僕は若いころからずっと睡眠時間が短く、基本4時間半しか眠らない。1時間半の整数倍の睡眠時間にしておけばレム睡眠ノンレム睡眠の周回的に目覚めが良いと聞き、だったら6時間よりは4時間半にしておけば人生を有効に使えるではないか、と睡眠時間を短くする訓練をした。結果、二十代の半ばからずっと4時間半の睡眠でやってきている。
短い睡眠時間だが、かなり深く眠ることができているらしく、それで日常生活には支障をきたさない。だが支障をきたさないギリギリの線なのだろう、車の運転は大の苦手である。微振動が続く座席に座っているとすぐに眠たくなる。死にたくはないので、運転免許は持っているけれど極力自動車の運転はしないことにしている。
仕事上、どうしても車に乗らなければならないこともあるのだが、「20km以内なら自転車で行きます」と僕が頑なに車に乗りたがらないので、職場でも諦めたのか、近場の仕事ばかり振られるようになった。言い続ければ願いは叶うのである。
SNS等の書き込みで活動が深夜に及ぶらしいとわかるのに朝普通に仕事に出かけているのを見て、たまにカマウチさんいつ寝てるんですか? と驚かれるが、ここ30年ずっと深夜2時半に寝て朝7時に起きるという生活サイクルなのである。
睡眠時間が短いので眠りは相当に深いはずだ。それが証拠に、僕はほとんど夢を見ない。年に数回だけ、というレベルである。もしかしたら見ているのかもしれないが、ほとんど覚えていないのだ。枕元にノートを置いて、起きた途端に夢の記録をすると面白いよと誰かが言うのでノートを準備してみたこともあるけれど、1年経っても1ページも埋まらないのでやめてしまった。夢も見ないつまんねーやつ。いやほんとに。つまんねーよ。
そんな「夢を見ない」僕が、それでも頻繁に見る夢がる。頻繁と言っても夢を見る回数が回数なので大したことはないのだけれど、それでも今までに5~6回は見ている。数少ない回数の中の5~6回というのは尋常ではない。
それがまた妙に分析しやすそうな夢である。
若いころ、演劇青年だったことは前にどこかで書いたかもしれないが、舞台に立っていたのは3〜4年くらいでしかないのに、いまだに舞台袖で迫る開演時間に怯えている夢を見る。客電が落ちて今から舞台が始まるというのに、僕はまだ台詞が入っていなくて、このまま出て行って大丈夫なのか、本当に大丈夫なのか、と大汗をかいている夢なのである。
台詞が入っていない(覚えきっていない)理由もワンパターンで、僕は誰かの急遽の代役なのである。
「10分やる。覚えろ。死ぬ気でやれ」と演出家に言われて、「でも動きとか全然打ち合わせしてないのに!」「何とかなる!」そういうやりとりののち、舞台袖から意を決して出ていく。
こんな夢を頻繁に見るからには実際の演劇青年時代にそういう危機があったのかといえばそういうわけでもなくて、本当に台詞が入ってなくて大焦りで舞台に立った、というようなことはなかった。別に大した役者ではなかったけれど、だからといって大失敗の記憶もないのだ。演出家の要求も妙に具体的だが、これは、くらもちふさこの漫画に大女優が高校演劇部の舞台の急遽の代役を引き受けてくれるというシーンがあって、台詞を入れるのに「10分ちょうだい」というシーンがあるのだ。夢の中の演出家の「10分やる」はそれが元ネタなのだと思う。
夢の話からはちょっと外れるが、舞台で焦った記憶と言えば、の話を少し。
とある舞台で、僕が高校球児の役で、監督の千本ノックを右に左に転げまわりながら受ける、というシーンがあり、その前の場面で、トラブルで別の役者さんが持っていた小道具のガラス瓶が割れてしまうという事故があった。舞台の繋がり上、そのガラスの破片を片付ける暇もなく、ガラスの散った舞台で僕は転げまわらなければならなくなった。
