家の近所となると、家から何キロくらいまでを指し示すのか。
「ご近所さん」という響きにはそぐわないが、家から7-8キロほどの海沿いの町がとても気になっている。何か沼のように惹きつけられる町なのだ。
その町には東西方向に2本の鉄道路線が走っており、それらの路線の北側はチェーン店が密集したターミナル駅の様相なのだが、南側には個性的な昔ながらの店がたくさんある。
特に南側へ10分ほど歩いた場所にある、漁船が何隻も浮かぶ川を超えた地帯は、駅の北側ロータリー付近とはまったく別の顔をした町になっている。
この川を超えて30分以上歩くと海に出るのだが、海沿いには埋め立て地が作られており、ここに石油、ゴミ処理、製鉄などの大型の工場やサイロが乱立している。
この埋立地近辺の工場密集地帯と漁船が浮かぶ川の間にあるエリアが個人的に大変惹きつけられるエリアだ。観光名所のようなものはなく、また駅からのアクセスもよくないため、明確な目的がない限り住人以外はあまり訪れないだろう。このエリアを歩いていると、工場に勤める南米出身の人達が多く住んでいるためだろうか南米料理屋が数多く揃っていることに気付く。
このエリアの中央部に走る大通りの中央にユリショップというお店がある。ユリショップでは南米料理に用いられる各種食材が売られており、 また食材だけでなく調理された料理をその場で食べることもできるようであった。 私が店の前を通った際も、店を囲むよう南米出身の人々が集まり雑談をしていた。一種この通りのシンボルのような存在で、集まりやすい場所なのだろう。
私がこの通りを歩いたのは休日の夕方であったが、ユリショップの向かいの酒屋/角打ちでは、顔までびっしりとタトゥーが入った若者が地元のおじいちゃんたちに囲まれながら道路に椅子を出して酒を飲んでいた。
通りをもう少し進むと、沖縄の食材が売られている店がある。このお店はおもてなし具合が他の店と異なり、近隣住人以外もターゲットにした営業スタイルをとっているようであった。そしてその向かい側の路地を入っていくと、ひっそりと佇む昔ながらのソーキそばのお店があった。後で調べてみると、関東で一番美味いと評判のソーキそばの名店であったよう。”リトル沖縄”と呼ばれるほど、この辺りにかつては沖縄からの移住者が多くいたようだ。
通りから外れて、近くにある公園に歩いていくと、南米系の子ども達が水飲み場を囲むようにして遊んでいた。少し離れた場所からその様子を眺めていると、子ども達は水飲み場の蛇口を全開にして空に向かって一直線に水を出したかと思うと、吹き出し口の一方向を指で塞ぎ、指を塞いでいない方向に一直線に水が飛ばしてその方向にいる相手をビショビショにさせて遊んでいた。水飲み場の近くのベンチにはおじさんが座って新聞を読んでいたが、濡れる危険もあるだろうにドッシリと腰かけて平然と新聞を読んでいた。
結局3時間ほどこのエリアを歩き回った。ただコロナを理由にして、店に入ることも無く、居酒屋に飛び込んで地元の人と会話をすることもなく家に帰った。
町の人達と会話をすることも無く、表面だけを味わう。解像度を上げずにボヤッとしたままなんとなく上澄みに身を浸すことは、それはそれで満たされた気分になる。おそらく何年後かにまた思い出すような強烈な経験にはならないだろうが、上澄みに浸る心地よさを色んな場所で繰り返していれば、欠乏感を感じることなく過ごせてしまうのかとも思う。
所変わって、北側のロータリーからさらに25分ほど歩いた奥まったエリアがこれまた面白い。こちら側にも大手製菓企業の工場など、いくつかの工場が集っており、武骨な雰囲気のお店も多くある。
そして、ここに”三角地帯”と呼ばれるエリアがある。なぜかこのエリアに3軒の大型サウナ/スパが隣接しているのだ。サウナをハシゴする猛者はそうそういないだろうし、なぜこんなにわざわざ隣接するようにサウナが存在しているのか謎ではあるが、この”三角地帯”はサウナファンの中ではとても有名なエリアであるらしい。
そして、結果的に私は7月に入ってからこの3軒の中の2軒を訪れ、そのうちの1軒については数日後に再び訪れるほどハマってしまった。
