豆の匂いは雨の匂い

長期滞在者

自分だけが感じている感覚なのか、ほかの人も一般的に感じるものなのか、いまだによくわからないことが、いくつかある。そのときを過ぎるとすぐに忘れてしまうし、ささいなことだから、あらためてほかの人と話したりする機会がない。

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たとえば、コーヒーの効力が切れた匂い。ドリップコーヒーに入れるお湯の量をちょうどよく調整するのは難しい。多すぎると水っぽくなって台無しになってしまうし、少なすぎるとなんだか悔しい。あらかじめ量を計ってお湯を沸かしたりすれば良いのかもしれないけれど、そこまでするのも面倒だし、コーヒーの個性を無視して画一的な決まりごとを押しつけているようで、気分がよろしくない。

いつからか、匂いをもとに、ちょうどよいお湯の量を調整できるようになっていた。コーヒーの粉にお湯を注ぎ入れると、乾いた豆に水分が吸い込まれていく心地よい感覚と、香ばしくてとろりとするような匂いがたちのぼる。それが、何度かに分けてお湯を入れていくと、途中で、匂いががらっと変化する段階がある。これを過ぎた後には、川の水で錆を洗うような匂い (わたしはこれを「コーヒーの効力が切れた匂い」と勝手に呼んでいる) が混ざる。この匂いがたちのぼってくる直前でお湯を注ぐのをやめておけば、ちょうどよい濃さのおいしいコーヒーが得られる。

Rによると、わたしの淹れたコーヒーは特においしいそうな。以前、どうすればおいしいコーヒーを淹れられるのか尋ねられたときに、カップを温めるとか、お湯は均等に細く注ぐとか、そういうことを説明したのだけれど、今になって、「コーヒーの効力が切れた匂い」を嗅ぎ分けることが重要なのかもしれない、という気もしてくるのだった。ただ、はたしてこの感覚が共有できるのか……。今度、話してみよう。

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風邪をひくと決まって見る悪夢があって、その気持ち悪さをここで説明してみようかと思う。言葉にしてしまうと、それはとても簡単で、重さの感覚がおかしくなるという夢。

たとえば、上空を飛んでいる飛行機からたくさんのダンボール箱が落とされている。ダンボール箱はさまざまな重さで、綿毛のように軽いものから、山でも詰まっているかのように重いものまで。しかし見た目はみんな一緒。そうしたさまざまな重さのダンボール箱が、スローモーション再生のように、ゆっくりと空中を落ちてくる。

説明していて、どうしてこんな夢が怖いのか、わたし自身もよくわからなくなってきた。でもとにかく、風邪をひいて寝込んでいるときには、この重さのおかしくなった感覚がたまらなく怖く、気持ち悪い。ほかの人はどんな悪夢を見るのだろう。なにかの折に聞いてみたいと思いつつ、風邪が治って元気に外を歩けるようになると、そんなことはすっかり忘れているのだった。

carbboard

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頭の血管が切れる感覚というのもある。もちろん実際に血管が切れているわけではないと思う。(そうなったら大変)。けれど、そう例えるのが最適なような頭痛をたまに経験する。

たとえば冬の、暖房のきいた室内で、ぽかぽかした陽の光にあたっているようなとき、ふと予感がして、その数秒後に、脳の組織が頭蓋骨の裏側にくっついているあたりで、ピシッとした痛みが生じる。痛みが生じるのは頭の横か後ろのほう。「くぅー」と思わず唸るような、ずきずきした痛みが数分つづいて、だんだん薄れていく。

わりと幼少の頃から、たまにこんな頭痛がしていて、ほかの人にもこういう頭痛があるのだろうかと疑問に思うのだけれど、通常の頭痛とはまったく違う「頭の血管が切れる」感覚をうまく伝えられる気がしなくて、これまで人に話したことはない。

headache

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「豆の匂い」と呼んでいる匂いがある。ちょうど5月から6月頃、春先から梅雨にかけて、天気が良くて暑くなりそうな午前中の早い時間帯に、高い木が何本か生えて日陰ができて、ちょっと湿っているようなところを通りすぎるとき、または、夕方の涼しい木立なんかで、たまに、この匂いを感じる。

生き物が、特に植物がそこに生きていることを強く感じさせる匂いで、2割のさわやかさと8割の生臭さでできている。ソラマメだかエンドウマメだか、同じような匂いのする豆があったような気がして、そう呼んでいるのだけれど、果たして本当に豆の匂いと似ているのかどうかは、よくわからない。ただ、緑色の若い豆が大きな木から活き活きと実っていて (わたしのイメージのなかでは平たい豆である)、まだ湿度の高い時間帯に日光をたっぷり浴びながら、酸素や二酸化炭素を吐きだしているイメージが、わたしの頭にはしっかり染みついてしまって、この匂いをかぐと真っ先に「豆の匂いだ…!」と思うようになってしまった。

記憶に残っているいちばん最初の「豆の匂い」は、小学校の校庭でかいだ。校庭の端には雑木林が残されている区画があって、休み時間には、たまに、サッカーやドッジボールに興じている同級生たちから離れて、この区画にやってきて、ジャングルジムにのぼったりしていた。豆の匂いは、そのときからたしかに「豆の匂い」だった。

ところで、このあいだの5月のある日には、昨日までの冷たい雨もどこかに消え去り、みごとな晴天が広がった。この日、Rとふたり、トンネルの近くの道を散歩しているときに、豆の匂いをかいだ。匂いと一緒に生暖かい空気のブロックが道のうえに浮かんでいて、そのなかに飛び込んだような感覚。

今なら、自分以外の人がこの匂いを認識しているのか、しているとしたら、その正体をどう認識しているのかがわかるだろうと思って、隣を歩いているRに尋ねてみる。

「この匂い、なんて呼んでる?」
「この匂い、だよね? 雨の匂い、かな」

答えを聞いて、わたしはこの人と一緒になって良かったと、なんだかそう思ったのだった。

soramame