鮮やかな黄色い点が目に飛び込んできて、ミモザの花みたいだと思った。
よく見ると連なりかたも様々。黄色い点が「主役」のようでも「脇役」のようでもある。
他にもたくさんの要素がある中、黄色い点だけ挙げても、人によって湧き起こるものは違うだろう。
「ミモザの花」のように言葉にならないかもしれない。
9枚並んだ中から自分のお気に入りを探す人もいるかもしれないし、
人の数だけ感じることがあり、違うことがあるのだと思う。
少し窓を開けて、古林さんのこの作品を見ながら「自分」を味わってみませんか。
「人は違って当たり前」と言われながら、どうにもそれが難しく、
生きづらさを感じる人が多いように感じる今の社会。
納得がいかなくても、なんだかよくわからない流れに呑まれることも多いと思うのです。
それでも、この1枚の絵を前で、わたしたちはただの「人間」でいられる。
ただ思ったこと、思ったけど言葉にできないことも味わってみたい。
「Aに見えるけど、Bにも見える」って矛盾みたいなものも感じるかもしれない。
だけどそれも、テストの解答みたいに絶対的なものなんてきっとない。
「答え」を出すだけでなく、「わからない」も楽しめたらいいですよね。
改めまして、これから古林さんの連載のお供をする、アーティストのマスブチミナコです。
元々はわたし自身、「答え」を探すことが大事だと言い聞かせながら、もっと自由に振る舞いたいという葛藤がありました。
古林さんの「重なり」にわたしの人生を重ねると、思い起こされることがたくさんあります。
どんなに重なり合わないように見えるものでも、見かけだけではなくて重ねることができるのがアートだと思っています。
古林さんの作品に何を添えるでもなく、ただそこに「人間」としていられたら、と思っています。