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3F/長期滞在者&more

受容心理の変遷とこよなく愛するすいかについての考察

長期滞在者

しばらくお休みを頂いて、みつきぶりに私は「わたし」のままで『アパートメント』に戻ってくることができました。おひさしぶりですとはじめまして、古林希望です。

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脳腫瘍の手術を終えてはや(私には十二分に長かったけど)ふたつきが過ぎました。
私は今手術を行ったT病院脳神経外科から転院してN病院リハビリテーション回復科というところにいます。
現実はなかなかドラマのようには行きませんね、権威の手によって手術は劇的に大成功しみるみる回復…とはいかず、しばらくベッドにがんじがらめになっていたのと後遺症が出たためにこの病院で日常生活復帰に向けたスパルタリハビリを受けています。

アンプリファイヤー(増幅器)※

病気
それは心のアンプリファイヤーだ
苦痛 寒暖 快不快 悲哀 歓喜
静寂 騒音 美醜 善悪 真贋 etc.
もろもろの心理現象の図形が
プラスの方向にもマイナスの方向にも
はっきり増幅され
きわ立った映像を病者の心に結ぶ

ここに来て知ったのですが、障がい(私の場合には後遺症回復かな)への受容心理というのには『ショック期→否認期→怒り・恨み期→悲観・抗鬱期→解決への努力期→受容期』という心理変遷があるそうです。その上で友人に対してや、SNSでの自分の言動を振り返えりじっくりと見定めてみると…これがなかなか面白いのです。

✦1

まず手術前、良い意味でも悪い意味でもすでに2度の手術を経験して過程を知り、満を辞した3回目の手術に臨むことになった私は勿論この手術を最後とすることを覚悟・決意していたので、どれだけ今回の経験を制作や自分の今後に糧とできるだろうか、とそんなことばかり考えていました。ただじゃ転ばないんだからね、といったところでしょう。(その計画に関してはいくつかの方面で現在進行中です。)

✦2

そしていよいよその日を迎えました。手術後数日間の記憶は曖昧ですが、状態を把握出来るようになりはじめた時、自分の左眼と左耳の感覚に違和感が出ていることを初めて認識しました。これが『ショック期』です。下手に2度の経験があったために(後遺症は全くなく驚異的な回復だった)手術自体の規模や難易度が全く違い、比べることからして間違っているというのに「なぜ今回はこんな不思議なことが起こっているのだろう」と素直にびっくりしていました。スマホを見てみると画面に24個ある筈のアイコンがもう無数に畳み重なっていて、これはいったいどれが本物なんだ状態、左側から響く音はまるで水中に身体半分だけを浸しているように遠く反響し耳鳴りに常に猛々しく襲われていました。

✦3

続いて『否認期』です。
私はこんな事を言いはじめました。

「わたしって二足歩行だった?ほんとうに?頭は空の方向に向いていた?」
「耳鳴りが頭に捻じり込んでくる。その暴挙に左頭は何も出来ずに言われるがまま共鳴、増幅させている。」
「おおさまのみみはろばのみみー
びょういんあきたーあきたー
外出許可とりけされたー
たいいん先のばされたー
たてがきまだだめで本よめないー
みみなりうるさいー
ねむれないー」

思考や意識が元に戻って来ているのにも関わらず、身体がそれに伴って健常に戻っていかないことを認められないのです。とんだわからんちんです。

✦4

その後はもうあっという間に自分への憤りに満ち満ちていきました。まさに『怒り・恨み期』で左眼と左耳からくる複視や耳鳴りで目眩やふらつきが激しく、歩くことや顔を正面に上げることも出来ない自分に対し、私より後に手術しているのに(そもそも手術内容がみんな違う)歩けている他の患者さんを見て「なんで私は駄目なんだ」「甘えてるんじゃないか、大袈裟なんじゃないか」と自分を責めて、様子を見に来てくれる友人達に「確実によくなっているよ」と言われても、それは自分の納得出来る域には程遠いので、その言葉を信じることも喜ぶことも出来なくなっていくのです。

✦5

そしてとうとう『悲観・抗鬱期』に転落します。この時期には微熱が2週間以上続き、睡眠導入剤がなかなか合わずに5種類位かな、次々と変わっていきました。

「よるがきてどれくらいたった?あとどれくらいであける?」
「現実にまで引き摺ってしまいそうな惨めな夢。ひとりきりでよかった。だれかいたら無闇に駄々を捏ねたり当たってしまったかもしれない。」
「じわりじわりと心の末節が折られていく」
「 能動的な孤独と受動的な孤独は絶望的に違う」

頭の重さや痛みに加えて、後遺症回復の遅れ、自由に歩けない、見えない、絵も描けない、本も読めなければごはんも食べられない、眠れない、見知らぬ人たちとの共同生活、そんな状態がふたつき近く続いた結果、肉体的にも精神的にも疲労困憊した私は自分勝手にやさぐれうちひしがれ、とうとうこんなことを書いたのです。

「ひどくつかれている

とてもとてもひとにあいたいけれど
だれのどんな言葉も信じられる気がしない
見放されているからかなしい
夜になればささいなことを比べて嘆いて眠りは痛みでひきもどされる

目に見えるもの全てが幽体離脱している世界
音は褪せている
いつになったらひとりで歩けるの
退院はじわりじわりと延びて延びて白紙に戻された
母の日に家族が集まる中急変した隣のベットの女性はとうとう戻って来ず別の人が入った

甘えているんじゃないだろうか
逃げているんじゃないだろうか

ゆっくりいきましょう?

