雪を知らない。国立近代美術館で山元春挙の「雪松図」を見ながら、唐突に思った。
山元春挙(1871〜1933)は京都画壇の重鎮で、円山応挙の流れをくむ画家だ。「雪松図」は金色の屏風に背景もなく、重たい雪を背負った松のみ描かれている。雪は画面向かって右から降っているのか、幹の右側にのみ付着し、水平に広がる枝と松葉には、のしかかるようにぼってり積もっている。山元が描いたのは、軽やかなパウダースノーではない。水分を多く含む、湿った、重たい重たい雪。この覆いかぶさるような、全てを閉ざしてしまうような厳しい白を、私は知らない。
前々回のレビューで雁屋さんが「黒とか白とか赤とか青とか緑とか、周りを見渡せばそういう色ばかりだった」とおっしゃっていた。確かに私も白はよく着る。それも夏物より冬物に多くて、セーターもズボンも白、なんていう「うっかり雪だるま」をやってしまうこともままある。
白、といっても山元のような、夜も照り返す寒々しい白ではない。クリーム色に近い乳白色ばかり持っている。純白から灰色に近い白、青みがかった白、ピンク寄りの白、そして乳白色。暖色がかった白は、ホットミルクやお日様に照らされたシーツ、友達の家のにゃんこの毛並みとかを思わせ、暖かくて柔らかいものをイメージさせる。耐え難いほど寒い冬は、優しいものに包まれていたい。山元の白は、厳しすぎる。
でも、その他を寄せ寄せつけない孤高の白に、どこか憧れも禁じ得ない。