「可愛いお店、テーブルの下の青いタイル好きです」
自分のお店とか場を持ちたいと思う人は多いようで、今日も話を聞きたいと都内の大学に通う女の子が、土曜日に遊びに来てくれている。白い光が差し込む店内を、珈琲を飲みながら興味深そうに見渡していた。
「この棚なんかも自分たちでつくられたんですか?」
隙間に3列の黒板が埋め込まれた棚には、「Coffee Wrights」の豆や、台湾の作家「Rainy」に逗子葉山の珈琲店を描いてもらった絵が飾られている。小さいけれど、細やかにつくり込まれた心地よい店内。
自分たちで言うのもあれだけど、たしかに可愛いお店だと思う。
でもね、お店の内装のほとんどは、自分たちでつくったものでは無いんです。そしてこの場所には以前、「ハトコヤ」って言う街に愛されたお店があったんですよ。
******
いつか自分たちのお店を持ちたいと願いながらも、東京の余白の無さに途方に暮れていた2人。テナントを借りるお金も無い僕たちの想いを、街は受け入れてはくれなかった。
「この街にまだ無い珈琲店をつくりたいんです」
逗子に来てからも、街の理容室や八百屋さんやタバコ屋さん、少しでも借りられる可能性がある場所の扉をとにかく叩いては、しかし断られ続けてしまう。想いを始めることすらこんなに難しいことなのか。心が折れそうになっていた。
そんな時に、この街で見つけた場所が「ハトコヤ」だった。
美味しい餃子とワイン、そしてオーナーであるアッコさんとの時間を求めて、小さな店内はいつも満席で。東京では得られたことの無い、人との心理的な距離が近いこのお店で過ごす体験は、とても特別なものに感じられた。
カウンターを囲みながら珈琲を飲むスタイルは新しいし、人と人との繋がりを生める街の場づくりが、このお店なら出来るはず。「ハトコヤ」に通う中で、自分たちの想いを伝え続ける。よく知りもしない若者がこの場所で珈琲店をやってみたいと何度もお願いしてきた時のアッコさんは、一体どんな気持ちだっただろうか。
「このお店は夜だけだから、お昼にやってみたらいいかもね」
自分の想いが詰め込まれた我が子のようなお店を貸すということは、なかなかに難しいことだと思う。でもアッコさんは、快く、その背中を押してくれた。
「2人じゃなければ貸すことを考えなかったと思うよ」
ある日の午後のこと、その日も白い光がお店に差し込んでいた。活動を始める前の試験として、アッコさんに珈琲を飲んでもらった時間が、昨日のことのように思い出される。
「楽しくなりそうだね」
アッコさんはそれだけ言って、僕たちが誰かに淹れた初めての珈琲を飲みながら、優しく笑っていた。
それから土曜日の間借りという形で始めたアンドサタデーは、たくさんの人と出会いながら今に繋がる大切な1年間を過ごす。2人が一週間で一番好きだった、土曜日に珈琲を飲む時間を、街に開いて街と共有することができた。
だからこそ、アッコさんがいなければ、今の自分たちは無いはず。
今は多くの人が、どうしても自分のことを優先しなければいけないような、心の余白を持ちにくい世の中を生きていると思う。でもあの時のアッコさんのように、誰かの背中をそっと押して応援できる、目の前の誰かへの優しさを持つことができたら。
誰かのためにいつでも使える、心の余白の大切さ。肩の力をふっと抜いて、目の前の人と向き合って。
そんなアッコさんは2年前、体調のこともありお店を空けることとなり、その想いと共にアンドサタデーがこの場所を受け継ぐことになった。特別な意味を持つ大好きなお店だからこそ、そのほとんどがあの時のまま残されている。
今のアンドサタデーは、あの時の「ハトコヤ」と同じように、誰かにとっての街に無くてはならない場になれているだろうか。
先日、元気にふらりとアッコさんがお店に来てくれた。優しい笑顔が、あの時と少しも変わらない。
「頑張ってるのいつも見てる。これからもっと楽しくなりそうだね」
その言葉を聞けただけでも、この3年間を積み重ねてきた意味があったように感じて、どうしたって胸が熱くなってしまう。
******
「人と人が繋がる、こんなお店をやりたいと思っていたんです!」
1枚の木のカウンターを挟んで言葉を交わす中で、大学生の女の子は将来のお店のイメージが湧いてきたようだった。そしていつかの土曜日に、お店に立って誰かに珈琲を淹れる体験を、アンドサタデーでしてみることになった。
「楽しくなりそうだね」
あの時のアッコさんと同じ言葉が出てくる。誰かが何かを始める時は、見ているこちらもワクワクしてしまう。
「よい土曜日を。」
こちらを振り返りながら嬉しそうに帰っていく女の子。自分たちはあの時のアッコさんのように、誰かの背中を押してあげられる大人になれているだろうか。
アッコさんから繋いでもらったご縁のバトンを、何かを始めようとする誰かに、今度は僕たちが繋いでいく順番だと感じている。
今日の自分ではなくて、明日の誰かのための心の余白を、持っていたい。