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3F/長期滞在者&more

小さなプリントに思いを馳せる

長期滞在者

10年近く暮らした新宿から、仕事場から5キロ程離れた杉並に引っ越す事にしました。
この記事が出る頃には、荷物の移動だけは終わっていると思うけれど、しばらくの間は大量の荷物に埋もれるような感じで暮らすのかもしれません。だいたい、滅多な事では新宿・四谷の町を出ないぼくにとって、杉並に引っ越すのは結構な大事件で、気分的には「移住」と呼びたいくらいなのです。

とにかく、本の量が半端ないため、この機会にかなり処分しました。読まなくなった本や雑誌やCDなど、段ボール箱6個分くらいは思い切って手放す事にしました。それでも段ボール20箱分の本の他に、写真ギャラリーを主宰していますので、自分が所有している写真の量もそれ相応にあります。
ストレージボックスには、私が集めた箱と、妻が集めた箱がそれぞれあります。その他に専門学校の教員をしていた時に卒業記念に学生から受け取ったプリントがあります。ひとり1枚で150枚くらいあると思います。
学生から受け取った写真とは、ファインアートフォトグラフィーについての講義を受け持っていたとき、授業の冒頭でぼくは、学生たちにある提案をしました。授業の最後の時間に写真の交換をやりましょう、というものでした。
ぼくは、学生時代に作ったネガから人数分六つ切りのプリントを作りました。それと、学生たちのプリントを交換する。交換するプリントにはそれぞれ署名を入れてもらう。ある年は学生が50人いたので、ぼくも丸一日暗室に入って50枚のプリントを用意しました。

プリントの交換とは、他人の作品を所有するひとつの手段です。金銭的なやり取りは発生しないけれど、5人の仲間とお互いに交換すれば、その日から5点の作品を所有するコレクターになれます。
実際に交換し合った学生たちに聞きますと、たった1枚のプリントを作るのに、苦労した、いつもと違う経験をしたと言います。何かというと、今までは自分のためにプリントを作っていたのが、誰かのためにプリントを作るという経験が無かったから。あの人の作品と自分のこのプリントはバーターで取引出来るクオリティを持っているのかどうか。色々考えてしまうと自分でオッケーが中々出せない。他人に作品を譲ることで初めて軽いプレッシャーを経験するようです。

ささやかなことですが、プロの作家としての意識を自覚してくれる試みだったと今でも思います。
他人のプリントを敬意をもって受け取り、引き換えに自分のプリントを差し出す。改まってこれをやると重みを感じるのものです。

最初のプリント交換をしてから、既に10年以上の時間が経過しました。引っ越しの荷物整理で、久しぶりに彼らのプリントの入ったケースを開いてみると、それぞれの顔が今でも浮かんできます。学生の中には、既に写真を辞めてしまっているものもいれば、この記事をお読みの方でも知っている様なバリバリと活躍している気鋭作家のものまで、ぼくにとってはどれも大切な宝物です。交換した彼らの中には、既にそのようなことすら記憶にない人もいるかもしれない。しかし、プリントは本人が記憶しているか否かに関わらず、彼ら、彼女らのある時代の熱っぽい気持ちが閉じ込められたモノとして、ここに在り続けるのです。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

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