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2F/当番ノート

紙、それは作るもの・2

当番ノート 第59期

 フリーペーパーサークルを作った。
 細かい経緯はいろいろあるが、とにかく作った。主なメンバーは同じゼミの人と、声をかけまくった中から仲良くなった何人か。それから、その友達など。「サークル入らない?そして君の友人でいい人いない?」とねずみ講みたいに勧誘しまくり、会う人全員に声をかけた。大学入学当初から、わたしのやり方はほとんど宗教である。

 2010年6月23日にサークルを立ち上げた。「トロイメライ」という名前で、メンバーは20人弱。
 面白企画を行いながらも、真面目なコラムやちゃんとした小説を載せるというエンタメ系フリーペーパーを目指した。当時のキャッチコピーは「あなたの心に震度7」。読んだ人に今まで受けたことのない衝撃や影響を与えたい、という気持ちを込めた。それと、編集会議をしているときに緊急地震速報が鳴ったので、そう名付けた(のちに3.11の影響があって「不謹慎では?」という話になり、「あなたの背中を押す」に変更)。

 編集と創作の二つの部署に分け、書きたい人は創作部門、編集やDTPをやりたい人は編集部門、と割り振った。卒業文集でテキパキと働いてくれた友人たちの記憶があるので、わたしは「こういうフリーペーパーを作りたくて、こういう文章を書いて欲しくて」と既存のフリーペーパーを資料として渡し、説明した。あとはそれぞれがアイデアを出してくれたりするだろうと。

 が、なかなかうまくいかない。
 卒業文集は掲載内容が大体決まっていたし想像もできたが、今回は前例がないものを作ろうとしている。明確なビジョンも共有されていないし、考えていることもそれぞれ違う。わたしのもんやりした「とにかく面白いフリーペーパーを作りたい!!」という目標があるだけだ。だから目指すゴールが全員から見えない、手探り状態で作っていかなければならない。今でこそ、「なんか面白いフリーペーパー作りたい」と思ったら、どう進めれば良いのか大体の見当はつくが、大学入りたてのわたしは、何もわからなかった。

 それに、やる気やモチベーションがそれぞれ違った。わたしはやる気はありすぎたが、一方で「勧誘されたからなんとなく入った」という人がほとんど。それに、技術もなかったので思っていることを形にできなかった。
 とにかくいろんな問題が起きた。入学したばかりでDTPができなくて紙面づくりができない、メンバーが指定した時間に集まらない、原稿を修正指示がきっかけで険悪なムードになるなど。とにかくもう、創刊号は難産だった。

 それでも、他サークルに入っている友人からDTPを学び、わからないなりに取材や編集をしてそれっぽいものを創り出した。大変だったが、作っている間は楽しかった。ようやく完成したのは、サークルを立ち上げてから半年経った11月。キンコーズで印刷し、それをファミレスに持って行き、メンバーたちでひたすら折った。

 完成したフリーペーパーを見て、「すごい!それっぽい!」と言うと、友人は「それ”っぽい”じゃない。”それ”なんだよ!」と笑っていた。当時付き合っていた彼氏のツテで、とある学生イベントに置かせてもらえることになり、半年かけて作ったフリーペーパーは一瞬にしてなくなった。たった50部程度の配布だったが、時間をかけて作ったものが一瞬にしてなくなるというのは、おかしな気分だった。

某学生イベントで展示中の「トロイメライ」創刊号

 なんとなく設置していたアンケートに、コメントが一件入っていた。誰のかわからないが、「面白かったです!」というもの。ごたえはないけど、なんとなく、良いものを作った気がする。
 作る大変さよりも、誰か知らない人に読んでもらえる、届くことの嬉しさのほうが凌駕した。また面白いものを作りたい。そう思って、作り続けた。

 大学2年生になると後輩が入ってきた。新学期のサークル紹介で謎の寸劇をし、興味がありそうな後輩には詐欺師のような口ぶりで勧誘しまくった。そのおかげかかなりの人数が入部してくれた。
 だが、人数が増えれば人間関係の問題もある。人数が増えたわりにほとんどわたしの独裁政治だったため、あちこちから不満が聞こえるようになり、辞める人も増えた。一方で友人や後輩たちの中にはなぜか信仰のように慕ってくれる人もいて、いつしか「教祖」というあだ名もついた。なんでだよ。

