4月です。まずは前回の記事の訂正から。
ダミアン・ジャレの経歴をさらっと紹介したときに、
彼がP.A.R.T.S.と言うコンテンポラリーダンスの学校出身、
と書きましたが、違いました。
ぼくがローザスというカンパニーで仕事していたちょうどその頃、
ダミアンはP.A.R.T.S.の学生と交流があったり、
その周辺での企画に関わったりしていた頃に顔を合わせていたので、
ぼくが勘違いしていたようです。
ということで、彼はP.A.R.T.S.出身ではありません。
それはそれで、なるほどな〜、やっぱりな〜とも思います。
その理由は前回の記事の内容から察することもできるかもしれないですが、
基本的には、そんなこと言われても全く何のことやらわかんねえよ、
という人がほとんどだと思います。
だけど書くとなったらすっごく長くなるはずなので紙面の都合上割愛します。
悪しからず。
……………………………………………………………………………………………
以前、柳宗悦の本を読んでいて、ある時ふと、
「面倒くせえな」
と思って読まなくなったということがありました。
で、時々また、
「いや、そんなこと言っても、天下の柳宗悦せんせーである、面倒くせえ
なとか傲慢にもほどがあるだろう、おれ」
みたいなことを考えてしまうところが優柔不断というか、だらしないとこ
ろで、もう一回読もうとしてみたりとかしてしまう。
で、心を入れ替えたつもり、というか、有名な偉いせんせーの言葉をちゃ
んと理解した気になってみたい、そしてさらにはそのことをネタにインテ
リでメガネが似合う真希波マリ系の女子とあわよくば仲良くなれたらいい
なあ、という、未練がましくも下心いっぱいの気持ちで読み直してみたも
ののやっぱり、
「面倒くせえな」
と思って読み進められずに本を閉じてしまう。そんなことがありました。
(「そんな下心で読もうとするから読めないんだ」なんて少しでも思った
あなた。それは間違っています。下心で表紙を開き、下心を忘れて没頭し、
リニューアルされた下心に着地しながら本を閉じるというのが読書という
ものなのですから。たぶん。)
そして今、河井寛次郎記念館発行の『河井寛次郎と仕事』というカタログ
をペラペラめくりながら、河井寛次郎せんせーのお言葉を読んでいて、ま
たあの時と同じように、
「面倒くせえな」
と思ってしまいました。
「いや、そんなこと言っても、天下の河井寛次郎せんせーである、面倒く
せえなとか傲慢にもほどがあるだろう、おれ」
と、一応判で押したように思ってもみるのですが、寛次郎せんせーの陶芸
作品はともかく、木工やら金工の彫刻作品を見て
「うわぁ、きっしょ〜」
と怖気をふるってしまうタチなので、このタチにはなかなか嘘はつけず、
さらには、あの造形(寛次郎のあの辺りの造形作品をぼくは「抽象おばけ」
と呼んでいます)を成り立たせている思想がこれらの言葉かと思うと、
クワバラクワバラ、やっぱりそれにも近づきたくなくなってしまう、とい
うこともあるのかもしれません。
柳宗悦と同時代の人で民藝運動にも最初のちょっとだけ関わっていた、青
山二郎という人がいます。知る人ぞ知る、白洲正子の師匠だった人です。
骨董の天才的目利き、装幀家、小林秀雄の無二の親友、などなどという名
目でも知られている人ですが、結局何をやっていたのかわからない人で、
徹底的に美を観じ続け、そうすることで美を創り出し続けた人だったのだ
ろうと思います。その青山二郎の言葉に、
「眼に見える言葉が書ならば、手に抱ける言葉が茶碗なのである」
というのがあります。ぼくの大好きな言葉です。
五感で読む言葉があるということです。
読み終えることのできた柳宗悦の本の中で一番面白かったのは、『南無阿弥
陀仏』という本でした。日本の仏教、とくに浄土系の思想について、読了後、
少し深く踏み入ることができたような気がしました。その思想史の要は、衆
生救済の大乗思想の総てが「南無阿弥陀仏」の六字の中に折り畳まれている
のだということを法然が発見、宣言し、親鸞がそれを庶民にも実践可能な思
想に展開し、さらに一遍が踊り念仏という行為の中に消化・昇華していった
ということだったと思います。弥陀の本願というコンセプトが浄土思想の発
展の中で、たった六字に凝縮され、さらにそれが行為の中に溶かし込まれて
いったということでしょう。
現代美術作品を見ていても分かる通り、コンセプト(概念を説明した言葉)
