様々なことがリセットされる中、自分でルーティンを作り、生活リズムを固定化する必要がある一方、下手したらジャンキーに成り兼ねない状況が続いている。
私が勤めているベンチャー企業でも、コロナとの付き合い方やコロナ収束後に向けた動きについて、ビデオ会議を繋ぎ、国を跨いだメンバー達と意見交換する。マレーシア、シンガポールもトップダウンで強制力を伴った対応が取られている。日本では今後収束まで1年もしくは2年かかるか。大人数が集う行事は特にしばらくの間は厳しいだろうなぁ。
ライブハウスに行くことも今年中は諦めている。少しでも協力できればと、よく轟音を浴びに行っていた新大久保のライブハウスEarthdomへのベネフィットとして来月発売される、Forwardの限定アルバムを予約した。
ほとんどの人が家で仕事をしている現在、これまでよりも音楽や本に時間を費やす人が増えているだろう。私の職場でも、Slack内に”普段どんな本を読んでいるか”をお互い紹介し合うチャンネルがある。職場はバイオ業界なのだが、敢えてお堅い”理系本”を除く形で、それぞれ気軽におススメ本を紹介し合う。これが「え、この人こういう作品好きなんやぁ」とそれぞれの新たな側面を知ることが出来て面白い。私も下記の通り、紹介した。
4月に入ってから読んだ本の中で特に心に残ったもの3つをあげます。
①「誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡」著者:木村 元彦
幼き頃からストイコビッチのファンだったこともあり、ブックオフで偶然この本を見つけて購入。最も印象に残ったのが、クロアチアがユーゴスラビアから独立する際、ユーゴ代表の中でクロアチアにゆかりのある代表選手たちがクロアチアかユーゴか選択を迫られるシーン。すぐさま選択を表明する選手がいる一方、複雑な事情から決められない選手がいる。涙が出そうになったシーンを以下抜粋します。
『最後まで悩んだのがプロシネチキであった。彼は父がクロアチア人、母がセルビア人である。出身はクロアチアのザグレブであるが、プレーヤーとして育ててもらったのはセルビアのベオグラードを本拠とするレッドスターである。FIFAの規定では、以後一度でもユーゴ代表チームでプレーすると、二度とクロアチアの代表にはなれない。逆もまたしかり。ストイコビッチも相談を受けたが、やすやすと結論が出るものではない。プロシネチキはケガを理由にどちらの代表へも参加を頑なに拒んだのである。』
非常事態宣言が出る前日にこのページを読んでいたのですが、コロナ感染拡大によって”覆水盆に返らず”の決断がこれまでよりも多く増えている中、プロシネチキの葛藤がとてもリアルに感じました。結局、プロシネチキはクロアチア代表を選択しますが、もしもユーゴ代表を選択していたら、98年のW杯でユーゴ代表は決勝まで進んでいたと私は強く思っています。
②「したむきな人々―近代小説の落伍者たち―」外村彰・荒島浩雅・龜鳴屋編
金沢にある龜鳴屋という小さな出版社から出された本です。これまでの人生の中で、図書館6割:古本3割:新品1割という割合で本を味わってきましたが、コロナを機に少しずつ割合をシフトしていこうと勝手に決意し、その第一弾として先週購入。グレゴリ青山氏のカバーが素晴らしく、所有欲が最大限にくすぐられました。
実は、初めからこの本を買おうとしていたわけでなく、同じ龜鳴屋から出ている「ひたむきな人々―近代小説の情熱家たち―」を購入しようと思っていたのですが、既に完売していたため”ひたむき”をもじったであろう”したむき”の方を購入。そして読み始めて気が付いたのですが(先に副題で気付けばよかったのですが)、この”したむき”は文字通り”下向き”という意味で、”下向きな主人公”がひたすら出てくる短編集でした。ただ時代が時代なだけに、(初期)いましろたかしの漫画の登場人物が抱える絶望的な”下向きさ”とは少し別の軸の”下向きさ”で溢れる作品集でした。
ちなみですが、この短編集の中で特に印象に残った安久昭男氏の別の作品(「悲しいことなどないけれどさもしいことならどっこいあるさ」)も同じく龜鳴屋で追加で購入しました。
こちら未読ですが、週末の楽しみにとってあります。”悲しい”と”さもしい”の違いがまだ自分の言葉で説明できないのですが、この作品を読んだ後は一丁前に語れるようになってるんじゃないかと期待に胸を躍らせております。(そしてこの鈴木翁二氏のカバーが鳥肌モノ!おそらく早稲田松竹をモチーフにしているんじゃないかと勝手に予想してますが)
③「現在(イマ)ここで、ちゃんとやれ! そして、夢よ叫べ!」著者:遠藤賢司
皆さんご存知の《言音一致の純音楽家》遠藤賢司氏の言葉がひたすら並んでおります。帯には『壁にぶつかった時にこそ聞きたい不滅の男の言葉』とありますが、私は壁が遠くに見え始めたときによくページを捲ってます。
・待ちすぎた僕はとても疲れてしまった
・ラーメンライスで乾杯
・寝図美よこれが太平洋だ
・君にふにゃふにゃ
といった彼の作った曲のタイトルを眺めるだけで、”あぁ日本語ってこんなに遊んでええんやなぁ”と思えてきます。
“それに引き換え自分は、独り言をつぶやくときでも、何やらフィルターを通った言葉になってもうてる気がするなぁ”
“そやかてフィルターを通さんでおこうと意識的になると、もっともっと日本語が遠くにいってる気持ちになるなぁ”
これまではよく何時間も散歩しながら上記のような脳内完結型の堂々巡りをひとり嗜んでいましたが、最近はスーパーへの買い出し中などに堂々巡りをして吹き出しそうになったとき、マスクをしていることで他人に口元はバレず、ただただ “あの人、目がやたらと細いなぁ” と思われるだけなので、空想が趣味の私は少し助かっております。このチャンネルを、NHKの『サラメシ』を見る感覚でいつもほっこり読んでいたんですが、みなさんが読んでいる本、もっともっと知りたいなと切に思ってます。
という投稿を社内のSlackチャンネルに上げた。
実は、③の本は実際は持っておらず、別のエンケンさんの本を持っているのだが、こちらの本がストレートなタイトルだったので、少し脚色をつける形で意図的にこちらを取り上げた。
こういう時期だからこそ、一緒に働いているメンバーや友人達のこれまで知らなかった側面を知ることのできる機会が増えるのではないかと思っている。コロナを逆手に取り、多くの人達の”人となり”を知るきっかけとして昇華できたら面白いと思う。
その一つとして、今週末は、いつも私の記事にレビューを寄せてくれている小峰隆寛(コミ―)が新たに書き溜めている物語を読んでみようと思う。学生時代に会ってから10年来、3ヶ月に1度会って呑む間柄で、呑みの席では”即効性”のある話がどうしてもメインになってきたが、上記の物語を読むことで新たな側面を感じられるのはと楽しみにしている。
またこうした新たな側面を知れる可能性があるのも、書いて残しているからなんだなぁと、”発信”と”残す”ことの重要性をつくづく思い知る。今後、ポストコロナ期にこうした行為の立ち位置がどう変わっていくか注視していきたい。