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3F/長期滞在者&more

パレードの終焉 そして人生は続く それでも いったん身支度をととのえる時間をね

長期滞在者

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2013年4月4日 

今年の春はSNSとかでたくさんの人の目を通した桜をたくさん見た。
私はどこにも見に行かなかった。唯一の花見も雨で潰れた。
あ、もちろん、何度も目には入ったけれどね。 なんだかそれでいいと思った。

誕生日がくると、そろそろ検査に行かないとって気づく。
桜が咲くと、ああ、そういえば検査に行かなきゃって思い出す。
GWがくると、これ終わったら検査行こう、って思う。
碧が輝きだすと、Fちゃんから「検査は行ったの!?」って電話が架かってくる。

この前はあと数年で多分再々手術って言われた。
今度はその道の権威の先生と連携するんだって。
先生が私は好きなんだけどな、でもちょっとおっちょこちょいなんだよなぁ、かわいいの。
あ、おっちょこちょいにおっちょこちょいって言われたらショックかな。

先生に会いに行くといつも、私は絵の話を、先生は研究の話をする。
私が制作で使う和紙の膜の話をしたら、先生は脳を包んでぷかぷか浮かせる膜の話。
「ここに何かありそうだから研究したいんだよ、でももう歳だから(50歳)遅いかなぁ」って言うから、
「先生なにいってるの、ノーベル賞受賞者も名立たる研究者達はみんな50代が一番脂が乗っていたって言ってるよ、
先生、まさに今だよ。」って言ったら、ヘンな照れ笑いをしてから、少し話すのを迷っているように沈黙して、

「こんなことさ、患者さんにいうのはずごくおかしいことだけれど。
実のところ脳外科の患者さんは手術や治療をしても、残念ながら亡くなってしまう患者さんが本当に多い。
そんな中で2度の手術も乗り越えて、こうやって10年以上も毎年会って(うち何年かはサボった)
近況を話し合えることは、とても幸せだ」

ってかみ締めるように、でもぼそっと言った。

先生の乗り越えてきたものを想った。
先生の言った「幸せだ」の言葉の重さで喉の奥がぎゅっとなって泣きそうになった。

「そうだね」って。「私も先生が主治医で、それでもって毎年会えて幸せだよ」って。
なんとかそれしか絞れなかった。

「…でも、もう少し定期検査の間隔空けてもよくないかなぁ?」ってふざけたら、
「まぁまぁそんなこと言わないで、顔見せにきてよー。」って先生はほやほや笑った。

うん、そろそろ先生に会いに行こう。
GWが終わったらね。 Fちゃんから電話が来る前に「行ってきた!」って電話しようっと。

*

11

実はこの時点で今までとは全然違う自覚症状が出ていた。
あまりに早い再発疑いに少なからずショックは感じたけれど、来たな、待ち構えていたぞ、みたいな気分にもなった。
予定通り病院が変わり主治医が変わり、2度目の再発確認、3度目の手術が決まった。
予想と違ったのは手術まで10ヶ月の猶予があったということ(沢山の患者さんが順番待ちしていた)。

自分の病気に関しては出来る限り学んで調べて、それこそ医学論文まで繰り返し読んで理解に努めてきた。
数多い脳腫瘍の中でも数%の罹患率、症例は限られていたので、良いのか悪いのか容易に資料を探すことは出来た。
具体的にどういう病気なのか、症状は、どう治療するのか、手術のリスクは、後遺症は、再発は、完治できるのか。
なので意味もなく怖い何が何やらわからなくて不安なんてことはもうない。
今回の手術はこれまでとは目的が違うから、かなり大掛かりなものになるしその分リスクも高い。いわば最終決戦だ。
相手は強敵だけれど、私には体力と悪運に関しては自他共に認める強さがある、肝っ玉だって意外とこれが。
うん、なんだかんだでいける。覚悟と共に、意味もなく強気で何が何やらわからない根拠のない自信もつけた。

*

それでも今までの人生でこんなにもめぐるましくはしゃいだ10ヶ月はなかったと思う。
止まることはできなくて、毎日がパレードだった。「もしも」に やっぱり追い立てられてしまった。
会いたい人に会い、出かけ、やりたかったことをし続けた。飛び回った。
季節はぐんぐん過ぎていく。

次第に、しあわせなきもちを重ねるだけ、同じだけの重さの小石をのみこんでいるみたいになっていった。
パレードの先頭からふと振り返ると、誰もいなくなっているんじゃないかって度々足がすくんでしまう。

時間が私の熱狂を徐々に醒ましていった。もう少しだよ、あとほんのちょっとだよって。
そう、終わりのないパレードなんて狂気の沙汰でしかない
そう

* 

19

描くこと
描くことだけは私の中に残るもの
これだけは変わらないだろう。
このことに関しては、なにも心配していない。
今までの描き方は忘れたとしても、きっとまた私は描きはじめる。
これまでの積み重ねを全て失っても、それでもいい。
描ければ、それだけで。
信じている 私の唯一の芯がここにある。

* 

2014年3月28日

一緒にパレードを楽しんでくれた、すべてのたいせつな人へ
あとすこしだけ続きますよ。よろしくね。だいすきだ。
すべてが終わったら、ビールでも飲みながら弱虫な私をちゃんちゃら笑ってひやかしてくんさい。

この場を借りて、私のこれまでに出会ったすべてのものことひとにあらためてありがとうを
楽しくても、苦しくても、悔しくても、嬉しくても、悲しくても、なにがあっても
それでも世界はすばらしいものであると思えるのは わたしがここに在れるからこそ。

ありがとう

こんなになにもかもが中途半端なままで今まで刻んできたものをみすみす手放すつもりはない。

今年は桜をちゃんと愛でて、春の息吹を身体いっぱい吸い込もう
これからも続いていくために。

古林
希望

古林 希望

古林 希望

絵描き

私が作品を制作するあたって 
もっとも意識しているのは「重なり」の作業です。

鉛筆で点を打ったモノクロの世界、意識と無意識の間で滲み 撥ね 広がっていく色彩の世界、破いて捲った和紙の穴が膨らみ交差する世界、上辺を金色の連なりが交差し 漂う それぞれテクスチャの違う世界が表からも裏からも幾重にも重なり、層となり、ひとつの作品を形作っています。

私たちはみんな同じひとつの人間という「もの」であるにすぎず、表面から見えるものはさほどの違いはありません。
「個」の存在に導くのは 私たちひとりひとりが経験してきた数え切れない「こと」を「あいだ」がつなぎ 内包し 重なりあうことで「個」の存在が導かれるのだと思います。

私の作品は一本の木のようなものです。
ただし木の幹の太さや 生い茂る緑 そこに集う鳥たちを見てほしいのではありません。その木の年輪を、木の内側の重なりを感じて欲しいのです。

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