当番ノート 第50期
妹がいる。 1人でものごとを決めてしまい、自分勝手でわがままで、でも実は人情深い。 2つしか離れていないためか、ライバルのように意地を張り合った幼少時代だったので、お互いにあまり優しくなかったし、疎ましく思っていたこともあった。 妹とは似ていないと思っていたし、似ていると言われるのは、たぶんお互いに嫌だった。でもユニクロのカーディガンやプチプラのアイシャドウ、読んでいる詩集など、生活の端々のものが…
それをエンジェルと呼んだ、彼女たち。
この回で『それをエンジェルと呼んだ、彼女たち』は最終回を迎える。この連載では人と出会った記憶を起点に、彼女・彼らを思い出すようにして書いてきた。それは思いを重ねることだった。自分はその人の何を書いているんだろう、という問いは重ねるほどに膨らんでいった。 胸を痛めたり、熱くしたり、透き通らせるような出会いを思い出すとき、特別に思えたその瞬間を一言一句記録する代わりに色として書き写した。ちょうど旅先で…
長期滞在者
“jardin“ 男性名詞.「ジャルダン」と読む. 時代とともにiardinになったりjardinに戻ったりするが、iもjも同じようなものと考えて良いし、13世紀以降、ほぼその姿は変わっていない. 学生の頃から枯山水や生花(せいか)は好きだったけれども、草花生い茂る「庭」に興味を持ったのは、つい最近だ.新型肺炎の影響で外出自粛が続き、マンションの庭を散歩するのが日課になった. 去年の暮れ、引っ越し…
当番ノート 第50期
「突然すみません、台中の珈琲フェスティバルに出ませんか?」 アンドサタデーを始めて半年ほどのある日、一通のメッセージが海の向こうから届いた。 これは新手の詐欺だ。そうに違いない。 なぜって、当時メディアにも出た事はなかったし、錚々たる日本の珈琲店を差し置いて、海の街の小さな珈琲店に声が掛かることなんてないはずだから。 逗子の街でもまだまだ知られてないのに、どうして台湾の人が知ってくれているのか。 …
お直しカフェ
私の働くカフェも休業している。これは最後に店番をしたとき、知らない間にカウンターの傍から撮ってもらっていた写真。この日は春からの新しいスタッフの面接もたくさんあって、忙しかったけど楽しかったなあ。全部、ひと昔前のできごとみたいだ。 気を取り直して。 お店のエプロンをお直しするために持ち帰ってきた。使い続けているうちにコーヒー滲みなどが目立つようになったからだ。「新しく黒いエプロンを買おうか」と言う…
当番ノート 第50期
写真の話をしよう。 モノクロは撮った瞬間から死んでいる。というのは荒木経惟の言葉だったろうか。それは違う言い方をすれば時を持たないもの。また別の言い方をすれば永遠を持つということだ。物理的には多少違うところもあるが、認識のレベルではモノクロは色あせることなく「ずっと同じで、変わらずここにいる」ことが担保されている。一方でカラーは絶対的に生であり時間を持つ。それは物理的にプリントされた写真は時間と太…
当番ノート 第50期
名付けについて考える。 かつていくつかの名前を持っていた。 名前は、コートネームと言って、部活のコミュニティ内だけで通用するものだった。部活が始まった初期の頃からのもので、代々引き継がれてもう何十年と続いている制度らしい。2つ上の先輩が名付け親になる。 名前をもらい、帰宅後「〇〇という名前になったよ」と家族に報告する時は変な心地だった。 体育館の舞台上に新入生が30人集まって、名前の候補のレジュメ…
当番ノート 第50期
メッカへの巡礼から帰国した同僚の机の上に、見慣れない木の枝が置いてあった。 長さは10センチより少し長い程度。太さは5ミリくらいだろうか。木の枝であることは分かったのだが、そこから先が分からない。そこへ同僚がやってきて自慢げに話す。 「ラミ、これは歯ブラシだ。しかも歯磨き粉が必要無い。」 この木の枝でどこをどう磨くというのだろうか。納得していない私の表情を察したのか、カッターナイフ…
当番ノート 第50期
アパートメントで文章を書くことを通じて、一人の死によってさまざまな人や物事と出会い直していたことに気づく。 亡くなったのは一人なのに、自分に見えていた世界のあちこちの形が、否応なく変えられていく。 — 父に花嫁姿も孫の顔も見せられなかった、というに対して、悲壮感にかられるかと思いきや、案外そんなことはない。 男兄弟がいない長女のためか、小さいときから家を継ぐように度々言われてきた。婿を…
当番ノート 第50期
「やぁやぁ」 今日も自転車を走らせながら、珈琲店の前をやっちゃんが駆け抜けていく。 すぐ近くにある魚勝という歴史ある料亭で働く、妖精みたいなおじいちゃん。 通り過ぎるときに必ず手を振ってくれるので、こちらも手を振り返すのがお約束の日課だ。 やっちゃんはこの街の守り神のような存在で、毎日のように自転車で街中をぐるぐる走り回っている。 おそらくは仕事で駆け回っているのだが、自転車のカゴはいつも空だし、…
当番ノート 第50期
感動。挫折。後悔。幸福。大切な体験には、姿と音が記憶に残っていることがあると思う。 16時から18時ごろ、街に響き渡る帰宅へ導くチャイムと「バイバイ」視界のぼやける朝、台所に立つ母の姿。頭痛になりながら、とぼとぼと歩く傘の下。 … 音を聴くと記憶が蘇ってくることもある。近日だと、家にいるときに聴こえるのはどんな音だろうか。 犬の遠吠え。スマホのスワイプ。パトロールカーのサイレン。左から右にゆくスケ…
鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
ひとつの場所に集まることが白い目で見られるようになってしばらく経つ。新型コロナウイルスの流行で、会うことはそのままあぶないことになった。 おたがいが無自覚に他人を感染させる可能性を持ち、誰の唾液も毒とおなじように扱われる。だからみんなマスクをし、レジのカウンターには透明なビニールの壁が張られ、そして、飲食店やライブハウスや美術館は扉を閉めた。 昨年十一月まで週に一回「しょぼい喫茶店」を開けていたわ…