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7月

スケッチブック

7月4日

「ばいばーい」小さな手が振られて、タクシーのドアがすうと閉まる。朝6時。しおと順が実家に帰った。「おじいちゃん、おばあちゃん、来ていいって」先週そう伝えた時は、「やったああああ」と叫びながら、保育園からの帰り道を駆け出し、昨日荷造りの前にもう一度伝えると、四つん這いになって両足を宙に何度も蹴り上げた。おかしくてカメラを向けると、たまらず顔を自分の腕に埋めて、ひとこと「よろこびです」と、呟く。 久しぶりの帰省が叶った小さな人は、嬉しい気持ちが、小さな体の輪郭からはみ出していた。

7月7日

七夕は小雨の1日。夕方には止んで、大胆な筆さばきでざっくりと濃淡をつけたかような、見事な蒼い曇り空が広がった。息抜きに駅まで散歩して、ブルーライトをカットしてくれるメガネを買って、気になっていた靴の試着もする。帰り道、大好きな古本屋さんにアルバイトの張り紙を見つけて、思わずチャンスに飛び込みたくなる。それくらい、意識が自由だ。自分のことしか考えなくていい。そんな時間の流れの中にしかいない私が存在することを思い出している。

新しいメガネをかけてパソコンに向かっているとしおから電話がかかってきた。「もうすぐお父さんのお誕生日だね」と話しかけると、「かあちゃん、なんでメガネしてるの、外してよ。お仕事は進んだ?」この電話がくるときだけ、私は母に戻る。そして電気を消して、電話の向こうの人たちと一緒に寝る。一人の頃だったら毎晩根詰めてやっていたであろうことに、区切りがある。明日もきっと朝早く起きられる。このリズムを崩さないでどこまでいけるだろう。

7月13日

「ひさびさにみんなでご飯食べません?」りっぴの呼びかけに、夜の散歩を後回しにして、冷蔵庫の中身を見る。この一週間、見事にばらばらにご飯を食べていた。りっぴには昨日大きな試験があって、その勉強に没頭していたし、私は朝から晩まで本の原稿、えりちゃんは夜遅くまで仕事。りっぴの試験の日は、えりちゃんと2人で、「受験生がいる家ってこんな感じなのか?」「なんだかそわそわするね」とキッチンで話したりはしたけれど、顔を見ずに1日なんて日も普通にあった。これがしおの生まれる前の日常でもあった。

「あーこの感じ、はなれのご飯だ」
「ひとりで食べると野菜不足になって」

野菜いため、豆腐の味噌漬け、ししゃも、切り干し大根、じょーじくんが持って来てくれた東北のフカヒレスープに、えりちゃんのぬか漬け、そのテーブルの真ん中ではまだ笹の葉が私たちの願いを下げている。女性陣の書いた短冊はどれも切実な願い事だ。しおは何を書いたんだろうねー?と、えりちゃんが言った。ちょんちょんヘニョヘニョ文字の短冊が揺れている。

7月14日

夕方、思い立ってケーキを食べにいくことにした。今日は仕事にならない。うっかり一晩中起きていてしまい、 布団に入ったのは朝の10時。3年前、手術室に向かったのも、ちょうどそれくらいの時間だった。

公園の木がわさわさと揺れている。3年前のこの日も晴れていた。あの部屋はとても冷たかった。私は麻酔もナイフもとにかく怖かくて、震えていた。部分麻酔でお腹と子宮を切られている、まさにその枕元で、見学の若いお医者さんたちが、ぼそぼそと夏休みの予定を話していた。こっちは命がかかってるのに!と叫びたかったけれど、それは彼と彼女には関係のないことだった。絶望的な痛みの中、小さな人が顔の近くに近づけられて、私はまだ青ざめていたその唇にそっとキスをした。彼女は連れていかれて、私は病室に戻されて、様子を見にきた夫に、母だけに会いたいと頼んだ。きっとおめでとうと言ってくれるから、父には会えなかった。怖かった、辛かったと、泣きじゃくる私を見て、母は困ったように「赤ちゃん可愛かったよ」と言った。それからぽつんと「私も出産の時は悲しくて、辛かった」と呟いた。詳細は秘密と言っていたけれど、どうしてもとせがむと話してくれて、思い出したらしく、涙ぐんで声を震わせた。

