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2F/当番ノート

なりきること

当番ノート 第23期

本番が近い。
音楽家は、練習後と本番後は、いつもどんちゃか飲んで喋る生き物で、そのために生きているようなところがある。
だからここ数週間はどんちゃかしていた。
フォーサイスのArtifact、Perfumeについて考えていたけれど、ここ一週間はショスタコーヴィチとベルリオーズのことばかり。
暗譜しないと十分に五感のアンテナをまわりに張れないし、そして、そこまでのレベルに本番までもってく本番というのは、
非常にまれだ。
仕事をしながら音楽をするのは初めてで、感性というか、気持ちを維持することの難しさも感じている。
だから今回はとてもとても緊張している。。(笑)

この週末、ワディム・レーピンというヴァイオリン奏者と共演する。ヒラリー・ハーンとか、ヴェンゲーロフとかムターと同等のすんげー人だ。

レーピンの動画。

彼と練習していると、楽器は純粋にお遊びの道具なんだなと思う。
おもちゃのように、というと失礼かもしれないが、飲み食いするのと同じレベルで楽器を扱っているように見える。
練習という概念があるのだろうか、と不思議なくらいだ。このレベルで勝負できるには、どれ程の、どのような努力と鍛錬を重ねればいいのか、想像もつかない。

レーピンのリハーサルはこれまで一緒に演奏したどのソリストよりも面白いものだった。
ドアを突き破っていきなり入ってくるジェスチャーとか、モジモジして異性を誘う動きとか、指をさして人を小馬鹿にする様子とか、慟哭とか、とにかくその場その場での感情の出し入れが本当に多彩だし、リアルだ。泣いていると思ったら次の瞬間にはおどけてみせたり。
ものまねが上手だ。
というのは、つまり演じているということなのだが。

なにかに「なりきる」ということ。
鳥であれば鳥に、亡霊であれば亡霊に、悪魔であれば悪魔に。雷であれば雷に。
ああ、人間は人間でないものにもなれるのだなぁ。

明日はなにかになりきれるようにがんばろう。
(ミューザ川崎シンフォニーホール18:00開演です)
http://phil-aeterna.org

たも

たも

防音室に住んでいる。ヴィオラとピアノを弾いて、走って、泳ぎはじめました。

Reviewed by
小沼 理

飲み食いするみたいに自然に音を奏でられることと、何かに「なりきる」こと。一見相反するようだけど、その隔たりを飛び越えた瞬間、音楽家はどこへでも行ける翼を授かるのかもしれない

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