結婚を控えていた時期、母にぽんと小さな箱を渡された。
「これから必要になるかもしれないから」
中にはパールのイヤリングが2つ揃って入っていた。
正直、安っぽいその箱と、なんとなく軽い輝き。
それを見て、わたしは直感的に「イミテーションっぽいな」と思ったが伝えなかった。
しかもそのパールはイヤリングのパーツが付いている。
わたしはピアスホールがあるし、イヤリングは耳たぶを挟むので長時間つけると痛い。
思えば、そのパールのイヤリングに限らず、母はわたしに「きちんとした女性」になって欲しいのかもしれないと感じることがある。
わたしが今年に入ってからどんどん明るくしている髪色についても
「その髪、どうしたの」
そんなことを真顔で聞く。
半笑いで答えた。
「どうしたのって、ブリーチしてるだけだよ。なにもないよ」
わたしは母を満足させるいい娘ではないのだろう。
でも、ずっとずっと長いこと、わたしのほうが母のようになりたかったのだった。
母はバリバリと仕事をこなし、家事をこなし、いつもエネルギッシュで、どれもできないわたしとは正反対だった。
まぶしい昼間の光のような母は、わたしからはいつも目を細めなければその姿を見れなかった。
小さい頃からよく周囲の大人に「お母さんと同じ、看護婦さんになるの?」と聞かれたけれど、物心ついたころから全力で否定し、美術の道を志した。
本格的にデッサンを始めたのは高校1年生のこと。
最初はモチーフの形をとるのもままならず苦戦した。
影も「つける」ものだと思っていた。
デッサンの枚数を重ねていき、有名な美大予備校の夏期講習に行くなどしはじめると、デッサンについての理解がおぼろげながら深まっていく。
講師たちが繰り返し繰り返し、光と影の関係のことを話す。
「つける」ものだと思っていた影は、白い紙に光を描くためのものだったのだ。
影を描写することで、モチーフの形が描かれ、影は光を語る。
スポットライトなのか、片面から当てられた光なのか、全面に渡る光なのか。
まるで「光」は母のようだ。
そしてわたしは、影を描くことでしか自分を保てない。
そうしないと、母の姿が見えなかったのだ。
パールのイヤリングは、使う機会のないまま部屋のアクセサリースペースに置いてある。
もし本当にイミテーションなら、わたしがデッサンで追いかけてきた母の姿もイミテーションだったのかもしれない。
美容院で、ここに来たときにしか読まないファッション雑誌を読んでいると「オトナの女性が必ず持ちたい!」と煽るコピーでパールのアクセサリーの特集がされていた。
わたしはブリーチの薬剤を塗られながら、本物のパールだったら身につけてみたい、なんて思う。
今の髪色に似合うかわからないし、お金もないけれど、いつか買う時は自分で買いたい。
母のイヤリングが不満だったわけじゃない。
ただ、ずっと影だったわたしも、そろそろ自分だけの光を、自分の力で手にしたいと思ったのだ。
(BGM:DEPARTURES/globe)