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3月

スケッチブック

色々なことが取りやめや延期になってようやく、日常を広げて考えられる感覚がある。地球の裏の友達と、数年ぶりのやりとりが再開している。「そっちは大丈夫?」「そっちの様子はどう?」なんて、いままでにない共通言語で会話をしている。

怖いんだよね。と布団の向こうで声がした。これから、たくさんの人が亡くなって、大事な人が死ぬかもしれないのが怖いんだよね。

SNSを1ヶ月閉じていても平気だったのが、いつのまにか再開して、たくさんの情報を取り込んでいる。毎日が決めることの連続だ。 外に出れば隣り合わせの公園が鮮やかな春を告げている。

エクアドルの友人は8日間の外出禁止。メキシコの親友は登園禁止で、子育てと仕事の両立に発狂しながら、一人になってしまった母親の心配をしている。アメリカの元ルームメイトは、公演の予定が全て中止になり、もうひとりのルームメイトは、医者の旦那を心配している。エジプトでは知人の知人がコロナで亡くなった。

2週間後、世界が、日本がどうなっていて、自分が何を感じるのかはわからないけれど、少なくとも今、つながり直している。矛盾と生きている日々は、毎日、違う色をしている。

3月1日(日)

晴れ。朝から庭を耕していたりっぴが、今年育てるハーブを買いに行くという。「お花屋さん、一緒に行く?」と聞かれたしおは嬉しそうに手を繋いで出かけていった。途中で私がいないことに気がついて、「おかあしゃん、おうちに忘れてきちゃった」と言ったらしい。体調不良の私は留守番だ。くしゃみがとまらないし、頭が重い。昨晩、久しぶりに人の集まりに出かけて、翌日、花粉症に逆襲されている。帰ってきたふたりは、仲良くドライフラワーを花瓶に活けている。キッチンでは順が特売品だったというニシンを無心に料理している。

3月2日(月)

冷たい雨に、渋谷に行くのを諦める。来週の取材の下調べのために借りて来た長編小説を読み始める。これまで色々な研究資料で拾っていた情報の片らが、壮大なプロットの随所に盛り込まれていて、いきいきと繋がっていく。緻密なビーズ細工のようでいて、龍のようにダイナミック。物語を読んでいると、だいたいご飯を食べ忘れる。頭がきゅうっとなっていて、ふと顔を上げた瞬間に緩んでガンガンと痛み出す。あっという間に夕方になっていた。その痛みのまま、お迎えに走った。

3月3日(火)

ソールライター展中止。コロナの影響で文化村が中止を決めたらしい。色々と用事をまとめて渋谷に行くはずが、結局家で仕事をすることになる。Aちゃんから、久しぶりにメッセージがくる。雑誌に掲載された私の発言を「拡張家族」がテーマのプレゼンに引用したいとのこと。okだよ、と返事を出すと「たまには顔だしてね」と返ってきた。行くはずだったんだけどなあ、今日。帰り道のしおはご機嫌だ。「おとうさんみたいに背が高くなるんだー」と張り切っていた。帰るとふたりきり。いつもの時間になってもりっぴが帰ってこない。しおは「心配だねえ」といいながら、トマトとイチゴを取り分けたお皿をずっと眺めていた。

3月4日(水) 

コロナの影響で完成間際だった原稿の修正を迫られる。原稿内で中心的に取り上げていたアート作品が展示中止になってしまったのだ。こういう時、私は憤りながらも、腕の見せ所と言わんばかりに、ストーリーの再構成や編集技術で解決しようとしてしまう。一緒に組んでいた友人ライターの対応が素晴らしかった。それでは関わった人たちへのリスペクトに欠けるとお客さんに言い放って、原稿の核となるテーマが骨抜きになるのをちゃんと止めることができた。一日遅れのひなまつり、今日はちらし寿司。

3月5日(木)

