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3F/長期滞在者&more

「たくさんの思い出が詰まった場所でのラストナンバー」【vistlip「-OZONE-」(2009年8月5日リリース)】

長期滞在者

私が私を生きていると実感できるのは、あのとき抱いた夢への原動力を活かして、行動ができているときだ。

2021年10月8日。
FM802でラジオDJとしてデビューしてから24周年を迎えた。

その翌週にFM802の同期のDJ、浜平恭子と秀島史香と3人でzoomを使って集まった。
3人の顔が揃った瞬間にあっという間に笑顔になった。
ラジオDJが3人集まると、zoomでの会話もまるで番組のようで、お互いの近況、当時を振り返っての思い出話、そして、コロナ禍での今など、話は止まることを知らず、私たちは言葉を交わし合い何度も心から笑った。

あのとき、FM802で番組を担当できたのは、3人とも1年だけだった。
けれども、その後、誰一人、声で言葉を伝える仕事をあきらめなかった。
それぞれが特性を活かし、悔しさや涙をバネにして必死にがんばってきたことは事実。

だからこそ分かり合えることがある。

ラジオDJになりたい。
15歳でそう願ったとき、それは私一人が抱えていた夢だった。
けれども、今は一人ではない。

私が夢を叶えた先には、たくさんの大切な人がいた。

私がラジオDJになりたいと思った理由。
それは「まだ世の中に広く知られていないバンドを応援していきたい」と思ったことだ。

高校の放送部で昼の校内放送のDJをしていた私は、当時からライブハウスで見たインディーズバンドの楽曲をよくかけていた。そのうちに、将来はラジオDJになりたいと強く願うようになった。

2021年10月17日。
来年1月1日に閉館することが決まったZepp Tokyoで、昨年、新型コロナウイルスの影響で中止になった、結成13周年のライブ「vistlip 13th Anniversary Live “Screams under the Milky Way”」が行われた。ハロウィンシーズンとなるこの時期のライブらしい世界観を表現しただけではなく、彼らがこの10年、結成記念日となる7月7日にZepp Tokyoでライブを開催してきた歴史を感じずにはいられないライブとなった。

vistlipが初めてZepp Tokyoでライブを行ったのは、2011年7月7日。
前年となる2010年7月30日に彼らは交通事故に遭った。
それによる活動休止を経て、2011年5月から行われた全5公演のツアーのファイナルの会場となったのが、Zepp Tokyoだった。いわば復活と再会の「約束の場所」として、このZepp Tokyoが選ばれたのであった。

あの夜のライブのことは今でもはっきりと覚えている。
緊張と同時に楽しむ以上に見守る気持ちが大きかった。
そして、私はラジオDJとして、彼らをどう伝えていけるか。
このバンドに対して自分ができることは何だろうか? とずっと考えていた。

ラジオDJとしてキャリアをスタートさせた私だが、現在は、インタビュー原稿を執筆するライターも務めている。
これには理由がある。
ラジオ番組のゲストでのインタビューの時間は短い。番組のコーナーだと20分くらいだ。
その中で聞けることは限られてくる。新作のリリースやライブの告知はマストなので、そうなると、さらに時間はなくなってくる。もう少し深く話を掘り下げたい、さらにこのアーティストの思いを伝えたい。
そう考えたときには、圧倒的に時間が足りないと思うことが多々あった。
そこで私は、アーティストにじっくりと話を聞いて伝えるもう一つの方法として、ライターの仕事を始めた。

ラジオ番組で初めて出会ったvistlipには、幸運なことに、現在はVifというウェブ媒体で原稿を書くライターとして、その思いを取材できる機会を継続できている。

10年前に、最初にZepp Tokyoでワンマンライブを行う思いをインタビューした私は、
10年後に、最後にZepp Tokyoでワンマンライブを行う思いをインタビューしていた。

人との出会いは儚い。
どんなに大切だと思っていても、どんなにずっと一緒にいたいと思っていても、
残酷なくらいに、その願いが絶たれることが少なくない。

vistlipにとって最後のZepp Tokyoのステージで、ヴォーカルの智が伝えたこの言葉が、
私には何よりも心に響いた。

「どれだけたくさんの人がいろんな涙を流したか」

ライブは楽しいものだ。
この上ない幸せと喜びをもたらし、生きていく力になる。

しかし、vistlipのZepp Tokyoとの10年はそれだけではなかった。
多くのアーティストやバンドに、このZepp Tokyoというライブ会場への思い入れがあるかと思うが、vistlipは、Zepp Tokyoという会場抜きにはバンドの歴史を語れない。

彼らがこの会場で最後に演奏した曲は「-OZONE-」。
この曲は、最初に彼らがZepp Tokyoのステージに立ったときの幕開けの曲。

私が「-OZONE-」という曲を最初にラジオから紹介したのは、2010年12月。
その年の最後の放送となる番組で、ラストの曲に選んだ。
今年は悲しいことがあった彼らが、来年は帰ってきてくれますように。
復活への願いを託して、私はラジオから「-OZONE-」を放った。

2021年、Zepp Tokyoで「-OZONE-」を演奏している彼らを観て、私はそのことを思い出していた。

私は「まだ世の中に広く知られていないバンドを応援していきたい」と思って、ラジオDJへの道を走り出した。バンド、アーティスト、音楽を伝えていきたい。10代からまもなく50代が迫ってきている今も、その思いから1ミリもブレることなく、私の仕事を続けることができているのは、「応援したい」と思わせてくれるバンドがいるからだ。

私が私を生きることができるのは、vistlipのようなバンドがいてくれるからだ。

2021年10月17日の「-OZONE-」の演奏を聴きながら。
私は込み上げてくる感情を、涙から笑顔に変えた。

ここから始まる未来が楽しみだから。
それは、大切な居場所に瞬く星のきらめきが今以上に輝く未来。

【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ〜17秒〜26秒”に乗せて)
コロナ禍で失ったこと、悲しい出来事は本当にたくさんあります。
多くのライブが中止になったことは、音楽やバンドが好きな私たちにとって本当に悲しくてつらいことでした。もちろん今もその状況は決して終わっていませんが、そんな中、vistlipは、去年できなかった結成記念ライブを、10月17日にZepp Tokyoで開催しました。

来年1月1日に閉館するZepp Tokyoで彼らがライブをするのはこの日が最後。
たくさんの思い出が詰まった場所でのラストナンバーは、この曲でした。

vistlip「-OZONE-」

武村貴世子

武村貴世子

ラジオDJ、MC、ライター。
これまで、FM802、Fm yokohama、FM-FUJIなどで番組を担当。

ラジオ番組、司会、ライター、トーク&アナウンス講師はもちろん、
朗読と音楽のコラボレーションライブも展開中。

国連UNHCR協会 国連難民サポーターとして、
難民支援を始め、世界や社会への関心が深く、社会貢献活動にも積極的に取り組む。

また、タロット・リーディングの学びも深め、
フリーランスでその活動の幅を広げ続けている。

Reviewed by
多村 ちょび

仕事を続けてしていると、時々、自分の為だけには踏ん張れない瞬間が訪れて、それを乗り越えられるのは、目に浮かぶ誰かだったりする。
ある一つのバンドの始まりと終わり。それを陰ながら支えた武村さんの情熱が、ぐっと胸に迫る。電波に乗せて、エールを送る。

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