だったらリハビリの時間以外ずっと薬で眠らせてほしい
どうせなにもできないんだから」

もうこれまさに、まさにです。今現在読み返すともうね、いろんな意味で頭を抱えて変な声が出てしまいます、いたたまれないです。
ゆっくり、とか、あせらずに、という言葉には過剰な拒否反応を起こしていました。

さらにここで担当医から退院ではなくリハビリテーション回復科への転院提案が入ります。T病院脳外科は手術に特化した場であり、リハビリ枠が専門病院に比べかなり少ないのです。また手術から2ヶ月以内でないと専門病院への申請自体も出来なくなるということで期限も迫っていました。「よくなったらドタキャンも出来るから申請だけはしておこう」という先生の声にも「はい」となかなか答えることは出来ませんでした。

✦6

ただ、たくさんの人から背中を押してもらいながらようやく次の扉が開いていきます。

「回復が思い通りにならずに無為に時間が過ぎているような気しかせず、うまく歩けないことへの自分への憤りと、リハビリ回復病院への転院提案のショック、マイナス思考による人間不信や猜疑心にうちひしがれる夜も少なくない何週間かでした。ふざけながらやさぐれて笑いに変える自分に独りになるとさらに苛立ったりしたりしてね。なんという悪循環。

大切なものを取り零し取り零されることに途轍もなく怖さを感じて、頭では理解しても受け容れることが難しく「がんばる」「焦らずゆっくり」なんて言葉は容易にゲシュタルト崩壊し本当にじたばたしたけれど、やっぱり今の私の状態で選択できることは限られていて、

⚫︎リハビリテーション専門病院に転院してより早い回復を目指す(なんと今の病院の3倍スパルタリハビリに時間を費やせる)
⚫︎後遺症の治癒を待つのではなくて何をするにもこの状態に馴れる

もうこれしかないのです。ケアワーカーさんや担当医さん達、看護師さんや友人と何度もなんども話してやっとこさ開き直れた今、覚悟を新たに転院となるでしょう。

この2ヶ月間で出来なかったことや逸してしまったことはたくさんある、でも今は諦めるしかない(やっぱりすごくすごく悲しいけれど)。目の前の出来ることだけをするしかないんだってことです。まだ必死に言い聞かせてるか私、えへへ。

なにはともあれ悔しいに変わりはないのでリハビリ病院では多少の無理は承知でめにものみせてやろうと(今のところは)思ってます。」

こうやって私は『解決への努力期』への一歩を踏み出したわけです。

でも残念なことに『受容期』にはまだ入っていないみたいなのですよ。早く、はやくここから出たい、退院させてという焦りが先生達には恐らくはみえみえなのでしょう。

人間というのはもちろんひとりひとり違う背景や価値観、思考、宇宙を持った複雑な生き物であると思います。
でもね、こういう場合に辿って行く心の変遷は個人差や時間差はあれど、例に拠って私もヒトとして上がったり下がったりしながらそのくねくね道を這いずってきたんだなと思うとおかしいやらお恥ずかしいやら感慨深いやらやっぱりちょっと腹立たしいやらこそばゆいやら…ともあれ、これでよかったのだと思えるにいたりつつあるこのごろなのです。

二つの態度 ※

病はおおむね
身に降りかかった災禍であり
受動的消極的経験である
人々は驚愕と焦慮をもって
この災禍をうけとめ
やがて諦念の中に身を委ねる

しかしこの受動的消極的経験を転じて
積極的能動的体験とする心の態度がある
旺盛な闘志と強い意志を持ち
病と闘い これを屈服せしめんとする
いわば自力本願的対病法か

病に身を委せ
茫洋乎と自然に随順するか
それともむき出しの旺盛な気力で
病に対決するか
その治癒対果的得失ははたしていかん?

しかし要は身と心の病の三者
それと社会的要因の相互関係が
不慮不可避の経験としての疾病の内容に
さまざまなヴァリエーション(変異)を
与えずにはおかない

わたしはまいにちきのうよりげんきになる

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(photo Reiko Yagi)

来月には自宅にある秘密の屋上から星を見上げることができますよう。

あ、すいか。
すいかについてはまた来月、お話しするとしましょう。
きっと、新しい絵と共に。

古林
希望


現代社刊
『詩集 病者・花』
細川宏遺稿詩集 より抜粋

古林 希望

古林 希望

絵描き

私が作品を制作するあたって 
もっとも意識しているのは「重なり」の作業です。

鉛筆で点を打ったモノクロの世界、意識と無意識の間で滲み 撥ね 広がっていく色彩の世界、破いて捲った和紙の穴が膨らみ交差する世界、上辺を金色の連なりが交差し 漂う それぞれテクスチャの違う世界が表からも裏からも幾重にも重なり、層となり、ひとつの作品を形作っています。

私たちはみんな同じひとつの人間という「もの」であるにすぎず、表面から見えるものはさほどの違いはありません。
「個」の存在に導くのは 私たちひとりひとりが経験してきた数え切れない「こと」を「あいだ」がつなぎ 内包し 重なりあうことで「個」の存在が導かれるのだと思います。

私の作品は一本の木のようなものです。
ただし木の幹の太さや 生い茂る緑 そこに集う鳥たちを見てほしいのではありません。その木の年輪を、木の内側の重なりを感じて欲しいのです。

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