昼過ぎから空港へ。バスの運転手さんが、乗り場で荷物を積んでいる職員さんに「さみしい感じだね」と、ぼやいていた。じゅんとしおの島根行きも中止。3人で羽田まで来てそれぞれ飛行機に乗る作戦だったけど、ぼっちの空港で、夜の便まで仕事をする。空港という場所から見えるパノラマが好きだ。夕焼けの時間、私の好きな薄いオレンジ色と、母の好きな淡い紫色が空の上でひとときだけ出会う(母の箪笥からはこんな色のショールがいくつも出てきた)。あの境目にある、わずかな、色のない部分には何があるんだろう。

3月6日(金)

自転車で県立博物館に来たら臨時閉館。ここもコロナの影響だ。方々相談すると、近くの新聞社で探していた資料を見せてもらえることになった。取り次いでくれた人は、私の仕事に興味をもって色々と聞いてくれて、頑張ってと声をかけてくれる。事務的じゃないあたたかさに、旅で人と知り合う喜びを思い出す。今回の取材は首里の街。沖縄に来る時、いつも泊めてもらっているえりの家のすぐ近くなのだけど、ぐるぐると歩き回るのは初めてだ。急な坂ばかり。夕食を食べに入ったお店には、私ひとりしかいなかった。今日の夕日は赤くて、重たい。とっぷりくれた夜を、膝をくっと曲げて、重力にひっぱられるように降りていく。

3月7日(土) 

朝から取材で街のあちこちに御嶽を見にいく。包まれて、深遠な世界から、見つめ返されているような感覚がある。世界の入り口と出口。いにしえの静けさと漣。今が一筋の光のように差し込んで、眩しいほどに生きている。はじめて沖縄に来た時も似たような体感があった。一緒に来てくれたえりの写真をたくさん撮った。

3月8日(日)

荷造りをしながら、昨晩えりに教えてもらったRadwimpsの「正解」をかけたら、涙が止まらなくなった。正解なんてない、正解の探し方にも、傷ついた友の励まし方にも。大人になったって、ずっと。

昼過ぎ、那覇空港へ。コロナで大変ですよ。とタクシーの運転手さんが言って、散々な数字を教えてくれる。快活な口調には、それでも当たり前のように明るくたくましく生きていくという力が漲っていた。家に帰ると、りっぴのおじいちゃんから立派なあまおうが届いていた。郵便局から毎月届く季節のフルーツ。いつも「一緒に食べた方が美味しいですから!」と誘ってくれたお楽しみも、今回が最後だ。りっぴのおじいちゃんは夏に亡くなったから、来年度の更新はない。しおは「りっぴのおじいちゃんありがとうー!」と空に向かって手を振った。一瞬みんながはっとして「潤んじゃいますね」とりっぴが呟いた。

3月11日(水) 

あなたはわたし。せめて側にいさせてほしいと衝動が突き上げる時がある。パートナーに感じる気持ちとは違う。そう感じるときは、だいたい友達が重い人生の荷物を背負っているときで、なのに大したことをしてあげられないとき。わたしはあなたにはなれない、と思い知るとき。人知れず小さな別れを告げた小さな春が、静かに過ぎて行く。

3月12日(木) 

物書きの会、再開。みほちゃんと会うのも数ヶ月振りだ。お互いのタスクを共有し、あとはそれぞれの仕事をする。はかどらなくて、ため息ばかりがでた。渋谷も人が減った気がする。向かいの席で若い女の子がリモート面接をしている。たまに喫茶店での面接に遭遇すると、肩越しに緊張が伝わってくることがあるけれど、パソコンの画面に向かって一緒懸命しゃべっている彼女からは、スクリーンが吸収してくれない力みのようなものが、飛び散っていた。

3月13日(金) 

渋谷へ。久しぶりの人たちと話しが弾んで帰りが遅くなった。紙袋にはもらった芽の出たジャガイモが入っている。コミュニティーにどっぷり浸かるよりも、これを植えて根っこで繋がっていたい。それが今の私には合っている。今日の空は軽い。手を伸ばして裸の木々のしなり方をなぞるように動かしてみる。はたから見たら変な踊り。でも気にしない。これから沢山の花が開き、葉が茂る。生命力に満ちた木々が、賑やかな春を前に大きく伸びをしているみたいだ。

3月14日(土) 

