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2F/当番ノート

千葉パルコの閉館と田畑の呪い

当番ノート 第23期

 千葉パルコのレストラン街のカフェにいる。とても驚いたけれど、千葉パルコが来年の11月に閉館する。高校時代から付き合いがある店だっただけに、とても残念だ。よく高校からの帰り道に、友達とパルコバスに乗って、千葉駅まで帰ったものだった。(註:パルコバス:千葉駅とパルコを往復している無料の送迎バス。赤と青の二種類のバスがある)
 パルコといえば80年代の渋谷だけれど、僕はその頃の渋谷を知らない。渋谷。ときどき、あの意味もなく騒がしい雑踏が恋しくなる。空想上の渋谷では、言葉として聴き取ることのできる会話は聞こえない。波の音にさえ近しいざわめきが、ホワイトノイズのような心地良いものとして想起される。

 洒落た店内にいるのは僕とカップルひと組だけだ。内装といい、照明の作り出す雰囲気といい、東京にあれば仕事帰りのサラリーマンがこぞって立ち寄り、パソコンを開いて作業をしていそうな空間である。それなのにひとがいない。速度を変えることなく回り続けるミラーボールの光が照らすのは、何も乗っていない櫟色のコースターのみ。

 客のカップルの女の子が今日は誕生日だったようで、午後の8時頃になると、店内の照明が落ちてHappy Birthday to youが流れた。男性店員と女性店員の二人が拍手をした。僕も拍手をした。祝われている女性は25歳くらいだった。平日の夜にはほとんど来客のない静かな空間であることを知って、男性この店をが選んだのだとしたら、その目論見は成功したことになる。それはそうとして、皆いったいどこで夜を過ごしているのだろう、と思った。少量のウイスキーを飲み、世界がようやく色づき始める。

 そういえば、私はブログが好きだったことを思い出した。この広いインターネット上で、匿名でなんでもないことを書けることは高校生だった自分には十分過ぎるほどの喜びだった。いくつかのコミュニティにも属して、少なくない人に会った。いまも覚えている人もいれば、忘れた人もいる。久しぶりにはてなアンテナを開いて、2007年で更新の止まっているサイトや、2009年で止まっているサイトを見つける。昔よく読んでいたサイトも、ある日を境にして更新されなくなった。彼らの多くは、書き手であるときには10代後半から20代前半だった。多くの書き手はなにかしらの悩みがあった。個人的な独白と、寂しさ。誰にも見られない紙の上に並ぶ文字列と、誰かが見るかもしれないという意識が生む文体の揺れ。そういえば、私はそういう見られたくない気持ちと見てもらいたいという気持ちの間に生まれる空間が好きだった。

 帰り、ゆっくりと栄町を歩いた。もう何年もシャッターを開けていないだろう薬局や精肉店を除けば、栄町は千葉で一番の歓楽街である。栄町交差点から千葉市民会館に向かう道は、いかにも「ここから先は大人だけ」という雰囲気を醸し出している。だが、明治にはそんなことはなかった(詳しく調べていないが、おそらくそうだろう)。今の千葉駅が、いまの千葉市民会館のあたりにあった頃のこと。それが戦争を挟み、千葉駅の位置が数百メートル移動してしまったがため、いまの千葉駅周辺は中心を失ってしまった。一番の目抜き通りが、駅に向かっていない。かつ、街の中心地として想定されたであろう中央公園はその機能を果たせていない。いびつな相貌をした、グロテスクな様相を呈している。心臓がその機能を二分し、身体の一部が壊死してしまったような感じだ。いまの栄町には、夜、性的なサービスを受けるためにまばらに吸い込まれていく人たちを除き、人の流れは殆どない。

 かつて、パルコのある場所は、旧千葉駅から栄町を抜けると見える場所にあった。(正確には田畑百貨店があったが、原因不明の大火災によって店舗は全焼、田畑社長が亡くなり、その後1976年にパルコになった)。駅の場所が変わっていなければ、このパルコはもっと繁盛しただろう。潰れることもなかったかもしれない。明治の趣を残した古い街並みを抜けると見えるパルコというのは、人の心に物語を生み出すには十分である。この栄町からパルコへ抜ける道は、駅周辺で唯一、重層的な時間の蓄積を感じることができて、構図としても美しい。人に歩きたいという気持ちにさせる魅力がある(だが、左右を見渡せば風俗店とソープランド、ラブホテルであり、わざわざ歩こうという人はいない)。

 ところで、千葉駅の改修工事はもう10年くらい続いている。僕が高校時代から続いているから、10年以上になる。なのにまだ終わらない。来年には工事が完了する予定とのことだが、そんな予定がどうやったらたつのか疑問だ。永遠に終わらないのではないかという気さえする。あたかも、この場所を千葉駅として確立したくないという何か得体の知れない力が働いているのではないかと疑いたくなるくらいだ。私は帰り道に、これを「田畑の呪い」と名付けた。旧国鉄の事情から千葉駅が移動し、人の動線を失ったがために経営が悪化し、さらには原因不明の火災によって死んでいった田畑百貨店社長の呪いによって、千葉駅の改修工事は永遠に終わることがない。

たも

たも

防音室に住んでいる。ヴィオラとピアノを弾いて、走って、泳ぎはじめました。

Reviewed by
小沼 理

これまで森田さんが音楽について書いてきたどの文章よりも、音楽を感じたのはどうしてだろう。更新の停止したブログ、さびれた歓楽街。忘れられたランドマークが、あまりにも静かだからだろうか。心臓に回帰しない静脈を流れ続けていくような美しい衰亡。

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