煙草を吸わなくなって10年以上経つ。
先日ワンマンライブを見たあるバンドを思い出す。
初めて意識したのは、京都の磔磔のスケジュールで珍しい名前のバンドがいるなと思ったことか。
茶屋町のタワレコで出たばかりの1stアルバムを買った。特典で団扇が付いていた。
まだその時は実家のある神戸と東京をよく夜行バスで移動していた。
初めてライブを見たのは東高円寺のUFOクラブで、いくつかバンドが出るうちの1つで出ていたが、その日のライブはあまり覚えていない。ただ、Tシャツを買おうと思ったらサイズが無く、ハンガーに掛かってあったシャツが1枚残っており、少し色褪せているからと1,000円で売ってくれた。
その後、下北沢のシェルターで2マンライブがあることを知り、運よくチケットが取れて、当時住んでいた調布から下北沢まで自転車で移動した。春うららかな日で、下北沢のライブハウス近くの駐輪場に自転車を止めて、ライブを見て、夕方自転車で調布に帰った。
その時もライブはよかったと思うが記憶にあまりなく、対バンのサニーデイサービスが最後に若者たちを演っていたことを覚えている。
そのあとも2,3回見たことがあり、どれもライブはかっこよかったはずだが、場面が思い出せない。
多分ずっと繰り返し見てきたYouTubeの映像が素晴らしく、なかなかそのイメージを超えることが無かったからかもしれない。ただ、先週見たワンマンライブが素晴らしかった。
もっとエピソードはあった。
一時期、そのバンドのメンバーが昔書いていたブログを発見して読んでいた(タイトルを忘れてしまって今では見つからなくなってしまった)。そのブログの中に書かれていた、バイト仲間や音楽仲間と、定期的に1つのテーマを決めて、そのテーマに沿った曲を宿題として持ち寄るというそうした集まりに憧れた。またブログの中に出てきた一条寺の喫茶店に入ってカレーを頼んだら、ルーはインスタント、お米はパックご飯、そしてちょっと味の変わったキムチが乗っているという、少し残念なカレーだった。雰囲気はよかったが。
バンドがカバーしているGreen DayのBasket Caseよろしく、Green DayのSheに日本語詩をつけた。今思えばとてもいい詩だったが、どこかにいってしまった。
とにかくこのバンドがいいのは、いつどこで聴いても、一瞬で生活を感じさせるのがいい。オフィス街でも、人工的な白色蛍光灯の空間でも、朝でも夜でも、晴れでも雨でも、曲を再生すると一気に生活感があふれ出す。
日々の営みに彩が加わるというのがぴったりな表現かと思ったけど、それをいえば遊びも趣味も芸術も全部が彩を与えるもの。小説、映画、恋愛、登山、旅行も生活に彩を与える。彩という言葉は便利過ぎる。
このワンマンの前日、そして前々日に熱海にいた。泊まったわけではなく、日帰りで熱海に2日連続行った。
熱海という街も煙草が似合う。書くことに停滞した作家が滞在するからか。
生活に彩を与える空間ではなく、ほんの束の間、生活を忘れさせてくれる場。
そうした場で生まれ育ち、生活している人がいるというのもどこか不思議な感じがする。
セブンイレブンに立ち寄ると、水着や浮き輪が売られていた。
偶然店内で遭遇したのであろう、地元の先輩、後輩同士の会話が聞こえてきた。「石垣島行ってきて釣ってきました」という声が聞こえる。生活の延長線上の余暇を、地元とはまた異なる余暇にふさわしい場所で迎えるのはとても羨ましいなと思った。
フードストアアオキというスーパーを見つけたが、とてもバブルの名残のする、価格も商品も内装も攻めたスーパーだった。この地を訪れる人達用のスーパーなのか、はたまた住人が使うためのスーパーか。
2日連続訪れた内の2日目。
来宮駅は隣の熱海駅とは比べ物にならないほど小さく、ほとんど人もいなかった。海に向かって坂を下りていくと、隠れ家のような宿がいくつかあった。駐車場に高そうな車が何台も止まっていた。
ついつい気になって宿の名前を検索してみると、1泊で10万円近くしていた。
湯河原は駅を降りて、坂を上がっていかないといけない。
熱海は駅を降りて、坂を下っていかないといけない。
伊東はどうだったか。
伊東で、市民温泉に入った。
温泉といっても銭湯のような空間で、地域の人達は50円、市外の人は300円だった。
洗い場の真ん中に温泉があるスタイルだったが、暑すぎて数分しか入れなかった。
温泉に入るときは、いつも最後シャワー浴びずに、温泉が肌に張り付いたまま上がる。
透明色の温泉は、本当に身体にいいのか疑問に思うが、真っ黒な温泉よりもなんとなく湯治にいい気もする。
熱海でも、湯河原でも、伊東でも煙草を吸っている人は見なかった。
私自身は20-22歳頃まで煙草を吸っていたが、煙草を吸っていた間に考えていたことは何も思い出せない。なぜかマックスコーヒーを飲みながらフィリップモリスをよく吸っていたことは覚えている。
父は、毎日晩飯を食べた後に、マンションの下の自販機の缶コーヒーを買いに行き、ベランダで煙草を吸っていた。煙草を吸いながら、いつも何を考えていたんだろう。