赤信号になりそうなとき急げない子どもだった。
もちろん安全を考えたら走らないほうがいいのだけど、
なんだかいつも必死になれない自分を、少しずつコンプレックスに感じはじめた。
同じくらいのときから、薬も嫌いだった。
この小さな錠剤がどうかしてくれるとはとても思えなかったし、
薬を飲んで元気になることより、発熱や注射をがまんして、なんでもないように振る舞って皆に驚かれる方が好きだった。
体調を崩したりアレルギーなどで病院にかかっても、規定量の薬を使い切れることはまずなかった。
どうしても薬を信頼できない気持ちがあったのだと思う。
20歳を超えても、治るどころか酷くなっていったアトピーにはどんどん強いレベルの薬が処方されたけれど、
猛烈なかゆみはちっとも治まらず、学校に行かなければいけないのにかゆみで部屋を動けない。
やっぱり薬はわたしを助けてくれないんだ。
そんな時期に「プラセボ効果」というものを知った。
本来は薬効のない偽薬を処方しても、患者が効果を信じて服薬すると効果を発揮する、ということらしい。
なるほど、わたしには逆プラセボ効果が起こっているのかもしれない、と思った。
信じられるものがなかった。
自分を信じられていないから、周囲の人たちにも些細なことでよく裏切られたような気持ちになって泣いた。
だけど、薬も、人も、奇跡なんか起こさない。
よく「期待をしないことが幸せへの道」みたいなことを聞く。
人に対してはまだまだできない部分もあるけれど、薬で練習すればいいのかもしれない。
ただ、淡々と処方された通りに服薬する。
自分の思い通りに楽になることもあるし、この薬じゃ足りない場合もあるかもしれない。
それを諦めずに次の診察で伝える。
むやみに薬がなんとかしてくれるとか。してくれないとか、思わないのがいいかもしれない。
以前、よく大人数で飲み歩いていた男友達の1人が、わたしのことを皆にこう言ったことがある。
「よく『自分が嫌い』って言うやついるけどさ、こいつのは本当だと思うぜ」
自分が嫌いえ苦しかったことを認めてもらえたようで、そのときは嬉しかったのを覚えている。
でも、いつか同じように言われるなら「お前は自分大好き野郎だな」って笑われてみたい。
効くと思えなくても、ただ必要なら薬を飲む。
自分が嫌いな気持ちを少しでも何かで和らげられたら良しとして、ただこの自分で生きる。
それができたら、わたしにとってはもう「自分大好き人間」と同じなのだ。
(BGM:焼け野が原/Cocco)