昨日の夕方、保育園で人事異動が発表されてしおの担任の先生は二人とも異動になったらしい。週明けに顔を見たら泣いてしまいそう。雨模様。家のゆずを絞ってゼリーを作る。しおが「できる」、とご機嫌に絞り始めたのに、ゼラチンを自分で入れさせてもらえなかったことで、泣き出してしまう。じゅんに冷蔵庫に入れてと頼んだつもりが、野菜室に入っていて固まらず。え、なんで…と呟いたことで、気まずい空気になる。夜、私が型から抜くためにかけたお湯が熱すぎて、ゼリーが少し溶ける。りっぴが喜んでくれて報われた。ホワイトデー。

3月15日(日) 

裏庭の長年放置されていた空間にスコップを入れると、ぶち、ぶちと根っこの切れる音がする。どくだみか、いや、名前を知らないあの草の根っこ? 土の中に植物の社会がある。じゃがいもも宜しくお願いします、とそっと土をかぶせる。

夜、麻婆豆腐を使った。マーもラーも使わない母の料理の再現。これは美味しい!とりっぴやジョージくんが沢山食べてくれるのが嬉しい。りっぴが月末に引っ越すちーちゃんに、送別会で何を食べさせてあげたいかを考えながら、彼女がインスタにあげ続けてくれている家のご飯写真を見返している。「あーこんなのも作った。忘れてた。やっぱり記録しておくのは大事ですねえ」。

暮らしを書き留めたいと思う。光の感じ、風が通り抜けていく時の音、醤油加減。同じ日は二度とない。同じ演奏が二度とできないように。

3月16日(月)

風が強い。春一番? 今日の井の頭公園はダイナミックだ。 木々の枝があちこちで大きくしなっている。テーブルの上には昨晩、しおが活けた桃の花。満開になった庭の桃をりっぴと切っていたら、しおがどんどん剣山にさしていって、もりもりの作品になったのだ。私も負けじと壁という壁に満開の枝を飾った。古い家に鮮やかなピンクが灯ると気持ちが浮き立ってくる。家の春支度。

3月17日(火)

しおが「K先生こども園に行っちゃうんだって。やなの」と言う。担任の先生がひとり明日で異動なことを理解したらしい。「そしたらお手紙書く?」と提案すると頷いて、ペンを握り、慎重に、熱心に書き始めた。「K先生ありがとう」言葉にしながら、ちょんちょん、小さな点やハネや丸が連なっていく。「遊びにきてくれるから寂しくないよ。来てね。たくさん来てね。大きくなってこども園に遊びにいきます」行かないでと書くのかと思ったのに。いつのまにこんなに大人びたのか、と驚いしてしまう。

次はE先生にも書く、と新しい紙を取る。E先生はまだあと2週間いるよ、と言っても今書くんだという。「E先生、寂しいよ。ちっさいときからずっと一緒…」言葉にして気持ちの整理をしているみたいだ。くはあと出た小さなあくびが、映り込めばいいのに。

3月18日(水)

在宅にするも、仕事が進まない。起きがけのちーちゃんを誘って近所のヨガに行く。半分小走りで駆け込み、受付で「あれ?ふたりはお友達なんですか?」と聞かれて「同居しているんです」と答えたら案の定びっくりされた。近所のカフェで仕事をして保育園にお迎えに行く。気を利かせてくれた同じクラスのお母さんが寄せ書きのカードを用意してくれていて、記念写真撮りましょうよと声をかけてくれた。同じクラスでも初めてゆっくり話すお母さんや先生と「もう担任じゃないから飲みに行けますね」という話になった。新しい関係性の始まりなのかもしれない。

3月19日(木)

ちーちゃんがロールキャベツを作ってくれるというので、解凍しかけていた鶏肉を冷凍庫に戻した。私が作ったきのこのお味噌汁、だし汁につけたもずく、りっぴが作ったごぼうと鯛の煮魚と、こんにゃくと根菜の煮物、順が買って来た刺身、それにロールキャベツ。明日はみんなが休みだから、泡盛がどんどん空いていく。ちーちゃんが夜に家にいるので、しおが嬉しそうだ。ちーちゃんとりっぴの真ん中に座り、3人でパズルをしている。私もちーちゃんも写真をたくさん撮った。みんなして、砂時計の中にいるみたい。

