日常の中で、フットボールが少なからず生活にいいリズムを与えてくれている。
赤いユニフォームに憧れて、中学生の頃からイギリスのリヴァプールというチームを応援してきた。
それから20年の月日が経ち、いまはプレミアリーグを配信しているSPOTV NOWに加入し、リヴァプールの大抵の試合はリアルタイムか録画で見てその後ハイライトでも見返している。
現在リヴァプールはプレミアリーグの中でも2位で、ここ最近は試合を見ていても勝つことが多い。
下位に低迷しているチームを応援することと調子のいい上位チームを応援すること、それぞれ応援のしがいがあるんだろうと感じる。下位チームでは負け続けているときも応援し続けるからこそ1勝の重みが増す一方、上位チームの応援では優勝を争うビッグマッチで手に汗を握る時間を過ごすことが出来る。
リヴァプールでは、ホームグラウンドのアンフィールドのスタジアムの構造として、サポーターの熱気がダイレクトにピッチに伝わる構造になっており、スタジアムが一方的な雰囲気になることが多い。
特に試合終了間際にリヴァプールが勝てていないときなどは、ホームチームによる波状攻撃が相手陣地で行われ、相手キーパーやディフェンスが何とかそれを防ぐ様は、技術の戦いというよりも、サポーターの熱気を乗せてゴールに”押し込む”要素が強く見え隠れし、若干の暴力性も感じる。
もちろん勝敗が決まるスポーツなので、試合を見る際にはリヴァプールが勝利することを期待して見ているが、私はそれよりも選手同士や監督と選手の人間関係に目がいき、チームの中で互いを信頼しているシーンが映るととても満ち足りた気分になる。
先日、Netflixでベッカムのドキュメンタリーを見ていたら、98年の仏ワールドカップでアルゼンチンのシメオネに倒された後に足を掛けてレッドカードで退場となった象徴的なシーンが取り上げられていた。結局その退場が響きイングランド代表がPK戦の末敗れた試合の後、イギリス国民の1人がアパートの3Fからテレビを投げ捨てたという当時のニュースがドキュメンタリーの中で出てきた。
フットボールの試合でそこまで熱狂的になれることを羨ましく思うとともに、”もし道に誰か歩いてたら・・”という不安が先に頭をよぎるだろうから、そこまで衝動的にはなかなかなれないなと思った。
普段、私は試合を見ていても、あまり俯瞰して試合を見ることは無く、例えば3バックではどうだ、4バックではどうだなどフォーメーションや戦術には疎い私だが、一方で誰の目から見ても、現代のフットボールではゴールキーパーに足元の技術が必要となったことは間違いない。かつてゴールキックの場面でパスを繋ぐシーンを見ることは稀で、味方の長身FWを目掛けて、またとにかく相手の陣地深くにボールを蹴ることが多かったように思えるが、現在はキーパーから近くのDFにパスをして自陣からボールをコントロールすることが求められる。
華麗なシュートセーブをすることがキーパーの最大の見せ所で、これまで活躍してきたキーパーたちは反応速度や身体能力の素晴らしさ、そしてゴールマウスにどっしり構えてゴールが小さくなるような威圧感を与えるキーパーが多かったが、現代のフットボールではそうしたキーパーは大成しなかったかもしれない。
一方で、1つのトラップミスが命取りになり、キーパーやディフェンスが自陣でトラップミスしたことによる失点も多く見かけるようになった。
こうしたキーパーからボールを繋ぐようなフットボールは引き続き主流であるのか、もしくはまったく違う力が求められているのか10年後の試合を見てみたい。
フーリガンのような熱狂的なサポーターには慣れないが、これからも日常生活の中で朝起きて結果が気になるあの瞬間を感じるために、また他の一切のことをすべて忘れて夢中になるためにフットボールを見続けると思う。