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2F/当番ノート

線を消す

当番ノート 第56期

昨日の夕方、小腹が減ってしまったので、冷凍していた厚切りのバームクーヘンをチンして食べた。こないだお気に入りのパン屋さんに行ったとき、何個かまとめ買いして冷凍庫で保存していたものだ。30秒くらいチンすると、表面にコーティングしてあるチョコレートが少し柔らかくなり、しっとりした生地からふわりと甘い香りが立ってくる。フォークでちょっとずつカットしてコーヒーと一緒にゆっくり味わった。

ふとバームクーヘンの包みの裏ラベルを見ると301kcalという数字が目に入る。うーん、なかなかの数値だ。一回の食事が700kcalだとすると、その半分くらいのカロリーがこの小さなバームクーヘンの中にぎゅっと詰まっていたことになる。さっき胃に入ったバームクーヘンの甘さから想像するに、相当な砂糖が入っていたことは揺るぎない事実だろう。

夜、お風呂に入る前に、体重を数カ月ぶりに測ってみると、いつもよりスケーラーの針が1kg多い数字を刺していた。急に私の体に緊張が走る。なんで?そんなに食べる量は増えてないのに!いや、待てよ、体重計の針が最初に0より多いところにあったのかもしれない。

私が体重計から下りると針はゆっくり左右に触れながら、ちょうど0kgの所で停止した。

中学の時に発症した拒食症は、2年ちょっとで治り、体重は元に戻ったのだけども、私の心の中の数字で自分を管理してしまう性質はまだまだ治っていないようだ。拒食症の時のように、頭の中で四則演算を四六時中繰り広げる生活からは脱することができた。 あの時は摂取カロリーから消費カロリーを引いたり、食べ物全部の重さを測ってグラム当たりのカロリーに重さを掛けたり、脳が大忙しだった。しかし、ふとした瞬間に、体重がこのまま増えたらどうしようと狼狽し、お風呂でお腹や二の腕をつまんでどこに肉がついてしまったのかチェックしてしまう自分がいる。

私にとって見かけの問題は沢山のもやもやを孕んでいる。メイクだってそうだ。拒食症だった時、ホルモンバランスの崩れによって、顔にぎっしりニキビができた。拒食症の治癒と共にニキビは治ったものの、頬に沢山の凹凸が残ってしまった。

16くらいの時、友人が私の顔を指さしながらこう言った。「くりちゃんの顔、ニキビ跡すごくない?」。彼女の言葉がきっかけで、人と喋っていると、皆が私の目ではなく肌の凹凸に視線を移してないかいつも気になるようになった。数年前、テレビで芸人Mがある女芸人さんの顔のニキビ跡を指さしてこう言った。「お前の顔、途上国の道路みたいやな!!」。周りの芸人さん達はどっと笑っていたけども、テレビの前の私は16歳の私を思い出しフリーズした。その後、その女芸人さんはニキビ跡を治すため、美容外科に一生懸命通っていることをyoutubeで知った。彼女は画面越しにニコニコしながら、どの治療でどれくらい治ったか、施術中どれくらいの痛みがあったかなどということを解説してくれる。彼女のしている治療はどれも高額で、とても今の私には出来そうもない。

という私も、実は20歳くらいのころ美容外科に通って、ニキビ跡の治療を受けていた時期がある。お金はかかるが、この肌のままでは生きていけないと感じ、肌の代謝を促すケミカルピーリングとフォトフェイシャルという治療を交互に受けていた。1年くらい美容外科に通ったころ、急に周りの皆の態度が一変した。私の肌を指さして皆がこう言うようになったのだ。「お肌綺麗!」「どこの化粧水使ってるの?」。いつも俯き加減だった私は、急に堂々と人と話せるようになった。ああ、素晴らしき美容外科!!

