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2F/当番ノート

18歳のわたしへ  〜24歳のわたしより〜

当番ノート 第64期

18歳のわたしへ

もうかれこれずっと眠いです。

起きているけれども、ふわふわ宙に浮いているようです。椅子にじっと座っているのであれば、目はただ開いているだけで、身体は静かに眠っているような、ちぐはぐな感覚がずっとあります。ただそこにいる、目を開いたまま眠っているわたしは、周りの人の声が急に迫ってきて、ふいにびっくりするのです。目を開いたまま、はっとする瞬間が何度もありました。

「あなたには合わないと思う」

最後の会が終わり、みんなが流れ作業のように帰っていく中で、ある教授に、真剣な顔で仕事について言われました。直接指導はしてもらっていないものの、お世話になった教授で、立ち止まって大事にお礼をお伝えさせてもらった時でした。

人の好き嫌いの程度が激しいわたしが、珍しく学科の中で信頼を寄せていた教授でした。自分なりのすきなことをやり遂げて称えられたことはなく、大学の大人たちの期待に気前よく応えたこともないけれど、表立って分かるように逆らうことはしなかった4年間でした。卒業式は、無条件に祝福される日だと認識していて、わたしの発言なんて話半分くらいにしか聞かれないだろうし、最後の別れの時間だとすれば、優しく対応してもらえると思っていました。結局、不意打ちを食らいました。悩みに悩んだ末のわたしの選択を、後押ししてくれると期待していたのかもしれません。最後の最後になんでそんなこと言うんやろうと、もやもやとしながら教室を出ました。

「あなたにぴったりじゃないですか!喜ばれると思いますよ」と、別れの場所で教授からは別の分野の仕事を勧められました。その日、その言葉が耳の奥でこだまし続けていました。それからも不意にその時の言葉を思い出します。全てを見透かされていたような気持ちになります。くそ!!と気持ちを奮い立たせられる日もあれば、やっぱり無理なんやろうなと思う日もありました。

わたしの仕事は、朝昼晩の交代制の勤務です。独り立ちしてからは、今日の一つの持ち場を、責任をもってやり切る必要性も出てきました。新人だけれど、どこでもそうだと思います。夜勤で寝静まった頃は、日中よりも比較的、穏やかな時間が流れていることが多い気がします。その瞬間を狙って、急ぎながら淡々と業務をこなしている時、ふとした瞬間にその教授の言葉がよぎります。教授はわたしの綺麗な部分しか見てないはずや、わたしの全部を知らんやろという気持ちでやり過ごしています。

とにかく泥臭く、働いてきました。じっと頭で考えているだけにもいかず、物分かりのいいような対応で、見栄えよくこなしているだけにもいきませんでした。

自分自身の生活リズムがうまく自分で掴めないままなので、慢性的にずっと眠いです。眠いままに、専門職としてのルールや判断基準を持ったわたしと普段のわたしとの境界線で行ったり来たり、右往左往しています。そんな中で、自分の気持ちの揺れを感じながら、感情をコントロールし、自分も寝食共にしながらそこにずっといる人たちと関係性を真正面きってつくっていくこと。想像して、時間をかけて少しずつ取り組んで、学びを一つずつ手に入れていった今までの学生時代に比べて、一度に手に入る情報量の多さを日々処理しきれていません。あやふやになる普段の時間を経て、専門職として、わたし自身として仕事で役割を果たしていく中で、人との関係でうまくいかない時、否定されたと感じるたび、そこでの膨大な情報に戻って、考え直している気がします。

嫌だなと思いながら集団としてその場に身を置いて学んでいた学生の頃よりも、一人暮らしのアパートから社会に乗り込み、毎日その往復をする社会人としての方が、”ただ一人である”という揺るぎない事実を意識せざるを得ません。真っ白な広大な社会という空間に、一つの点が動いている。どちらへも、どこまでもいけるけれども、目印はなく、ただ宙に浮いているように”一人であること”を実感していました。広大なこの空間は圧迫感もあり、何ともいえない不安感がじわじわと襲ってきます。そして自分の戸惑いとは裏腹に、すでに社会の構成員として位置付けられ、とどまることなく日常は進んでいます。

