お題目はなんだっぺ。

第1期(2012年2月-3月)

大気の匂いが変わってきた。
まだ寒い日もあるけれど、からだで感じる春のおとずれ。

お隣の杉山さんが云う通り、春は気持ちが不安定。
山の木々たちの緑が淡い色になりわくわくドキドキだったり、いたずらに雪が積もってみたり吹き飛ばされそうなほどの風が吹いたり。
からだはこころ次第だと考えているのだけど、この季節はときに逆転してしまう。こころがからだに転がされている。

そうそう、鼻のはなし。
ニオイフェチ。なんでもくんくんする習性。
わんにゃんの足の裏から耳のなか。お尻のにおいも嗅いでしまう。
じぶんの脱ぎ捨てた服や靴下のニオイもね。
こうして書き出すと、明らかに変だね。

五感は嗅覚は記憶とシンクロしている。
送迎バスの窓に顔を挟まれた季節、お泊まり会のカレーと花火の香り、ストーブの上で焼いてくれる食券ピーナッツパン。
大きなランドセルの重たい革の匂い、初めての筆箱の中の消しゴム。
上京し親友と公園で眺めた桜、しみったれていた頃に喫んだ煙草のけむり。
はじめての酒、ズブロッカ。
酒とかは、もうすでに嗅覚の話からは脱線してるね。そしてなぜにvodkaチョイス。

辿ってみると、抜けている。
中学、高校、そして店を始める前の思い出が少ない。
その場所はどこにしまってあるのだろう。
本当は何枚もの原稿にびっしり書き込んであるのかもしれない。
それをなんだもなんども折り畳んで、ちいさくちいさくして、宝探しのように隠してしまったのかしら。
隠されていてもいいこともそうではないことも繋がっている。糧として。

母に厳しすぎたと謝罪されたことがあった。
笑い話だけれど、あのとき本人は本気だったね。
そこはあまり重要ではなくて、愛を持って育ててくれた感謝の方が大きい。
家族なんだから、叱られたとか叱られないことで切れてしまうほどか細いものではない。
過去を悔やむことは、簡単なこと。
ただ、美しい思い出に変換はできないかもしれないけれど、そのときの思い出した時の歳の経験値で肯定できれば佳しと思う。
こころやわらかく思い出を見守る。

どうも今日はおなかがいたいし、雨降りで言葉がでてこない。
月のバイオリズムであれがあれだし。
言い訳だ、雨のせいにしてなんとも情けないわ。
アンニュイな気分の時もあるよね。
まいにち、笑顔いっぱいで過ごすことはむつかしい。
むつかしいし、感情に苛まれることになるのだから、むしろ認めてあげよう。
そういう日もあるさ。

そんなきょうはアズーロ記念日。
三月の十八日。十年目始動の次第でございます。

       ☆

嬉しいご報告がありましたので、ここで失礼します。
仁木さん、おめでとうございます。
末永くお幸せに。
春の息吹のように、たおやかでありますように。