大相撲を見る楽しみは取組以外にもたくさんある。例えば、土俵下の審判部の親方に懐かしい顔を見つけてみたり、解説の親方とアナウンサーの相性チェックしてみたり、裏方一切を仕切る呼出の動きや行司の衣装に注目してみたり、はたまたお客さんを定点観測してみたり。その中でも個人的に一番は、力士の化粧まわしだ。
化粧まわしは、十両と幕内力士が土俵入りので身につける特別なまわしで、腰エプロンに絨毯やタペストリーのような重めの刺繍が施されたものを想像してもらえれば、なんとなくイメージがつくかもしれない。この化粧まわしは、企業や出身校、後援会、もしくは個人から力士に贈られる。最近のツボは、大関・貴景勝のヤクルトまわし。鏡餅体型で、そのミカン部分に眉間に常にシワ寄せたしかめっ面をちょんと乗っけた貴景勝が、オレンジと薄ピンクのヤクルトが全面に刺繍されたまわしをつけている様子は、アンバランスなのに、どこか似合っていて面白かわいい。もう少し登場回数多めにしてくれたりしないかなと思っている。
そんな特徴的な化粧まわしをつけて、力士たちが十両・幕内それぞれの最初の取り組み前に一列になってぐるりと土俵を取り囲む「土俵入り」は、現地は言わずもがな、テレビで見ていても壮観だ。
でも、この化粧まわしをつけられるのは十両以上であって、幕下以下は付けられない。土俵入りのような華々しいパフォーマンスもない。彼らは淡々と土俵に上がって相撲を取って下がっていく。そう考えると、幕下の力士が重量に昇格し、化粧まわしが贈られ、それを身につけて土俵入りした時はひとしおだろうし、逆に十両の力士が幕下に陥落して、化粧まわしがタンスの肥やしになった時は、悔しさというか渦巻くものは、外野はきっと想像できない程なんだろうと思う。
翻って、自分のライフステージが変わったとき、私は装いを変えてきただろうかとふと思った。大学や就職、仕事で昇進したタイミングで、親やパートナー、もしくは自分で財布やバッグ、スーツを贈られたり新調したりした人はいるけど、思い出せば私は特にそんなことはなく、幕下力士よろしく地続きの日々として淡々と過ごしていた。
ただ、そういう「区切り」で装いを変えるというのも、それはそれで面白いのかもしれない。歴史の一旦終わりのような感じで。次がいつ来るかはわからないけど、区切りが来たら何かしら装いを変えてみようか。
そんなことを考えながら、今日の千秋楽、どんな取組みが待っているのか、誰が優勝するのか、午後のNHKの中継をソワソワしながら待っている。