数日前に思い立って、橋の下音楽祭へ行くことにした。
橋の下音楽祭は愛知県豊田市で毎年開催されている3日間だけのお祭りだ。
朝起きて急いで支度して、新横浜から名古屋へ。発車と共に寝て、目が覚めたらもう名古屋だった。そこから乗り換えで豊田市へ。
まだ時間が早かったので隣の駅にあるスーパー銭湯に浸かりに行った。16度の水風呂と7度の水風呂があったが、7度の方は誰も入って無かった。
温泉に入り眠気を飛ばし遅めのモーニングを取ろうと入った店で、その日出演予定の女性SSWが大きな荷物を椅子に置いてモーニングを食べていた。
豊田市の純な古喫茶では無く、ビジネスホテルに併設されているカフェ・ド・クリエで。
お昼前に会場に向けて移動し、橋を渡っていると橋の下からビートが聞こえてくる。ゲートを超えて文字通り橋の下に降り立つと、早速太鼓と踊りの練り歩きが始まっていた。
会場は橋の下だけかと思っていたら奥の芝生広場までびっしりと店が並んでいた。
橋の下に建てられる建築物はどこかに保管して出現するのでなく、毎年3日間のためだけに新たに作られる村。
会場に入ってからの時間から先はカルチャーショックという言葉では生易しいような多くの場面に遭遇し、すっかり虜になっていった。
圧倒されたまま夕方が過ぎ、日の入りの時刻へ。死者と宵の口。生と死の狭間。こちらとあちらの境目。
夜になってからは、みながおもいおもいに幽玄な時を過ごしていた。
そこは一見意図的なものや作為的なものとはかけ離れているが、幽玄な時間を過ごせるような場作り、演出、演者の存在があってこそなのだろう。
そのまま夜も更け、芝生で野宿するつもりがゲリラ豪雨にもやられて、結局チェーン店が並ぶロードサイド沿いのコートダジュールで3時間だけ寝る。
翌朝閉店時間の5時に店員に起こされ、寝ぼけ眼でコンビニのコーヒーを飲み、6時開店の隣駅の銭湯へ行って身体の汚れを落とす。
その後、また会場へ。
これ以上いたら日常に戻って来れなくなるような、どっちが日常か分からなくなるような。
大雨で地面が泥だらけになったら、水の流れを作って外に出す。それが咄嗟に行われ、村を守る。
そんな桃源郷の裏で行われているであろう、行政との地道な交渉や仲間内での連絡、協力。そして村全体を統率する価値観の共有。
ルールがあるからこその逸脱とその逸脱の範囲がとても気持ちいい。
以前愛知でハードコア関係のライブハウスに行くとよく奇声が聞こえ、「またか」と名古屋のお客さん達は毎度のように楽しんでいたのだが、その奇声を発声しているまさにその方がいた。
長髪で褌一丁だった。
どんな家に住んで、どんな仕事をして、どんな物を食べて、休みの日はどんなことをしているのだろう。
橋の下から1週間後、家の近くの銭湯に浸かって色んな男の人たちの身体を見ながら、すっかり現実に戻った目でそれぞれの人生を思い描いていた。