3月20日(金)

週末のゆっくりとした朝、順と喧嘩。怒って部屋を出ていった彼は、スーパーに買い物に出かけ、私はしおと二度寝した。以前だったら、原因となったずれを特定しようと、できるだけすぐに、納得するまで話すということをしていた。(あるいは私が先に家を出ただろうし、彼ももう少し違う気分転換先に向かったんじゃないかと思う)今は自然とそれぞれが気持ちを自分で処理して、時間の余裕があれば話すという感じ。暮らしが優先。いいとか悪いではなく。ただそんな時期。ちーちゃんの友達が遊びにきてトマト煮込みと肉じゃがを作ってくれた。喧嘩していても、家は会話と笑いに満ちている。そんな時期。

3月21日(土)

しおと公園に遊びに行ったら保育園の知り合いや友人家族に会った。しおは少し年上のお姉ちゃんを夢中で追いかけて遊んでいた。生春巻き、だし巻き卵、焼いたマグロ、玉ねぎのオーブン焼き、ぶり大根、お麩のお味噌汁。今日も今日とて、豪華な夜ご飯が並ぶ。うちのキッチンは協奏曲的だ。誰かがトントンやりだすと、我も我もと品数が増えていく。りっぴが遊びに来たちーちゃんの友達と私が妊娠したときの話をしていた。「私の不安よりも、あっこさんのここで育てたいっていう熱意の方が強かった」。3年前のちょうど今頃の話。

3月22日(日)

散歩に出たら、お花見にきた多くの人たちで賑わっていた。夜はちーちゃんの送別会。今日は管理人さんたちも参加。主役のちーちゃんにこの2年間どうだったかを聞きたいなと思って話題を振るも、次々と加わる料理に話題が途切れて、みんな好き勝手なことを喋っていて、そんな感じにならない。ちーちゃんも「私のことはいいですって」とお鉢をすっと人に回している。


宴もたけなわというときに、死ぬ時のことって考えます?と、ちひろちゃんが鍵次くんに聞いていた。最後に何を食べようかは考えるなーと、鍵次くん。この肉体が魂から自由になったらどうなんだろうっていうのを考えるんですよ、とちーちゃん。あっこさんは?と鉢が回って来た。母と同じ歳まで生きるとして、もう折り返しを過ぎている。そのことに驚きつつも、生き急げない。向こうからやってきて、飛ぶように過ぎて行く月日をただ受けとめて、生きている。言葉にしてみて、まだ元気ではないんだなと思った。ただ愛おしく、生きている。

3月23日(月)

花粉症がひどい。調べたらヒノキ花粉が始まったところらしい。福岡に打ち合わせに来れないかと打診がきて、福岡の花粉情報を調べてしまった。なぜか私が呼ばれている日だけ少ない予報が出ていて、気持ちが傾くけれど、電話してみるとオンラインで大丈夫そうな内容だったので遠隔参加の返事を出す。出張をあえてオンラインにするのは初めてだ。CO2削減と言われてもなかなか旅の機会を手放せなかったのに。子育てとコロナ、保育園が閉まる前に本の原稿を、と思うと、できてしまった。ウィルスで人間は苦しむけれど、地球は綺麗になるのかもしれない。

3月24日(火)

午前中、家の近くのカフェで仕事をする。ここは朝、私しかお客さんがいない。6つ先の駅の大好きな店が苦戦しているけれど、行ってくしゃみをしたらもっと迷惑になると思うと出かけられない。午後、スタバを覗くとすごく混んでいた。

お迎えに行くと保育園の先生に、「明日はパパと島根にいくと言ってるんですけど、そうなんですか?」と聞かれた。「当面予定はないんですけどね」と打ち消しながら、しおは変化ばかりで戸惑っているかもしれないなと思う。こうして気にかけてくれる先生も来週には異動だ。「大丈夫ですよ。きっとしおちゃんは他の先生たちを好きになって、先生たちもしおちゃんのことが大好きになりますから」。私は別れが苦手だ。でも本当は誰かの愛情を受けたことでまた誰かを好きになっていく、その循環がこそが、幸せなのかもしれない。

