けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう

第26期(2016年4月-5月)

「幸福だ」と思ったことが一度もなくて でも「不幸だ」と思ったこともない
それがなんなのかずっとよくわからないでいる

誰かが「幸福」について話したり「幸せだ」と言う時
その人が満たされている状態だということを感じることができる
でも私は「満たされる」ということがよくわからない

心が乱れておらず落ち着いた状態のことを心地よいと私は感じるけれど
私にはそれが一番「幸福」に近いように思う
揺れる草や葉の音を聴いたり あたたかかったりつめたかったりする風や
落ちてくる雨粒のリズムを感じたり 湿度を纏ったりするとき
鳥の声や動物の気配を見つけたり 青いにおいを嗅いだり
土のやわらかさや 光の眩しさ感じるとき
私の心はまっすぐに 平和だといえる しっかりと呼吸ができる
だけどもやっぱりそれは「幸福」とはたぶんすこし違うんだろう

『「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」』(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』)

ジョバンニのほんとうのさいわいはきっとカムパネルラと一緒に居ることだったね
だけどみんなの幸いのためにからだを百ぺん灼く必要はないよ そうあってほしい
でもほんとうのさいわいを失ったあとは どうするの、ジョバンニ
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