この夏は故郷の男木島(香川県高松市男木町)に2週間近く帰省しました。
いつもは盆正月の3泊くらいの滞在ですが、今回は実に20年ぶりぐらいの長期滞在です。
以前、アパートメントに書いた「砂を売る」はこの島での事を書いています。
僕が生まれた昭和52年、当時で400人程度いた島民も平成25年現在では180人まで減り
子どもも居なくなり、小・中学校学校は休校です。
あちこちの家は家主を失い、潰してコンクリで地面を固めてしまうか、戻り手がいない家はそのまま朽ちていっています。
今年は瀬戸内海の島々や沿岸地域を舞台に国内外のアーティストが参加する
瀬戸内国際芸術祭2013の開催地のひとつにもなっています。
今、そんな島に連日1,000人近くの人が訪れてひと時の賑わいをみせています。
今回2週間も滞在した理由は、地元の「コミュニティ」のWEBサイトの制作・運営が1つの理由です。
そして、仕事を通して「コミュニティ」というものを深く考えるキッカケにもなりました。
島を離れて20年になると知っている顔も減り、島に残る祖父母も含め平等に老いが訪れていました。
祖父は40歳で大阪から島に戻り、父は38歳で島で死にました。
そういった年齢に近づいた事で自分の仕事や生き方に対する考え方に変化を感じだしました。
ライカ(カメラではない。犬。ダックスフンドもふもふしていてとても可愛い)を引き連れ
島をうろうろしていると、必ずどこかで1杯呑むという状況になります。
朝だとか関係なしに誘われますが、仕事をしていた1週間は夕方5時まで呑みませんでした。
島のお店で呑む場合もあれば、家にビールを取りに帰ってそのまま浜で呑んだりします。
そんな感じでお盆休みに入ってからは寝ている時間以外、
島の人、島へ訪れた人たちと呑み明かしていました。
お盆の帰省に合わせて、島で同窓会がありました。
酒もすすむと昔話に花が咲き、島を懐かしがり、何時かは島に戻りたいね。と話します。
高校進学にあわせて、島を離れて、仕事を始め、所帯を持ち、家のローンを抱え、子どもの進学の事や、介護などを考えると、
それがどれだけ大変か分かっています。
でも、言うだけならとみんな想い想いの事を言います。
そうした時間を過ごしながらぼんやりとした思いの輪郭を見定めていきました。
地域活性とかにはあまり興味はないのですが、祖父母の介添えや
身近な人たちの顔を思い浮かべると自分にやれるべき事があるんじゃないかな?とそんな気持ちが強くなってきます。
幸い、妻も娘もこの島の事を気に入ってくれています。
ここ数年は病気や災害や死を身近に感じる出来ごとの連続でした。
それでもなんとかこれたので、この気持ちも
なんとかなるかなって力まず軽く考えるようにしています。
僕があんまり長い間いて呑んだくれていたので、島のおばさんから
「街で仕事のーったら、沖にいったらええんじゃ。」と大変ありがたいお言葉を頂きました。
しかしながらまだ、沖に漁には行けないと思います。
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島に関わる仕事はなタ書の藤井佳之さんからいただきました。引き続き宜しくお願いします。
そして何か書かないとなあと思っているところに中島麻実さんから「書けよ!」のメッセージ。
妻も中島さんの次に記事を書くという事です。
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