基本的に男性であり、このように女性が獄卒を担っているパターンは初めて見た。タイの地獄は男女平等のようである。
この寺院でも例にもれずアンケート調査を行なったが、なんとまた耳の遠い住職であった。先のように声を張り上げてひとつひとつゆっくりと質問をする。そのうち理解が限界に達したのか、住職は近くに待機していたトゥクトゥクの運転手を呼んだ。しかし、彼もまた耳がほとんど聞こえなかったのである。これまでの会話でうすうすとは感じてはいたのだが、彼は補聴器のようなものを取り出し自分は耳が遠いということを示した。こうして耳の遠い二人と、タイ語の拙い私の三人で会話が始まる。タイ語をゆっくり話すと、それだけ発音も正確にしなければならず、とても苦労した。先のように筆談を交えながらも何とか調査を終え、宿へと戻った。本当に疲れた一日であった。
◆地獄めぐり day 15
この日はまたもチェンマイ市街地から少し外れたメーオーン郡へ向かう。ここには去年、ワット・メータクライという地獄寺へ来た時に近くまで来ていた。ワット・メータクライへ行くにはくねくねとした峠道を進んだ記憶があったので、今回もそれを覚悟したが、思いのほか順調に到着した。目的の場所は、ワット・タムムアンオーンという寺院である。
ここには前日同様、棘の木像があるということで境内を探し回る。が、一向に見つからない。またも犬に吠えられ少々ひるんでしまったが、何とか僧侶に話をつけた。僧侶は「とりあえずこれ見ていきなよ!」と、お堂の中に案内してくれた。中には電飾されたナーク像があった。ナークとは蛇神のことで、水を司る神様である。
ナーク像を拝した後、僧侶は件の棘の木像へと案内してくれた。棘の木像は木とは思えないほど異様な色をしていた。
木の上にはまるで洗濯物のように干された亡者がいた。
木のもとにはなぜか長髪の犬がいた。いかつい。
この棘の木像の近くには、像と同じように赤い植物が生えていた。サンゴアブラキリという花らしい。その名の通り、本当にサンゴのようである。
この寺院の名前にもある「タム」は洞窟の意である。この寺院の近くには有名な洞窟があるのだ。この日は早めに調査が終わったので、観光がてら行ってみることにした。
洞窟では遠足で訪れていた小学生の集団と出会った。皆、すれ違いざまに「こんにちは!」と元気よく挨拶してくれ、とても癒された。
洞窟の入り口は狭くなっていて、人一人がやっと通れるほどの穴が開いている。
入り口を通過し慎重に進むと、広い空間が現れた。ところどころに仏像や人形が供えられ、怪しげなライトアップもなされていた。なんだか怖い。
極めつけは、この不穏すぎる壁面である。ジーザス。
ひとりでは絶対に訪れたくないと思った(ひとりで訪れている)。
洞窟見学を終え、チェンマイの北方チェンダーオ郡へ向かった。この日はチェンマイ市街地から北上し、チェンダーオ郡へと宿泊する予定であったのだ。チェンダーオは山に囲まれた避暑地である。バスに揺られること2時間弱、チェンダーオのバスターミナルへと到着した。しかしそこから宿まではかなり遠く、バスターミナルにはバイクタクシーもトゥクトゥクも見当たらない。近くで饅頭を売っていたおじさんに頼み、バイクタクシーを呼んでもらった。悪いので饅頭を1つ買った。
呼んでもらったバイクタクシーに乗り、山道を進んだ。完全に寒い。南国タイとはいえ、北部はやはり寒いのである。
しばらくして宿に到着した。一人用ログハウスのような部屋に案内される。もちろん室内には電化製品はおろかシャワーやトイレもない。水場は少し離れた屋外の共同スペースを使用するとのこと。完全にキャンプである。
近くに店はないし、他に泊っている人もほとんどいない。土砂降りの中、シャワーを浴びるために水場まで全裸でダッシュしたり、停電して純度100%の闇に包まれたり、凄まじいカエルの合唱で眠れなかったり、自然の驚異を肌で感じながら過ごすこととなった。こんなにも朝の光が待ち遠しいと思ったのは初めてである。
今回紹介した地獄寺はどれも地獄絵が1枚だとか、立体像が1つという小規模なものであった。このように群像で地獄をあらわさない場合、何をもって地獄とするかはなかなかおもしろい観点である。特に、ワット・パージャルーンタムやワット・タムムアンオーンでのように、「棘の木」のみをつくっている寺院は多い。「地獄=棘の木」というイメージは少なからずあるようである。
タイでは、棘の木は「トンニウ」と呼ばれる。棘の木に登らされるのは五戒の内「邪淫」の罪を犯したものであり、平たく言えば「浮気」の罪を犯した者である。棘の木の表現には色や形など様々なものがあるが、基本的には棘の木に男女が登り、下方では犬や獄卒が、上方では鳥が彼らを追い立てている。
この棘の木は、日本では「刀葉林」として広く知られている。地獄絵には欠かせないモチーフであり、地獄と言えば棘の木を想起する人も多いだろう。日本の刀葉林もタイと同じように邪淫の罪を犯した者がこの木に登らされるが、日本とタイとでは大きく異なる点がある。それは、タイでは男女が平等に登らされるのに対し、日本では女は男を誘うだけの存在で、罰を受けるのは男のみであるという点だ。
とにもかくにも、「地獄=棘の木」という認識はどこの国でも大方同じようである。タイ人の男は浮気性とよく言われるが、そんなタイでは棘の木の需要が日本より多いのかもしれない。たとえ一本の棘の木であっても、地獄にひと花添えていることは間違いないようだ。
タイの地獄めぐり⑥ ―大粒の雨、粒ぞろいの地獄― へ続く。