ぼくの仕事はギャラリーディレクターですが、今までの仕事の中で相当な割合を写真作家を志す方々との関わりに時間を割いてきたと思います。学校での講義や講評、ワークショップ、ぼくのギャラリー以外でも比較的キャリアの浅い人を対象にしたイベントに呼ばれることも多いことからも、周囲の写真業界の皆様からも同じようにぼくの仕事を観ておられるのかなと思います。そういった皆様と時間を共にさせていただきながらしばしば感じることは、せっかく面白そうなテーマに出会い、良い作品に育っていきそうな芽を持っているのに、いつの間にか中断している、あるいは制作途中で放棄しているようなケースが多いなぁということです。
写真は、比較的入門に対して間口が広い表現手段で、興味を持ったら即実践に移せる気軽さがあると思います。それはそれで良いことで、例えばぼくが大きな金属彫刻をやろうと思い立ったり、切り立った岩山によじ登りたいと思っても、入門のハードルは高いと思うのです。誰でも表現者になれる可能性があるということは、社会に対して様々な角度から物事を眺め、多様な意見が写真メディアを通じて行き交うことにつながりますから、入門時に特別な専門性を必要とするジャンルよりも、表現の質的広がりは健全なものになるはずで、写真術誕生以来170余年、テクノロジーの進歩は、当然のことながら豊かな表現を育むベースになっているのです。
その一方、気軽さゆえに簡単に試合放棄できるのかな、とも思います。もちろんそれ自体が「自由」だと考える人もいるのかもしれませんが、何か自分の表現に閉塞感を感じている人がいたとしたら、この「気軽さ」を疑ってみることもアリではないかと思うのです。
私が主宰している「クロスロードギャラリー」は、写真を中心にしながらも「作家もの」と呼ばれるものを広く取り扱っていこうという思いで作りました。ですから、ガラス工芸や、洋服、雑貨のようなものも紹介する5坪ほどの小さな空間です。ささやかなスペースは展示する側から考えますと、作品点数も画面サイズも小さくて済み、気軽に発表できるという印象を受けます。実際そのような使われ方もしています。
一方で、この会場は演劇やダンス、詩の朗読や音楽といったパフォーマンスもやります。小さな会場でのパフォーマンス公演は、観客が文字通り目と鼻の先で、暗転などの演出もできませんので、相当な実力のある出演者じゃないと務まりません。
気軽な気持ちで本番に臨むと最悪の結果になります。ささやかな空間でのパフォーマンスは実はものすごい緊張感のあるライブなのです。
小さな作品は可愛らしく、見た目にも気軽さが感じられます。実際に小型の作品を軽やかに壁面に取り付ける作業というのは、実は一番難しいのです。小さな額装品ほど水平を出すのが難しいものはありません。だから、初心者が小型の作品を数点飾ると、画面の力がないばかりか、ガタガタの展示になってしまい、さらに作品の印象を悪くします。
映画や演劇を観たり、実際に監督さんや俳優さんと会って話をすると、この人たちは、失敗は許されない世界で戦う熱の塊みたいなものを持っていると感じます。多くの人とお金が動く表現だからこそ、必ず完成まで持っていかねばならない世界です。当初の目論見とは違った方向に走り始めたからといって、途中で投げ出さない、その場その場で決断する勇気と、継続する芯の強さは気軽さとは真逆の世界ですが、彼らの世界には、写真の世界に身を置いてると、どこかに置き忘れてしまった表現するのに大事なことを気づかせてくれるようにも思います。