3月25日(水)

桜満開。朝、保育園まで少しだけ寄り道をした。それでも足りなくて、帰り道、また寄り道をした。朝の光が本当に綺麗で、桜と名のつかない花や、木の蔦、川のせせらぎの、ちらちら揺れる様にカメラが向く。Sから5年ぶりのメッセージがくる。「家族は元気なことを祈っているよ。いつのまにか僕は叔父になっているじゃないか!」明るいトーンのメッセージにほっとする。数日前から、しばらく音沙汰のない友人たちからのメッセージが入って来るようになった。どれもパーソナルなこと。だから嬉しい。

3月26日(木)

父と夕飯を食べに行く。コロナのことであまり会わない方がいいという思いと、外出禁止令が出たら本当に会えなくなるからその前に、という思いの間で揺れる。賑やかな家で夕飯を囲んだあと、父がひとりでご飯を食べている姿を想像して苦しいときがある。友人たちと出かけている話を聞く度にほっとしていたけれど、ひとりでずっと家に篭っていなければならなくなるとしたら、寂しがり屋の父はどうなってしまうのだろう。手早く定食を食べて、夜桜を見に行った。桜の前では素直になれて「もし禁止令が出たら、うちに来る?」と聞いてみた。答えはわかっている。でも聞いてみたかった。

3月27日(金)

ちーちゃんお引越しの日。朝リビングに降りたら、テーブルにお手紙とみんなへのお酒と、しおへのクッキーが置いてあった。晴れていて良かったと思う。まさきくんが出ていった時は雨だったから、いつまでも寂しかった。今日はただ、軽トラの助手席でずっと手を振ってくれていたちーちゃんの笑顔が爽やかに残る。夕方、買い物に出かけたら、友人家族が公園でサンドイッチを食べていた。スーパーがすごい列だったと聞いて、気が変わり、早めに保育園に迎えに行くと、しおが少し驚いた顔をした。おかあさんと寄り道して帰らない?と囁くと、公園!と嬉しそうに歩きだす。明日は雨だ。惜しむような日々。

3月28日(土)

戦後最大の危機、(震災はどこへ行ったのだろう?)という発言を新聞やネットで目にするようになる。実際、戦争の時もこんな感じだったのかもしれない。あの街で(国で)はこれだけの被害が出たらしい。やがて自分たちのところも大変なことになるだろう。すこしずつ気配が近づいてくる。それでも暮らしは回っていく。子どもたちは起きてきて、全力で走り回って、全力で泣き、全力で笑う。
一緒に笑う。それも現実だから。夕日は人間の憂いなんて意に介さず、明日の晴れを約束する。それで、今日もいい1日だったと思う。寝顔の小さな額をいつもより長く見つめる。2週間後には愛する誰かが亡くなっているかもしれない。失われた幸福、なんて言葉に囲まれるかもしれない。それでも今日が、綺麗な春の日だったことは変わらない。

3月29日(日)

雪、積もる。父と母が出産祝いに買ってくれた洋服のセットから、まだ一度も着せていなかったしおの防寒服を出してくる。もこもこと真っ白なスーツにすっぽり包まれた彼女は、ペンギンにしかみえない、私は南極で着ていたジャケット。あったかいという安心感は最強だ。桜も桃も雪をかぶっていた。誰かがつくった雪だるまが、ぽつん、ぽつんと立っていて、あとは誰もいない。おそる、おそる、それから駆け出して、白ペンギンは雪景色を駆けて行く。

3月30日(月)

緊急事態宣言が出るかも、と譲次くんから家のラインメッセージがきた。デマかもしれないけど、というやりとりの途中に、俺の職場にもきてるわ、と順からもメッセージが入る。今のうちに仕事を終わらせなければ、いや、むしろ、当面の暮らし、家で仕事ができる環境を備えるのが優先か。ここのところ、頭の中がごちゃごちゃしている。お店をやっている人たちの苦悩がどんどん鮮明になってきて、彼らの補償が決まらないことにも、やきもきしている。