母が辛かった理由は、私のとは違っていたけれど、私と同じように「命が無事に生まれてきてくれたのだからいいじゃない」と周りに切り捨てられてしまいそうなことだった。祝福しか許されない日の、闇。思えばあの日が私が母の前で泣けた最後の日だった。一番近くに感じた瞬間だったとも思う。

ケーキがきた。本人のいない誕生日にしかできないこと。3年前の私に、私たちに。ラズベリーチョコのムーズは甘くて少し乾いていた。

7月18日

「いよいよ帰ってきますねー。我が家の怪獣であり、アイドルであり…」とりっぴ。「かすがい…かも」と私が続けると、「ほんとうに」と肯ていくれる。あの小さな人が、泣いたり、にこにこしたりしながら、暮らしをまんなかで束ねていたことが、つくづく身に染みてわかったこの2週間。

原稿はだいぶ前に進んだとは思う。終わらなかったけれど進んだ。もう1ヶ月くらいひとりでいさせて、という気持ちと、一刻も早く会いたいという気持ち。のびのび楽しかった、と、やっぱり寂しかった。どちらもリアル。

7月19日
本人が帰ってきて、遅ればせながらの誕生会。昨日はりっぴにベリータルトを焼いてもらい、今日は私の弟とおじいちゃんと、近所のデパートでランチをした。果物屋さんがやっているカフェに連れて行き、ケーキ食べる?とメニューの写真を見せると、しおは果物の盛り合わせを指差した。クリームが苦手な彼女らしいチョイスだ。ふと、昔チリに留学していた時に、2日だけホームステイさせてもらった村の子どもが「誕生日にはみんなで果物を食べるんだ!」と嬉しそうに話していたことを思い出す。一緒に泊まったアメリカ人の大学生が、「私はおもちゃの冠を被って、みんなをクラブに呼び出して、プレゼントとか受け取っているのに、この子は果物だけでこんなに嬉しそうにしているなんて」と、貧富の差の話にしてショックを受けていたっけ。お洋服買ってあげるよ、おもちゃ買ってあげるよ、と売り場に連れて行って、すこし戸惑った様子のしおも、「果物いっぱい」に、心がはずんだのだと思う。経験をプレゼントしてあげたいとここにメモしておこう。来年は、旅ができるとよいのだけれど。

7月23日

17時。ふっと湧いたアイディアをそのまま口にしてみる。「夕飯も外食しない?」 昼ごはんも公園のパン屋で済ませたというのに贅沢め。でも今日はなんというか、家事よりも話がしたい。

休日のこの時間の吉祥寺はなんだかキラキラしている。雑貨屋さんやレストランの照明が、マジックブルーの空の下に灯る。夕暮れ時にこうして3人で楽しいことに向かって歩くのはひさしぶりだ。思い立ってすぐ、友達のお店に予約を入れて、外に出て来れるのも。

はしゃいでいたしおは、食事が3品くらい出てきたところで、急にガソリンが切れたように寝てしまった。順とふたり、つらつらと始まった会話は、ひとつのガラスの器に代わる代わる思いつきの水を注ぐような時間になった。やがて溢れて、ふたりで始められそうな、ひそやかな企みがぷっくりと芽を出した。
「しおが3歳になったってことなのかな」と順が言った。だからまたこういう気持ちになれるのかも、今までは、どうしたってお互い、この子ばかりを見ていたから……と。本当に久しぶりにふたりの話をできた気がする。企みの相棒、と認め合った人とのパートナーシップが再開できるような、小さな兆しが見えた気がする。


7月25日

夜な夜な、久しぶりの人たちへメールを打っている。

「24時間の同窓会をしませんか?」
卒業した高校からそんなメールが来た時、心臓がドキンとなった。

卒業後、10年に1度、集まる場を設けます。90人のクラスメイトのうち、10年前のその呼びかけに応えたのはたったの9人だった。そのひとりだった私は、同じ年に、ひとりひとりに会いに行く旅をしていて、多くの人がその場に姿を現さなかった理由もなんとなくわかっていた。10年後、20代の終わりなんて、みんな自分のことで精一杯だよ。20年後は、また違っている、話せることも増えるさ、と、10年先を生きる先輩に慰められたけれど、20年後になってみたら、コロナの夏。

