わたしとRと、どちらということもなく、そのきわめて特徴的な声で鳴く鳥の存在に気づいた。4月の沖縄はもうだいぶ暖かくて、午前中に窓を開けて仕事をしていたりすると、この鳥の「ちゅっちゅっ・ちゅちゅちゅ!」という甲高い声が響く。わたしたちのあいだでどちらということもなく、その声の主は「ちゅっちゅ鳥」と呼ばれるようになった。休日の昼間なんかに、窓を開けはなした家のなかで「ちゅっちゅっ・ちゅちゅちゅ!」と聞こえると、鳴いたね…! と顔を見合わせて、ふたりでにんまりしていたのだった。
わたしたちはふたりとも、いちおう生物学者であるから、その声の主がなんという種名のつけられた鳥なのかを明らかにするまでは、落ち着くことができない。鳴いているのはあの鳥かな…? となんとなく見当はつくものの、こちらに来てはじめて見る鳥が何種もいて、みんながわいわい鳴き交わしているから、声と姿の対応関係が確実ではない。研究者というのは、確実な証拠が得られるまでは判断を保留にする、慎重な人びとなのである。
確実な証拠は、じきに得られることになる。その日、(後で説明する) 別な目的のために、望遠レンズのついたミラーレス一眼をたまたま手にしていた私は、電線にちょこんと乗っかって鳴く「ちゅっちゅ鳥」をみつける。そのまま…そのままにしててね…と心のなかでつぶやきながら、望遠レンズをのばして画角に入れ、ピントをあわせて、数枚写真を撮ったあと、動画の撮影を開始する。「ちゅっちゅっ・ちゅちゅちゅ!」とその鳥が2回ほど鳴くまで動画を撮って、やった! ついにやった! と喜び勇んで家に帰る。
その夜、帰ってきたRに動画を見せて、たしかにこの鳥であると、ふたりで確認する。翌日、何をどうしたのか知らないけれど (そしてわたしはRのそんなところをいつもすごいと思うのだけれど)、Rは、この鳥じゃない? とURLを送ってくる。あの鳥の写真とともに、「シロガシラ」とあった。かくして、まるで『ゲド戦記』かなにかのように、「ちゅっちゅ鳥」の真の名はシロガシラ (Pycnonotus sinensis) であると知られ、その存在はわたしたちの把握下におかれた。
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オオコウモリのことも話しておきたい。
もうかなり暑くなってきた、梅雨入り前の、その日の昼前、近所のスーパーで買い物をして帰ってきた私は、青々と茂った桜の木の若葉のなかに、なにやら茶色のかたまりがいるのをみつける。猫…? と思ってよく見ると、そのかたまりと目が合い、爪や翼や、逆さまにぶらさがっているのに気づく。
動物好きの友人が言っていた、沖縄にはオオコウモリという大きなコウモリがいて、夜の街中でばさばさ飛びまわってるからびっくりしちゃった、という話が、頭のなかですぐに思いだされて、ああ、これがオオコウモリなのか…! とわかる。あらためて見ると、やはり大きい。オトナの野良猫くらいのサイズ。それが、木にぶらさがっている。
しばらくそこにいてね…と心のなかでつぶやきながら、急いで家に帰って、ミラーレス一眼に望遠レンズをくっつけて、すみやかにその場に戻ってくる。びっくりさせないように注意しながら、身を乗り出して、逆光の条件をうまく調整しながら、何枚か写真を撮る。写真を撮りながら気づいたのだけれど、大きな個体と小さな個体がくっついていて、たぶん親子なんじゃないだろうか。何分かすると、どちらも目を閉じて、羽をきゅっと縮めて、眠りについてしまったようだった。(そうして、わたしはこの後に、ちゅっちゅ鳥の鳴く姿をとらえることに成功する)。
その後、いろいろな場所でオオコウモリは目にするけれど、やはりそのような機会は夜にあることが多い。だから、あの日のようにはっきりと、オオコウモリの姿を観察できた機会は、ほかにない。あの日以降、あの桜の木のそばを通るたびに、ついつい枝を見上げてしまうけれど、オオコウモリが休んでいるのをふたたび見ることはなかったのだった。
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沖縄に来れば、たぶんすぐにわかる、不思議な木がある。フクギというのだけれど、丸くてぽてぽてした葉っぱが、これでもかと生い茂り、密に詰まった力強さを感じさせる。昔から、海風や台風の防風林として使われてきたようで、道端や生け垣に何本もつづけて植わっていることがある。たしかにこれだけ厚ぼったい葉っぱが密生していれば、風よけの役割は十分に果たしてくれそうに見える。
フクギは秋になると実をつけるらしい。この実はオオコウモリの大好物だけれど、人も食べられるらしい。ランニングコースになっている海辺の道にいっぱいフクギが生えているから、秋になるのが楽しみだな…と、春にはそう思っていた。
ところが、5月、海辺の道を走っていると、すでに丸くてコロコロした実がたくさん落ちている。これはなんの実だろうと思って、拾って帰って、調べてみると、どうやらテリハボクという木の実らしい。テリハボクは、フクギとよく似ている木のようだ。ということは…私がフクギだと思っていたのは、じつはすべて、よく似たテリハボクだったのかもしれない。あれもテリハボク、これもテリハボク、なんてことだろう! そしてなにより、テリハボクの実は食べられないらしい。なんてつまらないことだろう。
そんなふうに落胆の数ヶ月が経ったあるとき、沖縄南部のほうで名所になっている「フクギ並木」を訪れた。そこにあったフクギは、わたしがこれまでテリハボクだと思っていた木だった。季節は晩夏。真のフクギにはいびつな黄色い実がついており、テリハボクの実とは明らかに違っている。混乱した頭を抱えたまま、海辺の道にふたたびやってきたわたしは、やはりテリハボクだったのかと落胆していた木にも、そのフクギと同じ黄色い実がついていることを発見する。
この瞬間に、わたしはいろいろ理解した (フクギ・ショック!)。海辺の道にはフクギとテリハボクが両方とも植わっていて、「よく似ている」という情報に惑わされたわたしは、両者の類似を必要以上に過大評価してしまっていたのだった。よく見ると、フクギとテリハボクはけっこう違う。テリハボクの葉っぱはフクギよりも薄くてカサカサしており、枝ぶりも粗くて、密な生命力みたいなものも感じられない。
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こういった生き物のこと、見分けることができても、毎日の生活には特に役立たないだろうけれど、わたしにとっては、新しく暮らしはじめた土地に、感覚がなじんだような気がして、なんだかうれしいのだった。