きっとこの先ずっと超えられない絵がある。
今の実家に移る前の古いアパートの一室にある父の部屋。
わたしが幼い頃から、そこは研究室みたいでもあり、図書室みたいでもあった。
大量の分厚い本が本棚から溢れ、まだ箱みたいな奥行きの分厚いパソコンが鎮座する。
幼いわたしはいつもワクワクくして父の部屋をのぞいた。
父の本をかたっぱしから手にとっては、漢字も読めないのに読みたくて四苦八苦する。
難しい本ばかりなのに、時々「ウルトラマン百科」みたいな本があるので油断ならない。
ある日、父はいつも通りパソコンをいじっていた。
パソコンはWindows95とか、そんな時代。
ふすまから部屋をのぞいているわたしに気づき、父は手招きをして画面を見せてくれた。
そこにはシンプルな線で描かれた絵が表示されていた。
山が連なり、オレンジの空にカラスが2羽飛んでいる。
なんだかとてもコミカルで、アメコミに出てきそうなクスッとする絵柄に思わず笑みがこぼれる。
「かわいい!すごい!」
興奮気味に伝えると、父は手元を見てこう言った。
「これで描いたんだよ」
ごく普通のマウス。まだ幼いわたしには、どう使うのかさっぱり分からなかった。
ソフトはWindows標準の「ペイント」で描いたと教えてくれた。
「ペイント」に「マウス」で絵を描けば、あんなにかわいい絵が描けるんだ…!
そう思い込んだわたしは、マウスの扱いに苦戦しながらも、何回も何回も絵を描いた。
父が描いたような絵を、わたしも描きたかった。
でも、何回やっても、うまくいかない。
記憶はそこで途切れていてうまく思い出せない。
ただ、たったひとつ確かなのは、どんなに練習しても「あの絵」には近づけなかったということ。
やがてわたしは本格的に絵が描きたいとペンタブレットを買ってもらった。
さらに美術の勉強をして、絵もずっとうまくなった。
それでも、父がマウスで描いた「あの絵」が、どうしても超えられない。
いつもいつも、脳裏に焼き付いていた。
ただの思い出補正だ、とは思う。
もし今、イラストレーターになったわたしが「あの絵」を見ても、大した絵ではないと思うかもしれない。
それでも、思い出はどうしてこんなに、焦げるように焼きつくのだろうか。
幼いときに感じた驚きは、それから20年以上経っても色褪せない。
むしろ時間が経てば経つほど、記憶が鮮やかになって離れない。
今までわたしが描いてきたどんな絵も、世界中のどんな名画も、わたしの記憶の中の「あの絵」にはかなわない。
いつまでも超えられないものがあるから、というか「超えられない」ということにして、今もわたしは絵を描き続けているのかもしれない、とすら思う。
大昔の「あの絵」のことを父は覚えているだろうか。
父が覚えていなくても、絵のデータがなくても、いつでも思い出せるから大丈夫なのだけど。
きっとずっとわたしの中で「超えられないもの」として存在し続ける、あのオレンジの空と、カラスたち。
はっきりと比べることが難しい「絵を描く」という行為の中で、わたしは何度も「あの絵」を睨むように追いかけて描いてきた。
超えられないものが、むしろ人を強くしてくれるのかもしれない。
でも、あまりたくさんあっても疲れてしまうから、適度な量だとありがたいな、なんて身勝手なことを思う。
頭の中でまた「あの絵」のカラスが鳴く。
どこまでも、飛んで。追いかけるから。
(BGM:真夏の果実/絢香cover)