集まる場があるのは嬉しい。一方で、オンラインでも集まることができなかったら、わたしたちはこの先もう集まることなく終わるんだろうなと、どこかで思っている。何もせずに後悔するのは嫌だから、今日もぽちぽちとメールを打つ。

ちょっと顔出すようにがんばる!
オンラインは苦手で…。
外出自粛の中で買い物しないといけないから…。
ごめん、バケーション中なんだ。

いろんな声が返ってくる。幹事って大変だ。いじけず、ワクワクしてるんだ!って顔を、し続けていないといけない。

7月25−26日

この2日間で起きたことは、まだうまく言葉にならない。

体は日曜日を生きていた。起きてきたしおに朝ご飯を食べさせ、雨の止んだ1時間の間に公園に行く。その間も、私は片耳にイヤホンを突っ込んだままだった。誰かが常に夜更けに、誰かが昼の暮らしの真っ只中にいる。私たちは誰かがお酒を飲み過ぎて呂律が回らなかったり、いきなり打ち明け話を始めて泣き出したり、誰かが布団の中でいつの間にか寝落ちたり、朝のコーヒーを入れたり、子供を散歩に連れて行くから出るね、というのを「ばいばい」と見守ったりした。

そんなふうに1日を過ごしながら、それぞれのこれまでといまの話を聴いていた。途中なんども離脱して、眠ろうとするのに、その度に画面に新しい誰かが入ってくる。また1から近況報告を。。。その度に1人1人今までとは違ったバージョンを始めたするからまた耳を傾ける。相槌が飛び交い、画面の右上と左下のふたりが、会話を深めたりする。そこに飛び込んだ中央左の子が、話を別の方向にもっていく。あの話、もっと聴きたかった、と思っても、そこには戻らない。再会の興奮、近況への寄り添い、ジョークのかけあい、自虐、それぞれのコロナ、誰かへの質問。15人とか20人が、出たり入ったりしながら、どこかだけ分厚かったり、糸がほつれたり、切れたりの凸凹な会話のタペストリーが織り上げられていく。いくつかの音がまだ脳裏に響いているけれど、大半は、音楽みたいに消えてしまった。

素直になったなと思う。私も、あの子も。弱さをシェアすることに、躊躇がなくなった。その感じがとてもよかった。思うに、自分の理想と現実のギャップにもがいていたときは、お互いの顔を見れなかった。そこに私たちの中の2人が亡くなってしまった。わたしたちが話を始められるまでの時間が、たぶん、20年だった。

オンライン同窓会が終わった朝、私は、しおの朝ごはんに起きなかった。彼女がいつ保育園に行ったかも知らない。起きたらすぎに昼過ぎで、体の感覚はめちゃくちゃで、頭だけが熱っている。

7月28日

Sが心配になって、また個人的にも電話しようよとメッセージを打つと、すぐに電話がかかってきた。
「すごくいい時間だったね。ありがとう」
「あの後、大丈夫だった?」
彼は24時間の最後に入ってきた。施設にいるから時間が限られる、といいながらも現れた時にはギター抱えていて、歌ってくれた。その歌を、自分が心の支えにしてきたことを、私の体は改めて認識した。
「正直に白状すると、刺激がとても強かったよ。看護婦さん、お医者さん。みんな起きてきて、僕は水を何倍も飲んで、薬も飲んで、ようやく寝たんだ」
「色んな感情がブルーライトの中で渦巻いていて、声にならないものもたくさん聞こえてきた。私もボディーブローみたいにやられている」
嬉しかったけれど、疲れている。
「君はがんばったよ。僕は思った。こんな小さな人がどうやってそんなに沢山のエネルギーを受け止めるんだって。one particle can make a universe 」 
「それをいうなら、one song can change a life」
「あの場にいれてよかった。みんなの記憶にいる自分が、今の自分を奮い立たせるってことがあるんだね」と彼は言った。そして、いま本当に生きようとしているんだ、と言った。

