入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

道具

長期滞在者

今住んでる家がもうすぐ築18年になるので、設備にあちこちガタがきている。給湯機にエアコン、ウォッシュレット。相次ぐ故障でここ数年でびっくりするような出費が続いた。さすがに18年だし壊れても仕方ないのであるが、できるならもうちょっと時期をばらして壊れてほしい。

先日も台所の流しの下が水漏れして大変だった。水栓下の水管が経年劣化したのだ。いろんなものを流し下の収納スペースに押し込んでいたので水浸しである。混合水栓ごと交換で数万円。またも薄い貯えがー。
とにかく流しの下の惨状である。
全部引っ張り出して濡れた紙函類は廃棄し、中身を全部出して水気を切った。
いやいや、出てくるわ出てくるわ。よくもこんな狭いスペースにこれだけ入ってたな。
アルミの片手鍋が大中小、大なんて業務用だろこれ。径40cmある。おでんなら一週間分炊けるかも。商売できるレベルだよ。
鉄のフライパンに平たいアルミのソースパン。ぎんなんを炒る網なんてのもある。
大小2本の立派な出刃包丁。マグロも解体できそうなちゃんとしたモノ。高かったろうな。入れてた個箱が濡れてベコベコになり廃棄したので、ムキ身の出刃は物騒なことこの上ない。怖いのでとりあえずタオルで巻いた。
砥石の粗いやつと細かいの各一台ずつ。厨房出身者はちゃんと包丁研げるんですよ。
食パン二枚を挟み込んで直火でホットサンド作れる器具(バウルー)、同型のワッフル焼き器。18年間存在も忘れていたけど、前に書いた「紅茶の軍隊」* の店で出されたワッフルを真似しようと買ったのだ。

出刃のほかにもう一本、柳刃のような細い包丁が出てきて、何だっけ、と思い出せば、30年前、カンテグランデを辞めたときに記念にもらった、厨房で使っていた牛刀なのである。もらった、というか勝手に新しい包丁を買ってきて「これと交換して!」と半ば無理矢理奪ってきたのだが。
え? 牛刀? これが? というくらい細いのだが、おそらく十年以上使われて研いでは使い研いでは使いするうちに刀身が細くなってしまったのだ。研ぎすぎて刃元近くが内に反ってしまい、玉ねぎのみじん切りなんかしたら手前の方がまな板から浮いて切れにくく、実用的価値はない。
ウルフルズの面々(トータス松本氏とジョンB氏)も一緒に働いていたので「ウルフルズがカンテ時代に使っていた包丁!」と「開運!なんでも鑑定団」に出せば高値が付くだろうか。
出しませんけどね。

(柳刃包丁じゃないですよ。れっきとした牛刀なんですよ!)


カンテ時代(二十代前半)、淀川区のボロアパートに住んでいて、台所には電熱コンロ1つ、水道は鍋を洗って水を切らずに一晩置いておいたら鍋の底に白いカルキの粉がこびりつくような劣悪な水質。おまけに隣の部屋との境の壁はベニヤ板レベルに薄く、隣人の電話の内容まで全部わかる始末だった。屁も聞こえたよ。
大学を辞めてしまって親と喧嘩になり、とりあえず持ってる金で入れる部屋、というのでここに来たのである。名は「淀川マンション」。どーこーがー! どこがマンションだ。「淀川荘」でもお釣りがくるわ。
で、前にも何かで書いたことがあるかもしれないが、そのボロアパートで1年ほど暮らしたころ、地上げ屋がやってきたのである。絵に描いたような悪い顔をした男が、絵に描いたようにアタッシュケースいっぱいの札束を僕に見せ、その中から一束抜き出すと「100万やる。4月末までにここ出て行ってくれるか。入居の保証金に15万払ってるやろ、それも出すわ。ほら115万。黙って出て行ってくれ」
時あたかもバブル末期、世の中が浮かれているという噂だが、飲食店アルバイトの低所得生活者の僕には何の実感も湧いていなかった。そこへ、バブルの象徴のような「アタッシュケースに札束」がいきなり登場したのである。世の中浮かれているという噂は本当だったんだなぁ、と変な感慨に耽った。
その札束を持って、月4万円のボロアパートから雄飛、7.5万円の小綺麗なワンルームへ越したのである。
ガスコンロがある! 普通サイズの冷蔵庫が置ける! まともな換気扇がついている! 夢のような部屋だ!
いやいや、前がボロすぎただけでぜんぜん普通~な部屋なんですけども。