キラキラした美容外科に入っていくたびに「ザ・美人」な受付の人が声をそろえて「いらっしゃいませ」と迎えてくれる。それを繰り返すたび私も彼女たちのように自分が美人になったかのような錯覚に陥り、だんだん胸を張って歩けるようになった。クリニックの壁に張ってある沢山のビフォーアフターの写真をまじまじと見つめながら、将来就職してお給料が入ったらもっと沢山の施術に通おうと決心した。

しかし、23の時、病気になってからは美容外科に通うどころじゃなくなってしまい、一気に肌の調子は悪化した。とりあえず、肌の凹凸ができるだけ目立たなくなるようにリキッドファンデーションを塗ったり、更にその上にパウダーファンデーションをパタパタはたいたりしてごまかしているのだけども、やっぱりすっぴんの顔が鏡に映るたびげんなりする。

体重を気にしたり、肌のことで悩んだりしていると、いつも心の片隅に出てくるのが2016年に19人の障害者が殺された相模原障害者殺傷事件のことだ。4年前に亡くなった重度障害を持つ伯母が、もしあのやまゆり園にいたならば、「住所と名前を言えない障害者を殺す」と言った植松に殺されていただろう。

植松は、整形や脱毛を繰り返し過度に見た目を気にしていたらしい。彼は今も刑務所で、体毛を気にして自分の腕の毛を血を流しながらむしっているという話を聞いた。きっと彼は自分の見掛けを綺麗にすることによって、施設の障害者と自分は違うと線引きをしたかったのではないだろうか。彼はこの世の中で蔓延している優生思想をスポンジみたいにどんどん吸収し犯行に及んだ。彼と何度も面接を行っていた牧師の奥田知志さんはこう話す。「植松君は時代の子」。植松は、急に空から降ってきたモンスターではなく、この社会が生んでしまったモンスターだと言えるのではないだろうか。

私が体重を気にしたり、過去に美容外科に通っていたり、少しでも良く見られようと化粧をするのも優生思想の一種だろう。私のこういう行いも彼のような人間を生んでしまうことを支えたのではないだろうか。あの事件のことを調べていくと、自分の中のブラックホールを直視しているような気分になる。

自分の内なる優生思想からどうしたら逃れられるだろうか。まだ結論は出てないのだけども、自分自身にかかった呪いを紐解いて孤独になれるかどうかにかかっているのではないだろうか。私は今まで、人からどうみられるかを気にして、まるで皆の操り人形みたいに動いてた。他人から掛けられた紐を一個一個解いて行き、自分の手足が自由に動けるようになった時、きっと人間は孤独だ。しかし、孤独に世界と向かい、他者との線引きを止めた時、自分の内なる優生思想とも決別できるのではないだろうか。そしてそれが第2、第3の相模原障害者殺傷事件を引き起こさないために私ができる事だろう。

心の苦しみからこの世の中を見た時、そこには歪んだ社会の様相が見えてくる。体重や肌のことを気にして皆に褒められようと輪に入る努力をするより、褒められない私のままぽつねんとしている方が、きっと色んな事が見えるのだろう。自分と世界の繋がりが見えてきた今ならそれが出来そうな気がする。

久里子

久里子

1985年生まれ。線維筋痛症、慢性疲労症候群を患って12年目。
昨年から一人で当事者研究をしながら物書きをしています。
プロテスタントのクリスチャン。
動物と植物が好き。
いつか書く仕事がしたい人。

Reviewed by
Maysa Tomikawa

なんで、ありのままを受け入れるのってこんなに難しいんだろう。どうして、人と違うことでこんなに咎められたり、憎まれたりしないといけないんだろう。昔から、何度自問自答してきただろうか。

子どものときから、人と違うことはよくないって社会から教わってきた。わたしは人よりも体が大きくて、髪の毛がくるくるしていて、外国人で、社会からの冷たい目にたくさん晒されてきた。わたしは痩せることができなくて、食べなくてもどんどん太った。それが恥ずかしくて、悲しくて、自分が本当に嫌だった。

体型のことは、持病をきっかけに、折り合い方を知ったけれど、今の日本ではマイノリティとして生きることがとても怖いと感じる。SNSでだれもが「意見」を持っていて、故意に人々を傷つけるような言葉を発したりしている。優生思想だけじゃなく、差別的な発言をさも正義のように振りかざす。

久里子さんは、「自分の内なる優生思想からどうしたら逃れられるだろうか。」と自問しているけれど、この問いを常に自分に投げかけること、人に投げかけることは、ものすごく大事だ。自分の中の差別的な考えと向き合うことは、すごくつらいことなんだけれど、それと同時にものすごくパワフルなことでもある。

わたしたちは、常に「正しい」わけじゃない。自分の信じたい正義が正しいわけでもないし、完璧でもない。自問自答を続けることは、自分の心の歪みを見つけこと。自分の心の歪みを知ることは、他者の歪みを知ること。受け入れること。だから、どんなときも、問いを持って、自分の答えを出していきたいし、他の人の言葉にも耳を傾けたい。

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