ずっと言えなかったことがあった。
「生きて欲しい」
たぶん、はじめて伝えた。

どこかでずっと、誰かに生を押し付けるのはわがままだと思ってきた。
願っていても、それは胸にしまっておくべき感情なのだと思ってきた。
はじめて、伝えられた。

電話を切ると今度は別の同級生からメッセージが入っていた。
「Sに連絡とりたいんだけど、返事がこないんだ。どうするのがいいかな?」

数件のメッセージのやりとりのあと、思わず電話をかけてしまう。何年も話していないのに、なんだこれは。途切れていた糸を手繰り寄せようと、一斉に動き出す。こんな電話のやりとりが、いまあっちこちで起きているのかもしれない。

「なにも言わなくていいんだよ」と、私の顔を見るなり、彼は言った。
「言いたくないなら言わなくていい。口止めされているならその約束を守って。ただちょっと気になったんだよ。画面上で彼が言っていたことがね、心配になった。それだけ」

ぐるりとスマホを回転させて、彼は今自分の見ている景色を見せてくれた。ニューヨークの摩天楼、水平線のあたりがオレンジの夕日に染まっていた。どうして、この人は、いつも、いまだって……。その先に何の言葉を飲み込んだのか、自分でもわからない。この人と屋根に登って、山に落ちる稲妻を見た夜は、別の人生と思えるくらい昔のこと。なのに、どうしてこうも変わらないんだろう。

「20年だね」と呟くと、「そうだね」と返ってきた。
「そろそろ行くわ」こちらから言おうと思ったのに、一足先に言われてしまった。それもあの頃と同じだった。

7月29日

この間にあったことを順に話す。20年後、ともに会いにができたじゃん、と彼がいう。まだ1割くらい向こうの世界に行ってしまっている、と伝えると、「そもそもの予定では、アメリカに行っているはずだったんだからいいんじゃない?」と返ってくる。もしかするとだ。ずっと1割くらいは、ここにいなくたっていいのかもしれない。家族の知らない私の世界に。

そんなことを考えていたら、しおが起きてきて「保育園に行きたくない」と言い始めた。 水遊びできるかもよ、と言っても、濡れるのが嫌だ。 お友達も先生たちも嫌い。おかあさんといたい、と言い張る。

「畳の部屋にはお父さんがお仕事だからいられないし。 寝るお部屋ではお母さんがひとりで考えないとできないお仕事しているから、 しおちゃん、保育園いった方がきっと楽しいよー!」と本音を説明すると、
「しお、キッチンの隅にいるもん!」 と斜め上からの答えが帰ってきて、本当にキッチンのドアを閉めて籠もってしまった。
そっと覗きにいくと、独り言を呟きながら楽しそうだ。 トイレに行きたい時だけ、出てくる。
「しお、キッチン好き。またキッチンにいるから、ちゃんと扉しめてよね!」

氷を取る音がする。いえい!と楽しそうな独り言が聞こえる。きっと麦茶にいつもはちょっとしか入れてもらえない氷を入れているんだろう。 そのうち棚の中から好きなお菓子を食べ始めるかもしれない。 あ、なんかこぼして、タオルを出してきて、拭いているらしい。 曇りガラスの向こうの小さな影は、ちょこちょこ動き回っている。急に自分の城ができて、ドキドキしながらも楽しくてしょうがない、というように。

“この世界で一番好きなのはキッチンだと思う”
おぬしは吉本ばななさんかい……。

私の何割かがどこかに行ってしまっている間に、この人も「自分だけの世界」を築こうとしはじめているらしい。

寺井 暁子

寺井 暁子

作家。出会った人たちの物語を文章にしています

Reviewed by
中田 幸乃

「素直になったなと思う。私も、あの子も。弱さをシェアすることに、躊躇がなくなった。その感じがとてもよかった。思うに、自分の理想と現実のギャップにもがいていたときは、お互いの顔を見れなかった」

寺井さんの書くものを読むと、なんていうか、生きることを取り戻せるなぁ…と、思う。
優しくて、冷たい水のように気持ちがよくって、見守られているようにも感じるし、この柔らかな心を守りたい、という風にも思う(守りたいなんて偉そうだけど…)

深い呼吸を思い出すことができる。毎月、読むたびに。

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