大学に入ったわたしは、とにかくギラギラしていた。
日芸には同じ高校の友人も入学した。放送学科のイケイケギャルだ。二人で声をかけまくり、連絡先を交換しまくり、文芸学科の人と出会えば紹介してもらい、何かのきっかけで声をかけられそうな人がいれば声をかけ、ガンガン友だちを増やした。ちなみに、この時期にアパートメント編集部の小沼理氏とも出会った(新入生歓迎会で同じテーブルでした)(余談ですが、理氏はわたしが通常の人見知りモードになったあとも普通に話しかけてくれて本当に優しかった。今もこうやって「書かない?」って声かけてくれるし本当に優しい。いつもありがとうございます)。
「文芸学科の友だちいたら紹介して!」「連絡先交換しよ!明日のお昼一緒に食べない?」と、ほとんどナンパ師や詐欺師のやり方で声をかけまくった。高校時代は一人で本を読んでいたくせに、大学という未知の場所で一人になるのは、異常に怖かった。
その一方で、フリーペーパーを作りたくてむずむずしていた。
日芸には「机出し」という文化がある。サークルがそれぞれ机を出して、興味のある新入生はそこで話を聞く。様々なサークルに話を聞いたが、いわゆるフリーペーパー制作をメインに活動するサークルは一つもなかった。
文芸学科内にあるサークルはほとんど創作系。小説を書き、文学賞に応募するようなサークルばかり。少し軽い雰囲気になっても文芸誌を作って”販売”する団体がほとんどだ。
唯一、「N(エヌ)」というおしゃれ雑誌を作っているサークルがあった。「ここでフリーペーパーライフを過ごすんだ!!!」と思い、意気揚々と話を聞きに行くと、彼らの作っているものは”フリーペーパー”ではなくラックに置いて、読んだら戻す”レンタルマガジン”らしかった。尖っていた当時のわたしは「エッなんだいレンタルマガジンってェのは!そんな雑誌作りたくねえやァい!俺ァフリーペーパーが作りてェんだい!」と心の中で啖呵を切って、見向きもしなかった(その後、「N」はフリーペーパーになります。その節は啖呵を切ってすみません)。
学内のサークルが無理なら、学外だ。そう思い、フリーペーパーを作っている団体の話を聞きに行った。イベントを行いながら、その広報活動や宣伝のためにフリーペーパーを作っているとのこと。様々な大学から集まったメンバーで行う、いわゆるインカレサークル。説明が終わると、見学者の自己紹介タイムになった。
わたしはフリーペーパーを作りたいという熱い気持ちを話す。わたしの他には可愛いキラキラ系女子大生が二人。先輩たちは、わたしの話を聞いて「ふーーーーん」という顔をしている。おや……?様子がおかしいぞ……?
そのあとに女子大生二人が自己紹介をすると、ニコニコ笑顔で「え~!そうなの~!うんうん^^」と聞いて、なおかつ質問もする。え!!!!態度が!!!!全然違う!!!すごい!!!あからさまに「こっちの女の子は入ってほしいけど、君は別にな~!入ってほしくないな~!!むしろ~!!」という雰囲気である。
「すごい!!!顔か!?明るさか!?服装か!?オーラか!?性格か!?一人で来たからか!?全部か!?つか真面目にフリーペーパー作りたいだけなんだが!?え!?あれ?!違いました!?違いましたか!?え!?」と、逃げるように帰った。とぼとぼ歩きながら、「これが……大学生……」と奥歯を噛み締めた。
学内も学外もダメ。どうすればいいんだろうかと血迷ったわたしは、なぜか「君ねェ、声がいいよ!声がよく通るよォ!」とやたら褒めてくれた落語研究会に入部した。なんで。どういう展開。だが、初稽古が19時開始、21時終わり、その後も飲み会というスケジュールのせいで、過保護な親に「お前を落研に入れるために日芸に入らせたわけじゃない」とめちゃくちゃ怒られて速攻で退部した。早い。
せっかく大学に入ったのに、何もできていない。実績としては落研を3日で辞めたくらい。
日芸に入ったら、本をいっぱい作れると思っていた。なのになんで2ヶ月経っても何もできていないんだ。
希望と焦りが入り混じった心の中で、友人たちからこんな話があった。「仲の良いメンバーでさ~お茶会サークルみたいなの、作ろうかなと思ってるんだよね~」と。
そうか、なければ作ればいいのだ。