入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

オンカ島風景

長期滞在者


JR大正駅から南へ南へひたすら南下する。4kmほど歩いて南恩加島という地名を通過すると、木津川運河の先に船町の製鋼所の威容が見えてくる。
この風景が好きで、昔からよく大正区を歩いた。バスも走っているけれど、そういえば乗ったこともないな。
製鋼所を見てまた大正駅に引き返すか、大運橋の交差点を東に曲がって地上33mの大ループ橋・千本松大橋を渡り、木津川を越えて南津守の方へ歩くか。
最近は自転車で行くから大した距離感ではないが、昔はただひたすら歩いていた。


昼は運が良ければ泉尾にあったとある蕎麦屋に入れたが、絵に描いたような頑固店主の店で、少量しか提供してくれないので数度しかありつけたことがない。
寸前で列を切られて、見知らぬおじさんと怨嗟を吐きあったり。またや、なんで倍ほど打たんかなあのクソ店主。あやつ造り酒屋のボンなんや。ボンの道楽、ええ気なもんや。それでも来るワイもアホやけどな。うまいからしゃーないわな。せやけど毎回ほんま腹立つがな。こんなん奈良健康ランド行ってた方がええっちゅうねん、なぁ兄ちゃん(すみません奈良健康ランド行ったことないです)。
その店は移転してしまって今はもうない。移転先でもあんな感じなのかな。
僕は食べられなくても実はそれほどがっかりしていなかった。口の悪いおじさんに調子を合わせていただけ。ソバはソバでも大正には沖縄そばの店がいくらでもあったからである。沖縄そば、うまいよね。
例の伽奈泥庵から分家?したチャイ工房というチャイ屋もあって、毎回そこで休憩するのも楽しみだった。チャイという名の猫がいた。

大正区は沖縄出身者の多い町である。
カンテグランデ時代のバイト仲間、チカさんのお母さんが沖縄料理屋さんをやっていて、そこに通ううちにすっかり沖縄好きになってしまった僕は、島唄の唄者であったチカさんの影響で自分の三線を購入、下手くそながら独学で練習していた。三線の絃や楽譜(工工四)を買うには当時は大正区に出向くしかなく、絃が切れた、駒を損じたなどと言っては買いに行く。そんなものまとめ買いしておけばよいものを、なんだかんだ言って大正区を歩くのが好きなので、いつも最小限しか買い置かないのだ。


そんなこんなで、もう30年近く前から見知ったつもりの大正で、最近驚いたことがあった。
先ほど書いた、船町の製鋼所が見えてくる南恩加島からの風景。
その南恩加島で、ふと電柱の住所表示を見たのである。
「Minamiokajima」
え?
ミナミ・オカジマ?
「オンカジマ」ではないの?


南恩加島は(北恩加島もあるが)、オンカ島ではなくオカジマと読むらしいのである。なんと30年前からずっと知ってるつもりの、おそらく何十回も歩いた街区で、その土地の読み方を知らなかったのだ。オンカ島だと疑ったこともなかった。
調べると昔この地を開墾した岡島某という人物がおり、その岡島氏に敬意を表して「恩」の字を入れた当て字地名にしたのだという。当て字にしてもちょっと無理があるような。

そもそも地図を見てもその地名にフリガナはないし、バスに乗っていれば音として停留所名を聞くことがあっただろうけれど、歩くばかりで乗ったことがなかったのでその機会を逸した。
交差点標識にもローマ字は添えられているだろうに。よくも30年間見過ごしたものである。 写真を撮る者としてもっと「見ている」と思っていたけれど、なーにが。何をしてきたのか僕は。いろいろ失格だな。

昔から勝手にオンカ島だと思い込み、オンカ島から眺める製鋼所の景色を、その地名込みで好きだった。今さらオカジマだと言われても違和感しかない。
しかし恩加島はオカジマなのであり、オンカ島は僕が勝手に捏造した幻の風景である。
オンカ島。良い響きである。これから僕の好きなオンカ島というちょっと素敵な響きの地名、其処への愛を、僕はどう処理すればいいのだろう。もう製鋼所の荘厳とオンカ島という音はすっかり束ねられて僕の脳内風景を成している。
オカジマであると知った地から見た製鋼所は、なんともよそよそしい顔をしていた。阿呆、ヨソモノはお前じゃ。
もうオンカ島でいいよね。僕だけそう呼ぼう。などと、所詮は通過者、勝手なことを考えたりする。

ところで、この南恩加島から製鋼所の手前を東に折れてしばらく行くと、先に書いた千本松大橋。
ちゃんと歩道もついているので自転車でも徒歩でも渡ることができる。
なかなか壮観なので一度行ってみることをお勧めする。 昼でも夜でも綺麗だよ。

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

存在しながらに、マボロシのように消えた街の名。
本物の街に重なるように現れた蜃気楼のよう。

名前の持つ、何かを強く強く縛る力。重力のベクトルの向き。
その力が予期せずふいに緩められ、抜け落ちる先。ぐらつく水平線。

ただの音の連なりであるとしても、存在そのものの影を数段濃くなして存在を確固たるものへと導く。

そのものと、その先を等しくさす名前というもの。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る