を作品自体に溶け込ませるということはなかなかできることではありません。
芸術の世界でそれに成功しているのはほんのひと握りのアーティストだろう
と思います。それをいわゆる民藝品を作っていた職人たちや、妙好人と呼
ばれた人たちは何の気負いもなくやっていたように見える。彼らが作ったも
のやその生き様には南無阿弥陀仏(という方法)が染み渡っていることが多
くあったのだと思いますが、その凄さがわかってしまった柳宗悦はそのことを
理論化して世に広めようとしました。すごくいい人だったんだと思います。
ところが、それが裏目にでてしまいました。青山二郎は次のように書いてい
るそうです。
「民藝運動は陶工に一つの理論を与へた。彼らはその理論の上にあぐらをか
いて銘々の作品を失つたのである。これを私は、彼らが抽象的になつたと言
いたい。見物が作者から作品を奪ひ取る喜び、鑑賞家はその夢を失つたので
ある。」
理論というのは骸骨のようなもので、18世紀の西洋医学やその頃のオラン
ダ絵画のように、切り開いて内部を覗き込めば、その髄にあるものとして取
り出せるものではありますが、所詮それは死物です。そこに最早生命はない
と思ったほうがいいでしょう。(死を思わせるものなんてのはチラ見せする
くらいでちょうどいいのだと思います。)その死物の上に何を塗り込めていっ
てもその個独自の生を作り出すことなんてできないのです。
ただそれはわかりやすい。骸骨の標本があれば解剖学的分析がやりやすいよ
うに、理論があれば、ついついそれを持ち出して重箱の隅をつつくような作
り方にもなりがちです。自分の中のことを見つめることが少なくなり、外か
ら与えられた理論を弄ぶようになってしまうのは、ありがちなことです。簡
単便利ですから。(この簡単便利を物質化すれば百均のお皿になるのです。)
それでもやはり、生きているものであれば、当然ながらその状態から骸骨を
抜き取ることはできません。美しいものがあるとして、それが美しくある状
態をそのままに理論を抽出すれば、それは死んでしまうのです。青山二郎の
無二の親友でもあった小林秀雄が
「美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない」
と言ったのもおそらくそのことと関わっています。要は、美しい花を見つけ
ることが大切なのであって、その美しさを分析抽出することには意味がない
ということでしょう。これは『荘子』にある「渾沌、七竅に死す」の話にも
通じているようです。混沌は分節されることで混沌であることをやめ、美は
「美しさ」を分析抽出されることで美ではなくなってしまうのでしょう。
また、上に引用した青山二郎の言葉から考えると、例えば、
よく見れば薺花咲く垣根かな
と芭蕉が読んだ時、芭蕉はこの薺が咲く様子をその作者である自然や偶然か
ら奪い取ったということにもなるのでしょう。青山にはまた次のような言葉
もあります。
「優れた画家が、美を描いた事はない。優れた詩人が、美を歌ったことはな
い。それは描くものではなく、歌い得るものでもない。美はそれを観たもの
の発見である。創作である」
美はそれを発見したものの前に現れ、発見された途端に、その人だけのもの
になってしまうのかもしれません。おそらくそうなのだと思います。そして、
それは消え入りながらその人の中にだけある美の範疇(カテゴリー)にしま
い込まれるのです。これは、仏教で言うところの阿頼耶識の構造に似ている
ように思います。阿頼耶識の内部には様々な情報が蓄積されていながらそこ
は「空」の状態、つまり関係性だけが蓄えられた混沌とした場です。個々が
持っている美の範疇というのもそのような構造を持っていて、外部にある何
か、その範疇内の情報に響き合うものが五感によって感知された時、美の感
覚が励起され、その何かの中に秘められているものを読み取ろうとする。そ
れを読み取ろうとする時にはいわゆる言語ではない言葉が高速で動いている
のだと思います。そういう事態に向き合う時、いわゆる言語は遅すぎるので
す。もっと高速な言葉でないと取り逃がしてしまうのです。それではその大
切なものを殺してしまいかねない。だから、「茶碗は手に抱ける言葉」だと
観じなければ、言語以外の言葉を読み取ることを諦めてしまっては、そこに
ある美を掬い上げることはできないのでしょう。感覚、フィーリングの中に
