故郷での一年

第25期(2016年2月-3月)

三重から離れ故郷静岡へ戻り1年あまり。その間ずっと中部地区にある藤枝周辺の瀬戸川流域を軸に撮影をしてきた。高根山の源流から志太平野、駿河湾にそそぐ川は全長約30キロに対して標高差が900メートル近くあるので表情豊かだ。上流には古くて硬い地層があり、むき出しになった岩肌が目立つ。中流域からは堆積した砂岩が多く角がとれ玉砂利状になっていく。石の質がよく水石雑誌で瀬戸川が紹介されるほど。川沿いの集落に1,2人くらいの割合で石を庭先や専用の台に置き愛でる人がいると撮影を通して感じた。縄文から弥生、古墳と時代によって水位の差があり居住区の変動が大きく、万葉集では「志太の浦」として詠われていて当時の志太平野は遠浅の海であったことがうかがえる。実家のある場所も昔は海、あるいは河口付近だと資料館の古地図をみてわかった。すると家の周りが水中に思えてきて庭の木々が海底の海藻に、雲に透け淡い光が注ぐ空は水面のように揺らいでみえる。土地の潜在的な記憶がよみがえってきたのだ。温暖で日照時間が長く、扇状地の恩恵を受けにょきにょき伸びる植物で溢れる志太平野。その記憶の一部が勢いとして表層化されているのではないか。勢いを汲んでか獣の行動も活発で山手の集落では畑という畑に獣害の柵が築かれている。この手作り柵がなかなか個性的でトタンの切れっ端を無理やりつなげたもの、発泡スチーロールや志太泉という地酒の一升瓶を地面に突き刺したもの。住民それぞれが築いたMyルールと作物をどうにかして守ろうという意思が視覚的にわかり、暮らしていた伊勢の河口付近ではなかった光景で新鮮に感じた。神宮が地域の軸として成り立っている伊勢は市民と神域の境があったのに対して、藤枝は地域を流れる瀬戸川が人々の習俗や様式、植物や獣までに反映されているせいか密に絡んでいる。中流域にあたる扇状地は、梅雨前や雨の少ない冬には干上がってしまう「水なし川」だ。それを利用し河原で小規模な畑が点在している。水はけのよい土のためじゃがいもや大根がよく育つらしい。数年に一度の大水の時に流さたり被害もあるが、気にする事もなくむしろ土が肥えてよかったという声もある。小規模の災害も恵として生活の一部になっている住人のゆるい接し方が実に面白い。川から少し離れた我が家にもポリポリと息づいていた。「うちっちの大根の漬け物石と庭先の大きい石は瀬戸川で転がっていたのを庭屋さんに拾ってきてもらってきたんだよ。もう40年くらい経つかしん」
おばあちゃんが夕食の支度をしながら思い出したように庭師のおじさんが河原で石拾いをしてくれた出来事を話はじめた。幼い頃から毎食のようにポリポリしていたお漬物が、川の産物で歯ごたえを引き出していたと思うと驚きだ。こんな感じで藤枝では、集落の人や家族との会話からも土地に触れてきた。そのシリーズをグループ展で昨年末に東京の表参道画廊で発表した。(参照、リフレクション写真展 http://reflection.mmproj.com

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2015年「水くぐり」より

と、土地を語る上でエピソードは色々あるがアップされた作品にはそれがダイレクトに入らないものだと思う。三重や藤枝、暮らしが変われど私の視点はあまり変化がない。じゃあ何を見て掴もうとしているのか。幼児期の自分と外界が曖昧な頃に見たであろう風景に近しいものをカメラという冷静な目が再構築させている。肉体を通して循環の一部であるという実感を伴いながら、意識は浮かんでいて俯瞰視しているのではないかなと思う。だから人間ではどうしようもない大きな力に対してなびき、反応しシャッターを切っている。
三重や静岡この4月より東京へとエリアが変わっていくが、写真をとおして場所固有の小さな事柄を縒りあげていき普遍を帯びた糸を紡いでいきたい。新しい風を受け今日も私はなびいて進む。