思いがけず手に入った「普通の部屋」、今までやりたくてもやれなかったことが出来る!
料理である。
先日水浸しの流しの下から出てきたのが、当時、喜び勇んで道具屋筋に買いに行った調理道具たちなのだ。商売できそうな大鍋も、立派な出刃も、このとき購入したものだ。
カンテの厨房で働いていたので、僕はそこそこの料理は出来るのである。フライパン片手であおっての炒飯だってできる。仕事では毎日大量に調理(玉ねぎ30個みじん切りとか)をするが、しかし家に帰ったら、先ほど説明した、思いっきり水質が悪くろくなコンロもないつまらない台所しかなかったので、料理する気なんか起きなかった。
それが、普通の台所を手に入れたのである。
一念発起して料理に目覚めた女の子が通販で調理道具を揃えていき、調理技術がガンガン上がって行く、という最近のAmazonのCMがあるけれど(あれカッコいいよね)、引っ越しで得た、まさにああいう喜び。この際だからと道具屋筋(大阪難波にある調理器具の専門店街)に飛んで行って散財したのだった。

出刃を買うくらいなので、始めは凝って魚を三枚におろしたりもしていたのだ。
ある日友人が遊びに来て夜中に飲んでいて、アテがなくなったので「ちょっと待ってて。なんか魚でも焼くわ」と、酔ってるくせにこの出刃で料理を始めたのである。阿呆である。
ざっくり左手の手のひらを切った。
そんなに深い傷ではなかったと思うのだが、酔っていると血とは止まらないもので、夜中なので病院も開いておらず、朝の開院時間まで手首を縛って血止めしての大騒ぎだった。朝になってから病院へ行き3針縫った。
あれから怖くなって出刃はしまい込んでしまった。今でも左手に傷跡が残っている。


大鍋も出刃も、結局そんなには使わず、引っ越しによって流しの下に詰め込まれることになってしまったのだが、この大鍋や出刃を道具屋筋で買い込んだ時に、一緒に買ってきたものがもう一つあって、珈琲のドリップポット。
これは、あのときの僕を誉めたい。よくぞ買っておいてくれた。
タカヒロの細口のものすごく使いやすいやつ。今調べたら、同じグレードのものが1万3千円くらいしてる。当時はそこまで高くなかったと思うが、それでも7~8千円はしたような記憶がある。勢いで買っててよかった。こればかりは30年間、毎日のように活躍している。
珈琲はそれなりの器具を使わないと美味く淹れられるようにならない。良い道具を買ったので上手に淹れられるようになり、上手に淹れられるようになったからこそいまだに珈琲を淹れるのも飲むのも好きでいる。道具はとても大事なのである。

・・・・・・

そういえば写真の仕事を始めたころ、ニコンFEやFM2のボロボロ中古に安価なレンズをつけてた僕に、先輩のK氏が「機材は無理してでもええもん買え。コンタックスにプラナーとか使ってみたらどうや」
というので、そんな機材に金かけるくらいなら1本でも多くフィルム買いたい、というと、
「違うんや。機材に金かけるんは自分の写真に言い訳できんようにするためや」
まぁ確かに、なるほど、と納得して、ライカを買ったりもした(素直には言うことを聞かない)。
そしてたしかに、あのライカを使い倒していた数年間は、「写真とは光を読むことである」という基本中の基本を僕に叩き込んでくれた。
露出計のない機械式カメラを使うのも初めてだったのではじめは苦労した。
この感度のフィルムで晴れの日向、このシャッター速度のとき絞りいくつ、日陰に入ったら絞り2段半開けて、曇りの日はコントラスト上げるために体感より少し絞りを開け・・・というような風に、つねに絞りリングの上から左手の指を離さず歩く。全身で露出計になる。
レンズは35ミリか50ミリどちらかだけ。画角を体に叩き込むため、その日一日はその焦点距離だけで撮る。交換レンズは持ち歩かない。
ピントは2メートルに合わせておいてフレーミングしたら最小の指の動きでピントリングを回す。
やってたことではあるが、今あらためて書いてみたら武者修行のようだ。
いやほんと、大真面目で「修行」していた。ライカって僕にとってそういうカメラだった。**

・・・

*)紅茶の軍隊 → 参照
**)そのライカを落とした話 → 参照

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

一生モノ、という言葉があるように、モノのなかには生涯買い替えない道具がある。

へたな人間関係よりも、そのモノとの付き合いは長く深くなり、いろいろなものを巻き込んで人生の一部に居座る。

居座るといっても、そんなに主張の強いヤツばかりではなく、時には存在感がないに等しいモノだって、長く長く連れ添うことになるのが道具だ。

様々なジャンルの道具たちとのエピソードは、どれもなんだかやさしい手触りである。
それがちょっと怖かったり、痛かったり、危なかしかったとしても。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る