は様々なレベルまたは次元の言葉が行き交っていてその様々な言葉の総体、
うねりながら流れている思いの塊こそが生きている物事を捉えるためには必
要なのです。とはいえ、理論やコンセプトが必要ないというつもりは全くあ
りません。それらはむしろ有用なツールです。有効に使うことが肝心で、そ
れに使われるようになっては本末転倒だということです。
で、本末転倒してしまったことに気づかないと、理論やコンセプトをありが
たがって人が集まってくることになります。それは、お金というツールに人
が群がってくるのとそんなに変わらないことなんだとも思います。そうする
とエセ宗教みたいなことになってしまうことが多々あります。そしてそれが
その人たちを縛ることになる。柳宗悦本人もこんな風に書いています。
「民藝という言葉は、仮に設けた言葉に過ぎない。お互に言葉の魔力に囚わ
れてはならぬ。特に民藝協会の同人は、この言葉に躓いては相すまぬ。この
言葉によって一派を興した事にはなるが、これに縛られては自由を失う。も
ともと見方の自由さが、民藝の美を認めさせた力ではないか。その自由を失っ
ては、民藝さえ見失うに至るであろう。」
おそらく、「この言葉によって一派を興した事に」よって宗教の一宗派のよ
うになってしまっていたのでしょう。ここでの柳の主旨を汲めば「一派を興
した事」は誇るべきことではなく、また誇った時点で自由は失われていたの
だと思います。白洲正子も次のように書いています。
「「民芸」という雑誌が、未だに柳宗悦の文章を、お題目みたいに、うやう
やしく巻頭にかかげているのをみても、それが一種の宗教団体に似たもの
であることを示しているが、日本の民芸が衰微した原因もそこにある。も
ともと作家たちは、徒党を組むべきではなかったのだ。」
最初に書いたようにぼくが柳宗悦や河井寛次郎の文章を読んで「面倒くせえな」
と思った理由は、おそらくこの宗教っぽさが鼻についたからだと思います。
本当の宗教であれば、反対に、宗教っぽさなんてありえないのです。却って一
休や良寛には説教くさいところも抹香臭いところもなかったのです。百歩譲っ
て、宗教家が権威に頼って抹香臭くなるというのならまだしも仕方ありませ
んが、宗教っぽいだけのものがそのように振る舞うとなると、なんとも「面
倒くせえな」という感じに感じてしまうのです。おそらくそれは、言ってるこ
ととやってることが矛盾していることに気づかないで権威になってしまってい
る様子を見たときに感じてしまう感じなのだろうと思います。そういう状況に
ある人たちと話そうとしても、話にならない、という状態になることが多いの
です。
ところで、ぼくの感じるこの「面倒くせえな」という感じが、単に「面倒くせ
えな」とぼやいているだけでは済まないような状況に今、世界がなっていると
感じています。話にならない、もしくは対話にならない状況、というべきでしょ
うか。有機的な全体を見ることなく、都合のいい部分だけを抽出して理論っぽ
く見せた言説で正当化しながら、宗教や「自由」の名の下に多くの人が殺され
るようなことが次々と起きています。もともと人をよりよく生かすために作ら
れたはずの宗教が人を殺すという本末転倒です。しかしこう書いては語弊があ
るでしょう。やはり宗教は人を殺すことはないと思います。人を殺しているの
は人です。宗教は方法や方便を指し示すだけです。それを解釈してどう使うか
は人の問題です。本当に宗教的な人は声高に宗教を叫んだりしません。本当に
強い武術家がその力を見せつけたりしないのと同じことでしょう。大切なこと
は、簡単に言葉になんてならないのです。ただ、言葉にした途端にそれがとて
も大事なことに見えてくることがあります。そこが言葉の特性でもあるし、怖
いところでもあります。だからこそ、もっと感覚的な言語的でない言葉で伝え
ることが大切になってきているのではないかと思うのです。もしそうだとした
ら、声を張り上げて政治的になることなく、芸術は芸術として命に関して大切
なことを美を通して伝えることがまだ可能なのだと思えるのではないでしょう
か。そんな希望を持ち続けるにはどうしたらいいのかここしばらく考えています。
3月22日にぼくの住むブリュッセルで爆弾テロが起こりました。
亡くなった方々のご冥福と、負傷された方々の1日も早い回復、そして遺族や
その関係者の方々の心に1日も早い平穏が訪れますよう、切に祈っています。