編集者の仕事は楽しかった。
原稿を書き、ラフを書き、デザイナーに渡し、確認して入稿すると現物が出来上がる。夢が目の前に現れる感覚だ。すべての物事にふざけがちなわたしは、仕事のラフでも相変わらずふざけていた。
が、先輩や上司たちは優しく「この案いいね」「うーん、これはちょっとはっちゃけすぎかな」と優しく指導してくれた。もちろん、電話対応や雑用、営業やお局からのキツ~いお言葉などもあっていいことばかりじゃなかったが、一緒に本を作っている取引先や印刷会社の担当者は本当に優しかったので概ね楽しかった。
企業内向けの広報物が多かったのであまり一般的には目に触れない冊子ばかり作っていたが、たまに書店で並ぶ雑誌の仕事が来ると、純粋に嬉しかった。販売されている雑誌に自分の名前が載る。特別なことをしている感覚になった。
だが、家に帰ると虚無感が襲う。仕事ではいろいろと作っているが、家に帰ればぼうっと映画を見るだけ。このままでいいのだろうか。ぼんやりそう思うようになり、「せっかくお金があるならお金のかかったフリーペーパーを作ろうかな」と思い、作り始める。それが「C」だ。
see,sea,shh,sheの4つで「C」。sheは「彼女について」をゲスト(8人程度)に書いてもらい冊子にする。shhは自分の短歌や日記を載せた。seaはポストカードで、seeはそのポストカードを作った人のインタビューを掲載した。4つの「シー」で「C」である。
この4つを封筒に入れて配布すると「ほぼ売りもの」「フリーペーパーの域を超えてる」と言われた。100部作って総額6万円かかった。「なぜそんなものを作ったのか?」と聞かれれば「お金のかかったものが作りたかったから」しかない。マジの馬鹿野郎である。
だが、残念ながら、仕事でもプライベートでも本を作って順風満帆!ではない。だんだんと体調を崩しやすくなる。詳しくは書かないが、「家族性地中海熱」という病気であることがわかった。心身のストレスの影響で発熱や体の炎症が起こる、国指定の難病だ。大学時代から忙しくなると風邪を引いたり熱を出して寝込んだりしていたが、社会人になってから不規則な生活や深夜に帰ることが増えたせいで、月の半分くらいは体調が悪かった。
最初は地元の内科で抗生物質をもらっていたが、あまりにも体調不良が多いので原因を突き止めようといろいろな病院に行った。婦人科、内科、また別の婦人科、また別の内科。諦めかけたころ、とある病院で「不明熱を診てくれる先生がいる」と教えてもらい、紹介状を持って某大病院に行った。そこでようやく「家族性地中海熱」であることが判明した。
そのあとも、なんとか薬を飲んで仕事をした。「病気だけど生きてる!これから頑張ろう!」と思った矢先、適応障害になった。退職者が相次いで、仕事が増え、なおかつ部署異動で強めのお局たちに囲まれて仕事をすることになり、終電で帰る日々が続いてメンタルが終了した。泣きながら出社し、虚無の気持ちで仕事をして、家に帰って吐きそうになりながらご飯を食べる日々が続いた。家族性地中海熱のせいで熱も出てるが、お局に嫌味を言われるので休めない。
わたしは気が狂っているので、そんなときもフリーペーパーを作った。「不平不満を言おう」だ。
会社で言えない不満、ネットには書けないエロ話、どうでもいい悩みを文章、漫画にした。「○○券」という欲望だけ書いたチケットもつけた。裏紙を使い、家にあるぼろっぼろのコピー機で作った。でも、なぜ作ったのか。作りたかったからである。
結局、仕事はメンタルクリニックの診断書を叩きつけて、なんとか無事退職できた。もうフリーペーパーなんて作れない。そう思っていたが……作るんだよな……。