お金というのが、もともとありとあらゆる商品になりうるものの中
に見出だされるだろう「価値」を抽出し、それをさらに再物質化し
たものだったということであるならば、お金というのは要はあらゆ
る商品の特質を抽象化してその中に取り込んでおこうとするものな
のだということが出来るかもしれない。貪欲である。そして、交換
という行為と交換される物品やサービスがなければ全く無用の長物
のはずなのに、ただその間にあると便利だというだけ(「だけ」で
もないのだが)で偉そうである。ちょっとひねくれた言い方をすれ
ば、あらゆる商品の真似を変幻自在にやってのけるやたら器用なだ
け(「だけ」でもないのだが)の存在である。真似しいのくせに尊
大である。『虚飾に彩られたカラス』である。そんなカラスをカラ
スであると見抜けないと言うか、虚飾に彩られたまんまにしてたら、
虚飾が本物に見えてきた、お金が絶対的に価値あるものに見えてきたっ
ていうのが現代だろう。それでもって、商品の方がお金を真似するよ
うになってきたのが現代だろう。そういう、作られたものなのに作っ
た側の上に立ってしまうというのの典型が「神」なんだろうけど、そ
ういえばお金と神は似てたりする。宗教が力を持たなくなってから、
お金が力を持ったのか、その逆なのかは分からんが、多くの人にとっ
て「お金」はオールマイティなゴッドなのだろう。この間の週末に三
日かけて『ガンダム00』の全(50)話を一気見してみたけど、そ
の中で「イノヴェイター」(ニュータイプみたいな新しい人類)のリー
ダーとして人類の支配をもくろんでいたリボンズ・アルマークは自分
を「神」だと断言していたが、実は彼はイノヴェイターではなく人類
をイノヴェイターへの進化へと導く(つまり媒介者としての)「イノ
ヴェイド」として設計された疑似人類だということが判明する。「イ
ノヴェイド」の性能はスゴい。どんな情報にも居ながらにしてアクセ
スできるし、瞬時に他のイノヴェイドとそれを共有することが出来る。
ほぼオールマイティである。それにガンダムで立ち向かう「ソレスタ
ルビーイング」はすごく人間臭い。指揮官がアル中だし、旗艦宇宙船
プトレマイオスの乗組員は全員なんらかのトラウマを抱えている。し
かもガンダムの乗組員は「ガンダム・マイスター」と呼ばれる。「ガ
ンダム職人」である。こんなことをざっと見てみるだけでも、富野由
悠季がこのシリーズでもくろんでいたことの幾ばくかが推し量れるよ
うだ。身も蓋もないけど、資本主義vs人道主義、みたいな。もっと単
純に言えば、お金vs人間。そういえば、『鋼の錬金術師』もちょうど
こんな感じの話ではあった。リボンズ・アルマークが「フラスコの中
の小人・ホムンクルス」というわけ。というか、『ファウスト』にし
ても『モモ』にしてもお金vs人間の話だということも出来るわけで、
この構図、先に挙げたイソップ童話のこともあるし、実は意外と歴史
は古いのかもしれない(『モモ』は古くはないけど)。恐らくはお金
が流通し始めた途端に出来た物語元型というものがあるんだろう。で、
この元型を使えば、今の世の中に生きている多くの人の心にぐっと来
る物語が作れるんだろうなあ。やってみようかなあ。でも面倒だなあ、
ということを今朝、泳ぎながら考えた。