2年程前から、現在気仙沼に2軒残る銭湯の一つ「友の湯」に複数のメンバーで関わるようになりました。オーナーの小野寺学さんが気仙沼に帰郷後、震災後にお母さんから経営を引き継いで営業されている銭湯です。建物や配管設備などは老朽化しているものの、それが逆に良い味となっていて、地元の方や観光客の方に愛されている町の銭湯。
2年前の2018年11月26日は、「いい風呂(1126)の日」として、お客さんが入浴している浴室の中でライブを行ったり(!)、男湯と女湯を介したデュエットなど実験的な試みをたくさん行いました。2019年のいい風呂の日では、番台にラジオブースを設置、番組の進行に沿って銭湯の建物内外で様々なプログラムを実施しました。また2019年は「とものゆ通信」というミニ広報誌を作成し、気仙沼の様々な拠点に置いてもらい取り組みの発信を行ってきました。
実は2020年3月にも「ミッドナイト銭湯」という営業終了後の銭湯を貸し切ったイベントを企画していたのですが、コロナウイルスの感染が拡大してきたことでやむなく断念。友の湯も3週間弱のあいだ臨時休業することにしました。この社会情勢の中でどうやってイベントができるのか?など思い悩んでいると、どんどんと疑問は根っこの方まで遡ってくる。イベントを企画して実施すること、はたしてそれは出来事と呼べるのか? ある「狙い」があって物事を企み、それが狙い通り実現する。これはやってる側からするとかなり予定調和で、この連載の最初の方で述べてきた「目的と結果のズレ」の要素は薄いように感じます。
まあ、これは企画している側からの見え方かもしれません。お客さんの立場になってみれば、町の空間を使ってイベントをやっている風景は非日常のものであり、普段の使われ方と異なる風景に認識のズレを感じるのだろうと思います。それは私が「出来事」に対して感じることとそんな違いがない。でもなんとなくもやもやしている。
コロナウイルスの感染拡大はおさまる様子はなく、4月中、5月連休と人が集まるイベントは規模の大きさを問わず軒並み中止となっていました。でも、私はそもそも人を集めることを第一目的としないイベントをやってきたし、人が集まらないイベントでも十分に楽しかった。むしろそういう時こそ新たな気付きが生まれる空間となっていました。だから、三密を避ける=イベントを開催しない、という符号は必ずしも成立しないように思っています。そこで、なるべく人が集まらない、滞留しないような催しを銭湯の軒先でできないかと考えました。
2019年のいい風呂の日の時、イベントの企画段階から関わってくれた近くの町の農家さん。「銭湯の軒先で農家さんが作った野菜を売ってみよう」そんなシンプルな企画です。友の湯の常連客さんから「小さい頃に住んでた町の銭湯では、玄関先におでん屋台が出ていて1ネタだけ買って家に帰る途中に食べてた。おでんを買うために銭湯に通ってたみたいな部分もあった。」という話を聞いて思いついた企画。現在の法律でガチガチな都市空間でも無許可でできる販売行為は、私有地での物販。正直イベントとしてはそこまで詰めたものではなく、告知も近所のお家の玄関窓にポスターを貼り出しさせてもらった程度でした。
近所にあったスーパーが年明けに閉店したというのもあり、予想以上の数のお客さんが買い物に来てくれました。野菜を買って帰っていく方から噂を聞いて買いに来てくれた方も。買い物ついでに立ち話をしていくみなさん。このような井戸端コミュニティこそ、コロナ禍における町の風景、いや昔からあった町の風景なのでした。
でもこれも「野菜の販売をおこなって、それに伴って人と人のコミュニケーションが起きる。井戸端コミュニティを実現させる」という目的と結果の一致ですよね。はたして出来事って呼べるのか? こういった取り組みを出来事と名付けるなら、それはお客さんとの共犯関係でしょうか。6月26日の風呂の日の時点で、販売開始の時間前から何人かが銭湯の前で野菜が並ぶのを待ってくれていました。月1回ですが、26日に野菜が銭湯の軒先で売られるという風習が町に根付いていくことに大きな価値を感じます。8月26日の風呂の日では、友達が売られている野菜を使ったカレーの振る舞いを行うなど、野菜販売に合わせて別の催しも行われるようになりました。9月は手作りパンの販売も。
出来事は非日常と日常の境目に生まれるものだと思いました。どちらかというと日常に寄り添って、少し楽しくなるようなものが出来事。町の中の人々の振る舞いが少しだけ変わっていくこと。今年も11月26日にいい風呂の日のイベントを行いますが、ただお祭りをやったことにならないといいなと思います。細部まで企画しすぎることのない方が面白いかなとか。今年のテーマは時流に合わせて「オンライン・オフライン・オフロ(風呂)イン」。チラシもステッカーにして、町の中のいろいろなところに貼ってくれるような人がいたら面白い。