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3F/長期滞在者&more

それぞれの生活

長期滞在者

赤いポルシェに乗って奈良から大阪まで出勤していたことがある。

もう10年近く前の、大学を休学していた2012年頃の話。

友人の伝手で、とある会社の会長の付き人としてアルバイトをしていた。

毎朝、神戸の実家から奈良まで通い、元々は旅館だったという会長の住処に着くと、会長が飼っている鶏がその日産んだ卵を茹でて、曜日ごとに決まった朝食メニューを作り会長のテーブルに出す。

朝食メニューはレタスの枚数まできっちり決められており、また週に一回はなぜかインスタントラーメンもメニューに含まれていた。私を含めた会長室所属の社員が作った朝食を食べながら、会長がボソボソとその日のタスクを言う。それを社員はメモ帳に書いていく。

その後、奈良から大阪の本社に着くまで、ときにポルシェの屋根を開けながら高速を走らせ、会長は思いついたことを発し、車に同乗している社員は必死にメモ帳に落としていく。もしそれが誰かへの連絡を要するものであれば、直ぐにその場で関係者にTELしなければならない。

能力があったわけでは無いのに、学歴と笑顔で居続けたことだけが決め手となって採用された職。当然ながら他の社員との間に気まずさもあり、今となっては忌み嫌うような働き方に恥ずかしさを感じるが、当時は当時なりに真剣に学生生活とは別の世界を探そうとしてたのだろう。

そうした生活を一ヶ月ほど続けた結果、この会長のような豪快な生活は自分には出来ないし、望まないと悟った。

コロナ禍で人と会う回数が減っているのに、これまでよりも人の生活に思いを馳せることが多くなったと感じる。

久しぶりの友人とオンラインで話をする際に「コロナを機に新たに始めたこと」などを話していると、結果的に話がそれぞれの生活に収斂されていく。

身近な友達との間でも、”自炊をするのか”、”何時まで仕事をしているのか”、”投資用に家を買ってみた”だの、そんなライフスタイルについて話をする機会はこれまで少なかった。それが、Zoomの背景画面に映し出される部屋の様子も含め、友人たちの生活がコロナを機に覗き見出来ている気がする。

もう一つ、オンラインではあるが、仕事の中で新卒の学生や転職者と採用の面接をする機会が増えたことも、日常に色んな人の生活が垣間見える要因かもしれない。

応募書類に既に明記されている、これまでの経験や将来どのような働き方をしたいかなどを改めて本人の口から確認しながら、面接は進んでいく。

ただ、そうした質問よりも、その人自身がいま現在何に重きを置いて、どのような生活を送っているかが気になってしまい、趣味や料理などそういった類の質問ばかりしてしまい、その中に何か引っかかるものを求めてしまう。

コロナが落ち着いている最近は、少しずつ店で友人と会うことも増えた。気軽に飲みに行こうと連絡を取る友人は5-6人か。

普段友人と話す際は、特に将来の話をするでもなく、人生の転機について話すでもなく、懐かしい頃の話をただひたすらする。それは無駄な時間などでは無く、懐かしさは懐かしさのままで壊さず、堂々とその懐かしさを讃えたいと常々思う。

先日、3年ぶりに訪れた新宿駅改札傍のビールバーでのこと。混雑している店の中で大きな荷物を抱えた人のバッグが、お店に1人で来ていた女性のテーブルに当たり、テーブルのお皿がガシャンと床に落ちてしまった。店員さんからは悲鳴が聞こえ、荷物を抱えた男の人は少しバツの悪そうな顔を、お皿を落とされた方の女性は何ともいえない表情をしていた。

こうした予期せぬ出来事に出くわしたときに、「久々に街に出ているんだ」という当たり前の事実を感じ、何ともいえない顔をしていた女性の表情が忘れられなく頭に残り続ける。

一方で、街に出ると、そのままパッケージングしたいくらいの夜に出くわすこともある。

ターミナル駅の近くで1軒立ち寄った後、まだところどころ部屋のライトが灯る大きなオフィスビルでトイレとコンビニに寄って、その傍にあるベンチで乾杯し、多摩川沿いまで歩いて、ひたすらそれぞれの昔話をする。

ふと気付いたら、普段誰にも話したことないような話までしていて、「まったく想像してなかったけど、こんな生き方してたんや」と、新たに自分の味方が出来たかのような温かい気持ちに浸っていると、川の向こう側では京急線の車両が橋を通過していた。

30代ってこんな感じでいいのか。

1日1章ずつ読み進めていた高見順の『如何なる星の下に』を読み終えた。戦前の浅草を舞台にした私小説だが、解説の部分に、主人公が追い求めていた”踊り子”の存在は想像の産物であることが書かれていた。

人との会話の中では、話を大きく拡げてしまったり、空想の話と現実に起こったことが頭の中でごっちゃになり、ついつい口から出まかせを言ってしまうことがあるが、こと連載においては一度でも想像の話を入れ込んでしまうと、後から振り返った時にどれが当時のリアルな記録なのか誤った記憶なのか収拾がつかなくなるので気を付けたいと思う。

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