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3F/長期滞在者&more

台湾にて

長期滞在者

IMG_4080先日、台北のフォトフェアーに参加していました。
海外の写真事情も、現地での人脈も特にあるわけでもなく、しかし東京での売り上げだけではどうにもならない閉塞感もあり、販路拡大のきっかけが得られればと考えて、初めて参加しました。

初めて降り立った台北・松山空港からタクシーで宿泊先のホテルに向かいます。パソコンからあらかじめプリントアウトしていたホテル名の記載された書類は全て英語で、それを運転手に見せれば大丈夫と思っていたら、英語が全く読めない。慌ててスマートフォンでホテル名を検索して、中国語のホテル名を探し出し、とても小さな画面を示しながら、懸命に行き先をお伝えしたのですが、今思えば、それが今回最大の象徴で、展示会がスタートした直後に中国語のキャプションを用意しなかったことをとても後悔しました。何度か仕事で訪れた韓国では英語で殆ど通じていたので、英語のキャプションしか用意して来ませんでした。たしかに、簡単な日本語なら通じますし、漢字を示すことで大体の意味は通じますから、まったく漢字を使わないソウルなどにくらべると、日常的に不便を感じることは少ないのですが、台湾はイイよ、という人達の理由の上位である「大体日本語が通じて便利である」レベルの言葉のやりとりだけでは、作品の深いところの会話が成り立たない、ゆえに作品の魅力が伝わらないことになります。

この空間に英語しか書かれていないというだけで、人が素通りしてしまう。多少間違いがあっても、中国語のテキストがあれば、とりあえず足を停めてもらえます。大急ぎで中国語に翻訳し、翌日からコンビニでプリントアウトしたのをマスキングテープで貼り付けると、だいぶお客様が立ち寄ってくれるようになりました。

とにかく足を停めてもらえなければ、こちらから話しかけることもできません。たくさんのブースが並ぶフェアーでは、最初のコンタクトで、いかに興味を持ってもらうかがとても重要だと思います。特に目当てを決めていないフリーのお客様はとにかくたくさんの作品を見て回りたいわけですから、なるべく要点をコンパクトにまとめて、作品の魅力を語ることが必要で、ある意味これは技術だと思いましたし、日頃からの訓練の必要性を感じました。

他方、このイベントに4〜5回来ている出展者たちはさすがで、しっかりと準備ができています。
中国語のキャプションに、現地で雇用した通訳(かなり能力の高い人が必要)、もちろん作品の品揃は、サイズ、技法から、価格設定に至るまで、これまでの経験の蓄積がすごい。

そして、目につくのが、2〜3人の作家さんが、チームとしてブース出展されるケース。
何の予備知識もない一般来場者に向けて、自分の作品を丁寧に説明することを厭わない人は、この種のフェアーでは、良い出会いがあると思います。その代わり、ポートフォリオレビューなどで、専門家にプレゼンテーションするのとは、まったく異次元の会話力と、1日100人に同じように語りかけて、半分以上の人に無関心を装われても、心が折れることなく4日間同じことをつづけられる覚悟がある人に限るでしょう。ぼくたちのような写真家の代理人がいくら巧みに言葉を操ろうが、作者本人が自作について情熱的に語る方が、どう考えても説得力があってこちらは敵わない。
その上、ぼくたちギャラリーへ支払う販売手数料もないわけだから、イベント単体での損益分岐を考えると、そっちの方が得だと考えると人もいておかしくないだろう。

もちろんそのような考えに及ぶ人は、作品制作とは全く違う準備や技術を磨いておく必要があり、誰でもできることではないと思うが、こういうフェアーに顔を出してくる若い世代の作家さん達は、よく研究してそのための準備もしっかりしているので、的外れな支度ばかりして来たぼくなどは、感心してばかりいました。
かつて、作家さんは自分の作品についてペラペラ喋りたがらない、これは普通のことでした。あと15年もしないうちに普通だったものが少数派になるだろうと思い、同時にその時のギャラリーの役割とは一体何なのか?これはこれで、頭を抱えざるを得ない。売れたとか、売れないとか、良い出会いとか、そういうわかり易い手応え以上に、大きな宿題を突きつけられた小旅行でした。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

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