嘘をつく自分がそこにいる。
相手に嫌われまいと、ここで働き続けるためだと言って。いつしか僕の中のNoとYesの境界が曖昧になってゆく。そして、嘘をつくたび、僕は自分を見失っていく。浴びせられる暴言を、笑顔で、意にも介さないふりをして受け流してみる。開きなおるんじゃないよ、と言われる。どうして君たちは気が付かないのだろう。張り付けた仮面の内側に渦巻く、ほんとの僕に。
普段から嘘をつき続けるライターの文章に、強さも重さもあるわけがない。それは物書きとして終わりだ。だから今日、僕はそこを飛び出した。金は十分に貯まった。もはやここにいる意味などない。もっと自由に生きられる場所へ行こう。心と頭がぴったりと揃うような、そんなところへ行くとしよう。今の僕にはわかる。理想の場所は、間違いなくあるんだってこと。
「アンタは自分の兄ちゃんが死んだことで、自分が不幸やと思ってるやろ」
「はい」嘘だ。そんな風に、兄の死をとらえたことなんてない。
「そんなん浅いよ。あたしかて兄弟も、お母さんも死んでしもたんやけん。そんなんアンタひとりだけじゃないんよ」
「確かに、そうですね」黙れ、俺。口を開くな。心を無視して吐き出される言葉が、どこまでも上滑りしてゆく。
本当はこうだ。兄の死は僕の死生観を変えただけだ。悲しい、とか不幸だ、というのとは別のものだ。今俺は十分幸せだ。世界は素晴らしいのだし、最高の友人だっている。不幸だと思うことは今まであったけれど、兄貴が死んだときに、そんなふうには思わなかった。ただ、世界はひとりの人間の死に無関心なのだと、まぁいわば諦観だ。それに、あんたの死に対する感覚と僕の感覚もまた別物だろう。あんたの周りの死に様は知らないけれども、少なくとも俺のは自死への向き合い方だ。もし俺があの時これをしていれば。もしかすると俺自身彼の死に関わっているんじゃないか、とか。
「ハヤテ、聞かせてほしいことがある」
アーサーはラゴスの町はずれにかかる石橋の下で、僕に向かって言った。焚き火を挟んで僕らは立っている。さっきまで陽気に踊り、喋りまくっていた青年は、真剣な目つきで僕を見た。
「なんだい」
「フクシマで地震があっただろう」
「あぁ」
「あのとき、ヤクザと呼ばれる人間たちが人々を助けた、というのを何かで見たんだ。ヤクザってのは悪い人々なのだろう?」
「そうなるな」
「じゃあどうして、彼らは人々を助けたんだ」
僕はそんな話聞いたこともなかった、だからこんな風に続けた。
「それはね、ヤクザたちは仁義という精神を重んじるからであって」
「違う違う。ハヤテ、僕が聞きたいのはそういうことじゃない。もう一回聞くよ、彼らはどうしてそんなことをしたんだ」
「だから、言ってるだろ、ヤクザってのは」
「ハヤテ。僕にとってこれはとても大事な質問なんだ。あの時僕は家のソファで眠っていた。そして強烈ななにかを感じ取った。すぐにテレビをつけたよ。きっと何か起こったんだって。テレビの画面には、人々が、町が、濁流に飲み込まれていくのが映っていたよ。僕は苦しかった。ただそれを見ることしかできなかった。だけど確かに、僕は予兆を感じたんだ。心に」
彼は僕を見つめた。正しくは僕の心を見つめていた。
そうか、そういうことなんだ。
アーサーの瞳が炎を反射して、燃ゆる。
「アーサー」
「なんだい、ハヤテ」
「正直言って、僕はそのことについては何にも知らないんだ」
「うん」
「僕はテレビで見て知ったんだ。そんで、なんか大変だなぐらいにしか感じなかった。おんなじ国の中で起こっていることなのに、対岸の火事で、僕はひとごとにしか思っていなかったんだ。おんなじ日本人なのに、さ」
「ハヤテ…。わかったよ、ありがとう。それが答えなんだね。さっきも言ったけどこれは僕にとって重要な問題なんだ。だから、教えてくれて、ありがとう」
彼は僕の仮面に気が付いて、そんで通り越して僕のハートと話をしようとしてくれた。彼が怒っていたのはきっと、また誤魔化しをしようとした僕のズルさに対してだったのだろう。彼のような人間に、どうかもう一度。
「ハヤテ、自分の中に敵がいるね」
「うん」
「彼と戦うのは非常に難しいことだよ。自分の外にいる何百人もの敵と戦うのより、自分の内に潜むたった一人の敵を打ち負かすほうが、ずっと難しいんだ」
どうか、正直に生きていけるように。