朝部屋から出ると、空気は澄んでいます。日はまだ出ておらず、街灯が薄っすらついていると分かる暗さの中で、辺りはまだ静かに眠っているようです。住宅街、まだ車は行き交っていません。わたしは、道路のセンターラインを自転車で横切り、最寄駅に向かいます。瑞々しい静寂の中、わたしには一人自転車で朝を切り拓いていく感覚がありました。タイヤが、不揃いな粒の固まりのアスファルトを淡々と移動していく不規則な音と、ギーギーと不審に鳴る自転車の音が、時おり大きく聞こえてきます。

帰り道、夕方の渋滞もとっくに終わり、空いている二車線を高速で進み、夜のバイパス道路に乗る前には、コンビニに寄ります。トイレでコンタクトよりも度がキツい眼鏡に変え、空腹なので、そのついでに剥き栗とコーヒーを買います。日中の明るい中ではない、決まったその場所で、同じ店員と同じやり取りをするのは、どことなく連帯感があります。平日に、22時から始まるラジオを聞きながら帰るのがいつもの楽しみです。

休日に出勤するのもすきです。日が昇りきっている中で、渋滞も想定よりもなく、予定の時刻よりも早く着きすぎる時があります。そんな時だけ立ち寄るコンビニがあります。近くにグラウンドがあるようです。野球の白いユニフォームを着た親子がひかひかの赤い顔で入っていきます。点滴スタンドを引きながら入っていくおじいさんもいます。病院も、確か近くにあったはずです。ゴールデンウィークや夏休みには、大きなワゴン車から家族や従兄弟と思わしき大人数が、そこに入っていくのが見られます。目的地に少しでも早く着かなければと無意識に考えながら移動しているような平日に比べると、道草しているその穏やかな時間を垣間見ることができる休日の空気感がすきです。

社会の流れから取り残されたような曜日や時間の感覚で、人と違うリズムで生活してきました。

「豆腐しか食べてないんです」と泣きながら言ったとき、「ごはん食べにおいで」と言ってくれた方がいました。その家の人たちは、食欲をそそりかつ身体に負担のかからない食事を作ってくださり、みんなで食べながらたわいもない話をしました。その時だけ、この地に足をつけて過ごせている、生きている心地がしました。流れに流されずにしっかりととどまっている感覚です。そして、最後にはいつも映画や音楽を一方的に貸してくれて、わたしはそれをカバンに無造作に入れて持って帰るのです。満腹になりそしてよく笑った後に、その家を後にし、アパートに着いてからその日借りたものをカバンから出します。一人でぽつりといるのだけれども、さっきまでの余韻と共に、まだここから楽しいことがこんなにあるのかと、その日借りた映画や音楽を山積みにしながら思うのです。

泣きながらごはんを食べることも、泣きながら車を走らせて帰ることもたくさんあります。そんな中で、その人たちと一緒にいる時間だけは、自分に起きた出来事をかき消すことができました。ずっと眠いので、遠出は片手で数えるほどです。休みの日や仕事までの空いた時間は、家で横になりながら映画を観て、仕事の行き帰りでは音楽を聴いて過ごしました。ただひたすら、何も考えずに、自分に取り込んでいきました。

初めて貸してもらって観た映画が、インド映画の「バーフバリ」で、その年の最後、12月29日に観たのがスタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情」でした。ずっと単館系の映画ばかり観ていたわたしが、大きな映画館にも行くようになりました。今まで、アクションも任侠映画もすきだとは認識していませんでした。早く帰って映画が観たいと思い、いかに早く帰れるかをシュミレーションしながら過ごすこともありました。映画館で、期間限定で観れるこんな機会を逃すまいと、新幹線を使って2時間半くらいで「2001年宇宙の旅」を観に行った後、友人の結婚式に行きました。高校生の頃、家族以上に一緒に過ごしてきた人たちと、久しぶりに再会しました。恐らくわたしだけしか経験していないであろうこの生活を、全力で大ばん振る舞い・大放出状態で話したものの、返ってきた反応は想像とは全然ちがいました。半分笑いながら、「えっ、それだけ?」と言われ、わたしは何にも太刀打ちができませんでした。革命的なことが起こって、うまく生活してる実感があったので、やっぱり不意打ちを食らって、大ダメージを負っています。

そんな感じの24歳です。なんでこうなるんや。

また書きます。それまでなんとか生き延びましょう。

お元気で。

24歳のわたしより。

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