もともとサウナに関しては、初心者中の初心者で、思い入れもほぼなく、銭湯に無料でついていれば試しに入ってみるかという程度であった。だが、サウナが最近ブームになっているという記事をネットで目にし、また高校時代の友人から「サウナ⇒水風呂⇒外気浴」を3セット繰り返すと、トリップするような気持ちよさを味わえて病みつきになると聞き、試しに当時住んでいた近所の銭湯で試してみたことがある。その時はなんかジワっとしたものが頭に上ってくる感じがして、非日常な感覚がいいなと思う程度であった。
先述の私がリピートしたサウナは、三角地帯の中で明らかに最も古いサウナで、館内は昭和な雰囲気が色濃く残る。ファミリーで楽しむ感じではなさそう(と思ったが、アミューズメントコーナーやインドアテニスコートも上の階にあったらしい。現在はコロナで閉鎖中)。そして、浴場の構造もとても独特で、浴場の中央に四方をカーテンで仕切られたアカスリのコーナーがあった。普通は隅っこにあると思うのだが、なぜかド真ん中にある。肝心のサウナは一部屋だけだが温度も高めで8分ほどいれば汗びっしょりになる。そしてサウナの隣には、ボタンを押すと数秒の間、滝のように水が降ってくる”滝シャワー”があり、サウナでかいた汗を滝シャワーで洗い流して、水風呂へ入る導線ができている。
これまでの人生で水風呂に浸かったことはほとんど無かったのだが、水風呂も店舗によって大きく質が異なることを知った。ここのサウナは水温が1桁台で、水風呂の中でも超低温であることで有名だった。事前にこの水風呂の情報は仕入れていたので、緊張した面持ちでおそるおそる入ってみると、、、いやはや凄まじかった。水風呂に浸かっていると、もはや顔が自然に笑けてくるほどの冷たさで、10秒も浸かっていると手足の指の先が痛くなってくる。仮に雪山登頂時に手袋を失ったらこんな状態になるんだろうかと思い、雪山に登頂している自分を想像して少し耐えてみるが我慢できずに水風呂を後にする。水風呂のすぐ近くにある扉を開けて、外の空気を吸う。外の空気が暖かく感じられる。
この外気浴ができるエリアは空まで筒抜けの空間で、ベンチが置かれているほか、身体を横にできる場所があり、ここで仰向けになって急激な温度変化を味わった身体を休める。普段寝る際は横臥の姿勢を取るが、水風呂後は仰向けに限る。自分がふにゃふにゃになったような身体の心地よさで、水風呂に入ったときの笑いとは少し異なる様で口角が緩んだ顔になる。仮にドローンが飛んできて、こんなふにゃふにゃな顔や身体を空撮されたら大変恥ずかしいだろうなと思う。一方で、自宅以外でこうしたふにゃふにゃな姿でいても許される空間って日常生活でほとんどなく、とても貴重な空間ではないかという思いにもなる(ある意味、飲み屋さんはそれに近い場所なのかもしれない)。
ある意味で、”子どもに戻れる”時間なのかもしれない。外で真っ裸で寝っ転がって空を眺められるなんてことは、日常生活ではほとんどないシチュエーション。休日に芝生のある公園で寝っ転がって空見るだけで大きな開放感を感じる私のような人からしたら、とんでもなく開放感を感じる時間になる。
3セット目にサウナに入っているとき、少し余裕ができてサウナの一番上の段に腰掛け、鎮座する形でサウナを見回した。こんなに男の裸を目にしたことも初めてかもしれない。コロナでなかなか人と会う機会も減る中、一気に色んな身体つきの裸を目にするとゲシュタルト崩壊を起こすような気分にもなる。 平日の午後6時頃であったので、工場からサウナに直行している人達が大勢いたのか、筋肉質な人が多かった。そのため、逆に肌が垂れてお腹が出ているタイプの裸が目立ち、そちらに視線がいってしまう。
サウナの中は本来私語厳禁なのだが会話が聞こえてきた。よくサウナで顔を合わすご近所さん同士なのだろう。
「最近、豚肉もえらい値上がりしてるで。こないだ冷しゃぶ作る時に買ったらえらい高かったわ」「こないだテレビでやってたけど、しゃぶしゃぶするとき肉を上手く食うコツみたいなのあってな、それがな、、」「いや、俺のは冷しゃぶやからしゃぶしゃぶとは別ものやで」という関西弁のおっちゃんたちの会話が聞こえた。関西のおっちゃん達がもたらす謎の安堵感は何なのだろう。
サウナを後にしてコンビニでビールを一缶買って口にする。言わずもがなの美味さで、思わず笑みがこぼれるほどであった。普段買うことはほとんどないが、サウナ後はスーパードライが合う。
コロナの間は、表面を掬ったような経験を繰り返すことで、欠乏感を紛らわすのだろうか。既にコロナの環境下で生活していることが強烈な経験なのだから、生活の中でわざわざ新たに強烈な経験を求めなくてもよさそうだ。