たべること。

第1期(2012年2月-3月)

下弦の日に…月に書きはじめます。

入居者の方々はとてもすてき。
週を重ねるごとに、思いを馳せる。

いつか、アパートメントで集いたい。

余談だけど、いま夫にアパートメントの方たちはみな伝えるのが上手なんだよと話すと、
何を伝えたいかでうまく書かなくたっていいじゃないかと、直木賞をとるわけじゃなしと
どや顔で云いはなった。ほくそ笑んでいやがる。

大事なことなのは、頭ではわかっていた。
生きるために必要なこと。
でも、時間に追われないがしろにしていた過去も否めない。
飲食業は拘束時間がながーいのだ。いまはずいぶんゆっくり。
朝の八時頃に出勤して帰宅は午前の一時を軽く過ぎることも。
試しに万歩計をつけたときは、三万歩以上だった。ちょっとしたスポーツ。
そんな中で、食事をきちんとバランスよく摂ることは放っておいていた。
いまより若い、水分補給はビールかワイン。
アルコールで血圧と共にテンションもあがっているものだから、遅い時間に焼き肉三昧。
過去を生きる質ではないから、気がついたときから大事にしています。
たべること。いただきますのこと。

欲望の対象上位でもある。

何故、愉しくも満たされるのかを考えたことがある。
粘膜なのだ。
セックスも排便も食べることも。
それだけじゃないのだけど、共通項はそれ。

たべること。殺生。
ベジタリアンの方には失礼な言いようになってしまうけれど、野菜も生きている。
いただきますの、気持ちの方がだいじ。

繋がっていることを認識すると、重きを置くようになった。

ぴかぴかの果物や野菜はおいでおいでをして見える。
おじいさんが市場で働いていたからかな。
食べることがすきなのだ。五感で愉しむ。
そういえば、わんにゃんは味蕾が少ないから人よりも味が解らないというのは間違いだと思う。
嗅覚は人間を凌駕する。
味を確認するのに嗅覚は大事だ。
だって鼻が利かないときほど味覚はあてにならない。
鼻をギュッとつまんで、試してみて。質感しかわからないから。

最後の晩餐は決めている。
炊きたてのごはんときちんと出汁をひいたお味噌汁、に梅干と納豆。

さて、きょうのまかないはチキンマカロニグラタン。