 2年生の終わりころになると、「学内でわちゃわちゃやっていても意味がないんじゃないか」と思い始める。独裁政治を極めすぎて、ほとんど友だちがいないことに疲れてきた。それに、学外でもいろいろやりたくなってきた。フリーペーパー以外もやってみたい。そう思い、サークルを2年生で引退という形にし、あとは後輩たちに任せた。たまに手伝いもしたし、参加もしたが、有望な後輩たちは本当にうまくまとめてくれた。わたしがいなくなったあとも面白い企画を立てて発行してくれて、本当に感謝してる。

卒業間近に友人と行った「トロイメライバックナンバーを読み返す会」

 結局「トロイメライ」では7号まで携わった。行った企画は「どのペットボトルが一番エロイのか!?」や「雨乞いVS晴れ乞い」「各国の記念日の祝い方全部やってみた」「アナログvsデジタル」など、面白系の企画もたくさんやったが、政治コラムやブックレビュー、小説なども掲載し、当初の「面白企画もやりながら真面目コラムの載ったエンタメフリーペーパーを作る」という目標は達成されたと思う。当時は作ることに必死で自信がなかったが、改めて見るとマジで面白いフリーペーパーだと思う。これを超える学生フリーペーパーはマジで存在しないと思ってる。メンバー全員、本当にマジでありがとう。

 3年生になってからは、フリーペーパーのおかげで某有名企業にインターンシップをし、安泰した将来が……というのは全部嘘で、結局無意味なフリーペーパーばかり作っている。なんなんだよ!!

北枕 ふか子

北枕 ふか子

あなたの心のふかふか枕

Reviewed by
フチダフチコ

もちろん、「トロイメライ」を聴きながらこのレビューを書いています。

大学でサークルを立ち上げ、仲間たちとフリーペーパーを作り始めたふか子さん。満を持して始まったフリーペーパー作りですが、思い通りに進まず難航したようです。1を広げる「卒業文集」とは違い、今度は更地に建ち上げる挑戦。それは骨が折れる作業だったと思います。「トロイメライ」が「夢想」に終わらず、形に。これがまた感慨深い所です。

「他者と作る」は難しい。例え誰かのために何かを作ろう…と集まったとしても、どこかエゴみたいな物が入ります。クリエイティブとは、そういう物です。「他者と作る」と、自分のエゴとその人のエゴが入り込んで、その上誰かに渡す物だから…みんなの「欲望」が集まりすぎて進むべき方向を見失う。私は割と苦手です。だから、あんまり日の目を浴びない自分の好きな物ばっか作っている。

さて、2年生でサークル引退を宣言し、後輩たちにバトンを託したふか子さん。色々したいことがある…って何をしていたんだろう?と最後まで読み進めたら、インターンシップじゃなくてフリーペーパーを作っていた。やっぱり、一度根を詰めて取り組んでしまったら一生抜けられないのでしょう。

自分の話で恐縮ですが、私は美大受験に失敗し、入れる大学にぽ〜んと入ってしまいました。当時19歳、趣味で足を運んだ画廊で、とある画家に出会った時に言われた一言が忘れられないのです。ぼそっと「本当は描きたいんですよね」と溢した私に、「一回この道に足を踏み入れたらもう一生抜けられない、あなたは絶対にこの世界に戻るはず」的なことを。そして数年後、私はとある場所でグラフィック・デザインを学び始めます。

こうしてライターをしている今でも、趣味でしかないけれど毎日絵を描き続けている…クリエイティブの世界に踏み入れたら最後、「夢想」じゃ終わらないのです(と言っても、イラストレーターをしていた頃の実績はほとんどないのですが。それでも、この世界に帰って来たことは変わりないので)。

さて、YouTubeでテキトーに流し始めた「トロイメライ」は知らない間に別のよく分からん曲に変わっていますし、きっと次の記事のふか子さんも私の想像の及ばない所にいるのでしょう。どんな物語へ繋がるのか、来週もぜひ。

以上。

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