言葉を使ってものごとを伝えようとする時に、わたしたちは無意識のうちにそこに「時間」を読み取っている。
さしだされる言葉のまとまりは、時間軸を過去から未来へと進める。少なくとも読み手は、意識をしなければ自然とそのように理解をして読み進めていくだろう。事実、こうして文章を読んでいる間にも時間は進んでいる。細胞の分裂や生命の呼吸と、言葉という存在は近しいものなのかもしれない。
文章には、「文節」や「単語」といった言葉のまとまりがある。そんな“まとまり”がわかりやすい表現手法のひとつには、短歌や俳句といったものがあるだろう。
五七調の言葉で紡いでいくそれらは、何の知識を持たない人でも、5と7の音のまとまりで言葉を読む。あまりに短い言葉数であらわすものだから、小説や脚本に比べて、俳句や短歌は瞬間を描くことを得意としているともいえるかもしれない。
ただ、連作としてそれらの言葉のまとまりを連ねていったとき、人はおそらく無意識に時間軸をイメージして読むだろう。
それならばもしかして、全く同じ歌で構成されていたとしても、置く順番によってその歌の意味は変わってきたりするのだろうか。
たとえば喜劇か悲劇か、ハッピーなのかバッドなのか。
それらは案外近い距離で、お互いの息遣いをよく理解している存在として成り立っているのかもしれない。
「Morning ver」と「Night ver」で、読み手として物語の印象はどう変わるでしょう。
また、順番が変わったひとつの短歌に関しては、その歌の持つ意味合いに読み取れるものに変化があるでしょうか、ないでしょうか。
月曜日の夜、ほんの少しのトリップを。
▼ 言葉の拡張 #5 輪転
【 言葉/写真 】
「言葉の拡張」では、さまざまな表現手法を行き来しながら、
言葉というものの拡張を実験的に試みていこうと思います。
第五弾は、言葉と写真で、時間を操作する試みを。
—Morning ver.
分かち合う記憶はいつもネオン街 ネイルの色は夜に塗れて
嘘つきと知っていたのに信じてた それがわたしの愛だったから
「馬鹿だね」とため息溶かすコーヒーと 口紅拭う友の指先
(何よりも痛かったのは、あなたなしでもそれなりに笑えていたこと。)
(あの頃みたいにぐちゃぐちゃに、世界の終わりだと思えなかったこと。)
わたしたち 大人になればなるほどに 強い生き物らしくなるのね
それならば 強く進んで参りましょう スワロフスキー爪先に乗せ
履歴には独りよがりが二人いて 最後の既読は19:57
夜明けには別れの刻だ炭酸の抜けたサイダーきらきら透けて
—Night ver.
夜明けには別れの刻だ炭酸の抜けたサイダーきらきら透けて
分かち合う記憶はいつもネオン街 ネイルの色は夜に塗れて
嘘つきと知っていたのに信じてた それがわたしの愛だったから
「馬鹿だね」とため息溶かすコーヒーと 口紅拭う友の指先
(何よりも痛かったのは、あなたなしでもそれなりに笑えていたこと。)
(あの頃みたいにぐちゃぐちゃに、世界の終わりだと思えなかったこと。)
わたしたち 大人になればなるほどに 強い生き物らしくなるのね
それならば 強く進んで参りましょう スワロフスキー爪先に乗せ
履歴には独りよがりが二人いて 最後の既読は19:57