破片の散らばり具合を即座に観察してできるだけ少ない床にダイブを繰り返したのだが、やっぱり少し手の甲と肘を切ってしまい、手から血がポタポタ落ちていた。
その怪我に最初自分では気づかず、血のついた手で顔の汗をぬぐったもんだから目の周りに血がついてしまい、観客席前列のお客さんは僕が目をガラスで怪我したように見えたようで、みな蒼白な顔をして見ていた。「ひっ!」と悲鳴を上げる人すらいた。
そのあと、旅館の女中の役の二人がアドリブで台詞を繋ぎながら箒で舞台を掃除するという機転を利かせてくれたので後半はトラブルなく進行できたのだが、まぁ、舞台で大焦りしたという記憶はそれくらいのものだ。
でも見る夢はガラスへのダイブではなく、台詞への不安なのである。
あと、死ぬ夢というのを何度も見る。
何度も、とはいっても、前述のように夢を見る回数自体が極端に少ないので、舞台袖の夢と同じくらい、5~6回のことではある。僕は少ない夢のうちの大半を舞台袖で台詞が入っていない夢か、自分が死ぬ夢かに占拠されているということである。どれだけ切羽詰まって生きているのだ?
死ぬ理由もパターン化している。落石事故とか、ビルが破壊されて空から破片が落ちてきて当たるとか、なんせ固い落下物に潰されて死ぬことが多い。空襲とか大地震とか、大きな怪獣が暴れているとか、そういうものから逃げ回った末の、何かに潰されての死である。
あまりにパターン化しているので、夢の中で「また夢だな」と気づくこともある。そして夢の中で夢から覚める努力をする。しかし夢の中の僕には夢から覚める方法がわからない。夢の中で自分の顔を叩いてみたり、飛び跳ねたりしてみるが、そんなことでは夢から脱出できない。
そうこうするうち、何かが落ちてきて死に、死んだあと不意に目が覚める。目が覚めると、夢の中で自分がしていた「夢から覚める努力」が、いかに的外れなことであったかを思い知る。「そりゃあんなことしても覚めないわ」と、体を起こしてからつぶやいたりしている。
死ぬ夢の大半はそういった落下物による圧死だが、一度だけ、違った死に方をしたことがある。
僕は何か、敵の集団から逃げている。実は逃げる途中ですでに首を切断されており、落ちた首を自分で胴体に押し付けて、両手で自分の首を押えたままマンションの外階段を駆け上がっている。よく押さえていないと血が噴き出るので大変なのである。
首を斬られて自分が死ぬ恐怖(なぜかまだ死んでいないが)よりも、「首を斬られても生きている」という事実を知られることを極度に恐れている。そういう設定である。
外階段も最上階まで上がってしまい、下から追手の足音が迫る中、僕は肝を据えて考えている。捕まって首の秘密を知られるくらいなら、ここから飛び降りて死ぬ方がいい。
夢の中で覚悟を決める。その覚悟の据わり方が、夢の中だがものすごくリアルなのだ。僕は今から死ぬ。
夢の中だが実際に知っているマンションの外階段なので、そこが14階であることがわかっている。確実に死ぬことがわかっていて、それでも意を決して飛び降りる。
夢から覚めたとき、ああ、死ぬときってこういう感じなのか、とリアルに腑に落ちている自分がいた。死ぬのが怖いと思って常々生きているが、いざとなったら死ねるもんだな。夢とはいえ、そういう覚悟をリアルに体験した。
なんかね、説明しにくいが、あれから少し、死ぬのが怖くなくなったのだ。肝据えて、あっちに渡るだけだろ、みたいな。
あ、もちろん死にたいわけではないですよ。恋々と生には執着しますよ。
でも、ああ、ああいう感じか、とわかった(気がするだけだが)のは、ちょっと大きいな、と思うのです。