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2F/当番ノート

『私と怪談』

当番ノート 第61期

アパートメントで連載をさせてもらって、怪談をひとつも話したことのない友人から連絡を貰いました。

「こういうのすき。わたしも変な体験した家があること思い出しちゃった」

そうして聞かせてもらったおはなしです。

あやちゃんは、お家の事情でお引越しを10回以上経験しています。そのアパートには、あやちゃんが二十歳から三年間ほど、お母さんと妹さんと三人で暮らしていました。

あやちゃんがそのアパートで暮らし始めてすぐ、今までの家とは違う奇妙な出来事が起き始めます。

「そこに住み始めるようになってから毎日悪夢を見るようになったの。」

夢の中であやちゃんは、そのアパートの部屋にいます。部屋の中でテレビなんかを見ている。すると急に家具の下から黒い手がたくさん出てきて、隙間の中にズルズル引きずり込まれてしまう。

「内容は大体いつも一緒。引きずり込まれそうになるのを逃げようと必死にもがくんだけど、負けちゃう。そこで目が覚める。」

夢の他にも、眠りに落ちて1秒後には金縛りに遭うこともしばしば。ようやく眠れたと思っても毎回黒い手に引きずり込まれる夢を見るから、もう眠るのがこわくなってしまって。夜中はTwitterなんかで時間を潰して、朝にようやく眠りにつくことが多かった。当時の恋人の家に泊まりに行った時にだけやっとちゃんと眠れる、という感じで、他所のお家であれば普通に眠ることができました。「あの夢は、アパートで寝る時だけ見るの」

そんなある日、あやちゃん『いつもとは違う悪夢』をみます。「悪夢は悪夢でもいつもと違う悪夢でね、アパートで、知らない人が、知らない人を殺してる夢だったの。起きた時気持ち悪くなるくらいその人達の表情やその場の空気感が鮮明で、今まで同居してる家族に悪夢のことは話した事なかったんだけど、あまりに衝撃的な夢で誰かに聞いて欲しくなって。」

あやさんがどうしよう、話したい、そう思っているところに妹さんが起きてきて第一声、「最悪な夢見たわ〜〜〜」

あやさん、ドキッとして。妹さんにどんな夢か聞いたんです。

「このアパートで、知らない人が知らない人を殺す夢」

わたしが見た夢と同じ夢だったの。

あやさん思わず、「わたしも同じ夢見た」「ていうか今日だけじゃなくてこの家に来てから毎日悪夢見てる」矢継ぎ早にそう話した。

妹さんも、毎日悪夢を見ていた。

「やっぱ、ここなんかいるよね」

妹さん、ぽつりとつぶやいた。

その後また別の家にお引っ越しをして、妹さんとの二人暮らしになった途端、パタッと悪夢はなくなったそうです。

全九回の連載をさせて頂いて、その間にこうやってお話を聞かせて頂ける事こそ、今回の大きなテーマである『私と怪談』の答えなんじゃないかなあと思います。

連載を重ねる中で、毎回「私と怪談とは」と考え続けてきました。私にとっての怪談は、生活のすぐ側にあって、タバコのお供で、挑戦したいものであり、共存しているものであって。怖い気持ちにも朗らかな気持ちにもなり、ルールを守って距離感を測るものでもあって、自分の中のラインを見定める物差しでもある。その全てを内包して、怪談を愛して発信していると、こうやって怪談がそばにやってきてくれる。

わたしが怪談を語り続ける限り、ふとした時に新たな怪談が寄ってきてくれて、それをまた語ることで更にまた新しい怪談が近寄ってきてくれる。私と怪談は、ゆるやかなサイクルの中にいるのだと思います。

もしこれを読んでくださって、「そういえばこんな妙なことが昔あったな」「今思えばあれなんだったんだろう」という体験があったら是非わたしにもこっそり教えてください。幽霊が出なくても、怖くなくても何にも問題ないんです。そうやって、ふと誰かとわたしを繋いでくれるのがきっと、『私と怪談』の在り方なんだと思います。

オオタケ

オオタケ

怪談収集家。怪談・奇談・怖い話をジャンル問わず収集し、自らの体験談や収集した話を配信やイベントで語る。また語り手への怪談提供も行っている。お化け屋敷に入れない。

Reviewed by
荒々 ツゲル

「私と怪談」というテーマで綴られてきた本連載も今回で最終回ということで、寂しさも勿論あるのだが……レビュワー体験を通して変じた怪談への意識が我ながら新鮮だったので、語りたい。

オオタケさんがアパートメントで語ってくれた怪談は、生活感・語り部の空気感が感じられるものばかりだった。以前までの私にとって、怪談とは誰かの又聞きの又聞き……、「自分の生活圏からは遠いもの」だったが、オオタケさんの怪談は、その文脈から外れるものだったのだ。まるですぐ隣室で起きているような、出くわしそうな不安をあおる、それでも遭遇に少しばかり期待してしまうようなお話。非日常への憧れをかきたてる、身近な物語。
これが私にとっては、21年間生きてきた中で初めての体験だった。

”我々は自分の人生以外を生きる事は出来ない。だからこそ物語を求める”、とは私が以前アパートメントで連載をした際に述べたことだが、またこの自論を持ち出させていただきたい。
怪談は語り手の心情、その際の心の動き方が詳細に描写される・「されるべき」コンテンツだ。主体がどんな人物で、どんな過去を持ちながら、どんな運びでその展開に至るまでになったのかを、受け手は追っていく。この主体性の強い追体験を提供できる構造が、怪談を怪談たらしめているのだということに、本連載を通して気づけた。

怪談が語られるとき、私は怪談になり、怪談はいずれ私になる そんな可能性をはらんでいる。
オオタケさんの掲げた『私と怪談』、このテーマの中にいる二つの事象は、際限のない広がりを見せて、これからも繋がってゆくのだろう。

雪の降る季節から桜が咲くまでの期間、すてきな文章をありがとうございました!

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