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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
しょぼい喫茶店は二階にある。入り口にたどり着くためには、道路に面した小さなビルの入り口をくぐり、階段を一度折り返さないといけない。そうしてようやくドアの前にたどりつくと、ドアにこう書いてある。 いらっしゃいませ。ここは「鍵のかかったカフェ」です。ドアには鍵がかかっていますが、お店は開店しています。どなたでも鍵を開けることができます。ドアをノックして、なにか言われたら 「■■■■■■■」 と答えてく…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
前回に書いたように、場を持つにあたって、そこに固定されたコミュニティができてしまうのがもっとも怖かった。お互いに親密な決まった顔ぶれが場を占めるようになると、はじめて来た人を仲間外れにしてしまう。 「しょぼい喫茶店」、特にわたしの営業に来てくれる人は、だいたいがインターネットで情報を得てやってくる。馴染みのない土地のはじめて入る店までひとりでやってくるのは怖いし、そのうえしょぼい喫茶店の入り口はド…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
わたしがいわゆるひらかれた場を志向したのは、仲間はずれにされることへの原初的な恐怖からくるものだった。 思春期にさしかかったころから同級生のコミュニティになじめなくなった。自分のアイデンティティをふりかえると、わたしはもともと多層にマイノリティである。第一に両性愛者であること、つぎに発達障害をもっていること。物心ついたころから家族でカトリックを信仰しているので宗教的にも日本では少数派であり、おまけ…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
人と一緒に仕事をするのが苦手だ。自分の想定を崩すタイミングで指示が来たり、自分が立てたはずの企画や進行プランがディスカッションを重ねるうちまったく違うものに成り代わっていったり、まして仕事の内容と関係のない人間関係のことで労力をとられたりすると、急に意欲がなくなったり、ときにわーっとパニックになったりしてしまう。 しょぼい喫茶店で働かせてもらっていたときのワンオペレーションは、ほとんど理想の働き方…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
死にたさはとつぜん訪れる。自分が能動的に「死にたい」と望むというより、雨や落石のように、「死にたさ」という形のあるものが否応なく降ってくるような感覚だ。大人になって多少受け身をとるのがうまくなったりしたかもしれないけれど、とはいえいっぺん来てしまうともうどうしようもない。しばらくのあいだは重たい死の引力と、「でも、確か死なない方がいいらしい」という心もとない憶測とのあいだでのたうつことになる。 原…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
マスクをしている人にもだいぶ見慣れてきた。今やもう、マスクをしていない人と向かいあうのに身体的な抵抗感が生まれるという話も聞く。マスクの価格は一度大幅に高騰したのち、元の安さまでは戻りきらないところで安定してしまった。わたしが「うなずく人カフェ」という企画をやったのは昨年の夏で、まだ五十枚入り数百円でマスクが買えたころのことだった。 「うなずく人」というのは、文字通り、話を聞いて、ただうなずく人の…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
まずは以下のテキストを見てもらいたい。 冷蔵庫の下の方に。デミグラスソースしかない。足元に。イナゴしかない。一文字違いですね、イチゴ。イチゴの方がいいな。大丈夫ですか、頼まなきゃよかったとか。ちょうどいいです。でもなんか、戦場から戻った感じですね。地雷一回踏んだんです。酒飲まない。車で来たんで。芝生をはぎ取るんです、そのあときれいに土を掘ってすぽっと埋めて、またきれいに戻す。その仕事は大企業でやっ…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
「来ぬ人を待つ」カフェをひらいたのは、ちょうど一年前のお盆が過ぎたころだった。この国ではお盆と終戦記念日、それから一年でいちばんの暑さとが重なることになっていて、どうしても死のけはいが濃くなる。いる人といない人とが、いつもより曖昧に交差するような気がする。 「来ぬ人を待つ」は、ほかの場の詩企画にくらべるとやや地味だ。わたしを含む、その場にいる人全員で、「まだ来ていない誰かを待っている」というテイで…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
だれかの話を聞くのが好きだ。より正確にいうと、だれかに話される話を聞くのが好きだ。 同じじゃないかと言われそうだがすこし違う。「話を聞くのが好きだ」というとなんだか聞き上手的な、コミュニケーションがうまそうな、そんでもって友達なんかもいっぱいいそうな感じがするが、わたしはその点はてんでダメなので誤解しないでもらいたい。基本的に会話全般のことはそこまで得意でもない、むしろ苦手なほうだ。雑談の話題に困…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
「しょぼい喫茶店」での営業について書いてみよう、と思ったときと今とでは、ずいぶん世の中が様変わりしてしまった。こういうふうに書くのさえ、今さら言い尽くされたことだと感じるほどだ。当たりまえのように毎週店をあけ、肉体ごと集まってくる人を肉体ごと待っていた日々が嘘のように、今や会うことはおたがいにとってリスキーなものになった。 さいきん、会うことへの郷愁のようなものがあちこちに漂っているのを感じる。ビ…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
ここまで「場の詩プロジェクト」の各企画意図についてあれこれ書いてきたけれど、「実在しない恋人カフェ」という企画に関しては、とくに深い意味はない。ただわたしが”恋バナ”をしたかっただけだ。私利私欲。 恋バナ=恋愛の話をするのはむずかしい。というとふしぎそうにされることもある。しかしこんなにむずかしいことはない。恋愛といえばなんとなく響きはいいがようは性愛であって、そんなパーソナルな話ができる相手はそ…
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鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
敬語禁止カフェをやった頃から、不快なことがおもしろいと思うようになった。 敬語を禁止されると、もともと持っていたコミュニケーションの形式をあきらめ、場当たりで対処するしかない。そうすると不安で、おろおろしたり、時に気まずくなったりする。そのすがたが、見ているとなんとも魅力的だった。わたしはそれがとても好きで、よくお客さんたちに底意地の悪さをなじられたが、そう言うお客さんのほうだって、お互いが言いま…