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2F/当番ノート

濃霧

当番ノート 第56期

今日は朝から雨が降っている。私は雨の日がとても苦手だ。重くどんよりした空気が体の中に入り込み、体がだるくて仕方がない。まるで自分が、緩く絞った水の滴る雑巾になったよう。体の痛みや頭痛もいつもの3割増し。カーテンからちらりと見える灰色の空は私の気分も曇らせて、頭がいつもよりずっと働かない。今、この行まで書くのにも、何度も何度も書いたり消したりを繰り返している。

この病を患ってから、雨の日に限らず、いつも私の脳には霧がかかってて思考が上手く進まない。スーパーで買い物をするときのちょっとした暗算もできなくなった。学生の頃から続けていた英語の勉強も全くできなくなった。本を読んでいる時も霧が邪魔して全く頭に入ってこないことがよくある。更には物忘れも激しくなって、どこに物を置いたのかすぐ忘れるし、こないだ点滴の後会計をせずに帰ってしまった。

昨日はオンラインの読書会に頭痛がしていたのだけど参加した。人と話している間は、案外頭痛のことは忘れている。しかし、zoomの退出ボタンを押してしばらくすると、脳の奥がズーンと重たくなってくる。同時に頭の中に濃霧が発生し、とたんに私の脳はフリーズした。こうなると私は文字を追うとか、思考するとかが全くできなくなる。脳がエンストを起こしてしまう。昔水泳をしていた時に、余り沢山泳ぎすぎると後から体が怠くなってしまうことがよくあったけど、それの脳バージョンという感じだろうか。しかもこの脳のエンストは、短時間だけ人と話すとか、読書をするとか、普通の人なら日常的に出来ているであろう当たり前のことでも起こしてしまうから厄介だ。不思議と脳の霧が濃い時は体が怠く、薄い時は体が軽い。脳の状態と体の怠さは関連しあっているようだ。

昔は、この脳の霧さえなければ、もっといろんなことができるのにと思ってた。しかし、私の体は、脳の霧があることで、痛む体を使いすぎないように、ブレーキとして働いているのかもしれない。思い返せば昔、拒食症になったときも体中が痛かった。あの時は、世界のすべてのことが数字に置き換わった。食べること、動くことが全て摂取カロリー、消費カロリーに置き換えられ、毎日何度も体重計に乗った。更に一日中時計を何度もチェックして、何時に起床、何時にご飯、何時に勉強、何時に運動、全ての行動を分単位で規定した。時間ごとの消費カロリーに時間を掛け算したり、そこから摂取カロリーを引き算したり、いつも脳は高速演算を繰り広げ、私は数字のコントロール下に置かれていた。休むということを絶対に自分に許さず、脳が私の体を軍隊のように動かした。この時は頭が異様にさえ切っていて、どれだけ体を動かそうが、勉強しようが、全く疲れというものを感じなかった。何をしても全く疲れを感じないおかげで学校の成績はかなり良くなった。しかしその代償として体重はどんどん減って、最終的のお医者さんに「もうこのままでは死にますよ」と言われ、小児科病棟に入院した。

頭の霧が濃いくなり何もできなくなってしまった体をベッドに横たえると、モネも布団にもぐってきてお腹の脇で丸くなる。モネのあたたかな体温が私の体の深部に伝わってきて、その時初めて私は、自分の体がとても冷えていたことに気づいた。まるで温泉につかっているような気分になって、体の一つ一つの細胞がゆっくりと解けていくのがわかる。私の体の感覚は、もしかしたら拒食症の時代にまだ置いてけぼりにされたままなのかもしれない。こうやって体が緩む感じ、そういえば長年感じたことなかったな。なぜ中学の時の体の痛みが大人になってぶり返したのか、それは全くわからない。しかし、もしかしたら頭の霧は、またあの時のように脳が私の全てをコントロールして、拒食症を再発するのを防ぐという、自分助けとして働いていて、今は体の声に耳をそばだてるリハビリ期間なのかもしれない。

Reviewed by
Maysa Tomikawa

当たり前のことだけれど、人はなにかを一度経験してしまうと後戻りできない。そのくせ、それが自分の「普通」になるほど同じ経験をし続けても、やっぱり慣れないし、いろいろ考えてしまう。どうしてこんなにつらいんだろう。その原因や理由を探して、自己を省みたり、本を読んでみたり。病気と折り合いをつけていく− 特に治らない病気と生き続ける – ためには、そういう時間が必要で。そのような時間を持たずにはいられないんじゃないかと思ったりもする。実はわたしも、脳下垂体の難病になってから、霧とともに生きている。脳の霧、という表現はとてもしっくりくるし、なにもかもがぼんやりして、自分の体も思考も、思い通りにならない感覚がよくわかる。

わたしの好きな作家にガボール・マテという人がいる。この人は『体が「ノー」と言うとき: 抑圧された感情の代価』という本を書いていて、この本には正直とても救われた。かなりかいつまんで言うと、感情が抑圧されるような環境や、長期間にわたってストレス下にいるような状況が続くと、病気という形で「もう無理です」って身体が反応するんだそうだ。病気になったのは、身体が「ギブギブギブ!」って叫びをあげて、無理し続ける自分にブレーキをかけたかったからなんだと思ったとき、これまでのつらさの合点がついたような気がして、すーっと自分の中に存在し続けていた緊張がとけていくような気がした。だからね、身体の声を聞くのはとても大事なんだよね。

そう思ったら、霧の存在も必要なんだって思えてくる。こういうことを、今後もきっと何度も何度も繰り返して、わたしたちは霧との付き合い方を学んでいくんだろうね。霧が晴れることは、この先ないのかもしれない。でも、それも自分の身体の声なのだとわかっていたら、怖くない。そんな気がする。

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