E先生とも今日でお別れ。朝、私が先生に手紙を書いていたら、しおももう一度書く、とペンを握った。「E先生、ありがとうございました。ありがとうございました。いまお父さんはゴミ捨てに行っています。ありがとう。午前中はありがとうございました。午前中ならいっぱいE先生と遊べるね」。全部が彼女の見ている世界。お迎えに行くと、0歳児クラスの時から一緒だった3人が揃って「あ、クラシカルズだ」と先生が笑った。先生のセンスが大好きだったなと思う。2年間。見守ってもらった。育ててもらった。しおも、私も。どれだけありがとうを伝えても足りない。別れがたい。それでも子どもたちのお腹はすいてくる。「お腹すいちゃったよね。バイバイ。またね」。それでいい。それがいい。

3月31日(火) 

半年契約の予定だった仕事が、なくなった。それはすこーんと見事に中止。爽快感すらある。大好きなお店の応援券を買った。国が出さないなら、自分で参加できる経済対策。少し、気持ちが前向きになる。

ジムに行った。ここのところずっと迷っていた。いっそ休業と決まればとも思うけれど、ひとつひとつ自分が決めていくしかないらしい。久しぶりのヨガはとても気持ちが良かった。家の人や保育園に対する罪悪感の方が強かった。「休会」と自分の中で結論が出て、ほっとする。

今日はSくんが保育園最後の日。寄せ書きを書いて、記念写真を撮った。お別れが続いたから、こどもたちも親たちも、手順に慣れてきた。しおは保育園を出ると、いち早く駆け出した。Sくんはお母さんの自転車に乗って帰るから、歩きの自分は距離を稼いでおこうということらしい。いつもの曲がり角でバイバイタッチ。ふいっと横を向いたSくん。しおは、すぐに家に向かって走り出し、にっこり振り返って「また遊ぼうねー!しおのおうちの前通って公園行こうねー!」と叫んだ。Sくんも笑って手を振る。Sくんのお母さんと話し終えてしおに追いつくと、しおは澄んだ声で「ちゃんとバイバイできたよ」といった。

久しぶりに別れの季節を経験した気がする。フリーランスになってから、人事異動の類がめっきり縁遠くなった。ひとつひとつの別れを経験して、しおは大きくなった気がする。3月。その集大成に、小さなふたりの見事なくらい爽やかなバイバイに、背筋が伸びた。

寺井 暁子

寺井 暁子

作家。出会った人たちの物語を文章にしています

Reviewed by
中田 幸乃

食卓に並ぶごはん(誰かの日記に食卓の記録が書いてあるとにんまりしますよね)、しおちゃんのまぶしい愛らしさ、周囲の人たちとの会話、満開の桜、雪景色、空を染めるグラデーション。
薄暗い森の中、それでも毎日花を摘んで集めていくような姿勢に出会えて、頭の中の喧騒が、すうっと静かになる。
寺井さんのつくる花束を見せてもらえて、とてもうれしい。

けれど、花の色を、形を、手触りを確かめながら、はっと立ち止まる。
3月8日の日記には、こう書かれている。

「家に帰ると、りっぴのおじいちゃんから立派なあまおうが届いていた。郵便局から毎月届く季節のフルーツ。いつも一緒に食べた方が美味しいですから!と誘ってくれた。今回が最後だ。りっぴのおじいちゃんは夏に亡くなったから、来年度の更新はない」

季節の訪れを告げる果実のみずみずしさや宝石のような艶めきと、それらを送ってくれたおじいさんが同じ季節の中にいない矛盾に、悲しさと、怒りのような感情を抱いてしまう。
空に向かって「りっぴのおじいちゃんありがとうー!」と手を振るしおちゃんの行動に救われた。

わたしたちは、大きな矛盾とともに生きている。
その事実が、これまでにない切実さで迫りくる日々の中で、寺井さんの言葉に触れて背筋をのばす。
見つめなければ、今を。
祝福された瞬間を拾い集めようとすることと、耳障りのよい言葉で違和感や怒りに蓋をすることは違う。
そんなことを、繰り返し、繰り返し考えている。

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