家人がタートルネックのセーターを買ってきた。
タートルネック…日本語だと「とっくりのセーター」となる。
…とここまで書いて、疑問が湧いた。
昭和56年生まれの私でも「とっくりのセーター」と言うとき、少し気恥ずかしく、若干の躊躇いを伴う。
疑問とは、英語圏において、タートルネックはその気恥ずかしさを伴わないのか?つまり、タートルネックと言う呼び方は古びてないのか?その場合の「とっくりのセーター」に対応する呼び名はないのか?という疑問だ。
大体、原語のタートルネックの時点で、直訳すると「亀首/カメクビ」となる。「カメクビ」とは気恥ずかしいどころか、もはや凄まじさを帯びているではないか。そう、なんかスッポンが鍋になる前に首をスポーンとはねられる、そんな場面が脳裏によぎるのた。
凄まじい、タートルネックは凄まじい。
タートルネックには、私が抱くカメクビ的、スッポン的ニュアンスは含まれないのか。
英語圏の人々よ、どうなのだ。すごく聞きたい。
そして、とっくり的な呼び名はあるのか。
タートルネックが既に本場では「とっくりのセーター」的なポジションかもしれなく、アップデートされた呼び名があるのかもしれない。
英語圏の人々よ、どうなのだ。ああ、気になる、ああ、知りたい。
ああ、また余談が過ぎてしまった。
家人がタートルネックのセーターを買ってきて、
で、どうなのだ?その話であった。
タートルネックと私の間には浅からぬ因縁があるのだ。家人のタートルネックがトリガーとなり、その因縁を思い出したのだった、その話を書こうと思う。
こう見えて(どうも見えてないかもしれぬが)、私はアパレル業界にいた過去がある。
生産管理と言う仕事をしていた。
生産管理とは、デザイナー、パタンナーから仕様書やらパターン(型紙)などを渡され、生地やらボタンやらを手配し、縫製工場と交渉し、品質、コスト、納期を管理する仕事である。つまり、洋服を量産するために社内外にわたって交渉するのが仕事。
そして、仕様が間違っていたり、納期が遅れたり、コストが高過ぎたりすると怒られるのである。
言い換えるならば、皆の下僕。
下手に出ないと社内外の皆さんは動いてくれないし、それに私は一番年少だった。
下僕、それが私のポジションだった。
ある冬の日、当時も今もオードリー・ヘプバーンに憧れている私は、黒のタートルネックのセーターを着て出社していた。
下僕と言えど、
「心は錦、常にオードリーたれ」の心意気である。
そんな健気な下僕の僕をつかまえて、デザイナーが言った。
「黒のタートル着てると、細井君はいつもよりゲイっぽいね」と。
フロアの全員が一拍置いた後、
さもありなんと言う顔しだして、
「そうだと思ってた~」
と全員がすごくすっきりしたと言う感じで、
そのデザイナーの一言に賛意を表明したのだった。LGBT差別ではなしに、ゲイではないのでそう見られた事に私はかなりの衝撃を受けた。
ただでさえ、女性にモテないのにそんな見られ方をされていたのでは可能性が皆無ではないか。
下僕たる僕は
「え~、そんな事ないですよぉ、えへへ~」
とその場をいつもの下僕的笑顔で取り繕った。
オードリーつもりが、実体はゲイだったのだ。重ねて言うが、LGBTの方を否定している訳ではない。世間が抱く私へのイメージと私のセルフイメージのただならぬ差、埋められぬ溝に私は傷ついたのだった。
その日の帰りの電車。車窓から流れる風景がいつもより滲んでぼんやり見えたのをとても良く覚えている。
そして、私はある決心をした。
もう一生タートルネックに我が首は通すまい、と。
帰宅し、寒空の下、庭に出た。
私は黒のタートルネックのセーターを脱ぎ、
傍らに水を張ったバケツを用意した。
そして、そっとセーターに火をつけた。
お焚きあげである。
セーターが燃えた。
私をオードリーしてくれていた(…という夢を見させてくれた)セーターが燃えていた。少し臭かった。
以上がタートルネックのセーターと私との物語である。もう、あれから10年以上経った。若かったなぁ。
しかして、この「タートルネックお焚きあげ事件」は自分がどう見られたいのかとか、個性とはなんだ?とか、そも自分とは何か、と言う問題の解決(自分なりの納得)への端緒となった。
「どうやら個性ってのは周りが言うほど善きものではないぞ」とずいぶん前から気付いてはいた。気付いてはいたが、世間はそれとは真逆だった。個性を伸ばしたり、発揮せよと言ってくるのだった。だから、ながらく惑わされた。
世間はキラキラし且つ社会に役立つような個性をサンプルとしてピックアップして、「このような個性たれ」と押し付けてくる。それを目指して「個性的」であろうとする。ファッションはその最たるものだった。
「個性を喧伝し、流行を仕掛ける」
その矛盾、その歪さはどこから来るのだ?と知りたくなったからアパレル業界に入った。ファッション、それは何のことはない、ただの商売上から生み出されたシステムだった。業界に入って、それがよーくわかった。というより、業界自体もより大きな枠組みの中のシステムの一部でしかない事がよーくわかった。
お釈迦様の手のひらの上で踊らされている猿、それが私。
セルフブランディング?
自分磨き?
自己実現?
なりたい自分になる?
チャンチャラおかしいわ、片腹痛いわ!!
…と吠えたい。そういうのは社会からの要請です。あ、「ありのままの自分」とかも。
そう社会から仕向けられて求めるような個性やら自分などはないのであります。業界に入り、タートルネックのセーターを燃やしたりしてわかったことである。
どんなに取り繕っても出てしまうもの。
どうしようもなく出てしまうもの。
それが私にとっての個性だった。
だから、個性とは呪いだと思っている。
世界に1つだけの呪い。
暗くて寒くてジメジメしたところに「それ」はある。
お釈迦様の手のひら上で呪われながら踊る猿。
せめて自分で踊ってると思いたい。
それにしても信州の冬は寒すぎる。そろそろタートルネックのセーターを着ようかな。家人のタートルネックを見て、そう思う今日この頃なのでありました。