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2F/当番ノート

ことばの距離

当番ノート 第26期

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ときどき ことばの贈り物をいただくことがある

素朴なやさしいことばの花束にうれしくなって
私も同じように花束を拵えようとするけれど
数本の萎れかけた花のようなものになってしまってり
くしゃくしゃのティッシュのようなものになってしまったりする

状況や関係性や性格などによって 意味が変わってしまうことが怖くて
適切な言葉というものに自信がなくて どう伝えればいいかと考えてるうちに
自分の言葉からどんどん変化してしまい なんだかくしゃくしゃになってしまう

とても立派な美しい花束をいただいても 
不相応な気がして うまく受け取れないこともあるし
何気ない言葉を トゲのように受取ってしまったり
綺麗な花束だと思ったら 造花だったり
投げられた小さな石ころが 刃物になってしまうこともある

自分が受取ることにも臆病なので 伝えることにも臆病になってしまう
誰へ向けたものでもない言葉をインターネットに放つと
好意的に受取る人もいれば 私が放ったままの形を変えずに受取る人もいるし
全く違う形に変化したり 誰かの言葉にすり替わってしまうこともある

私の言葉は放たれた時に もう私のものではなくなって
そのときの相手の中に入り込んだり 仕舞われたり
あるいは受取られずになくなったり 誰かを傷つけたり 貫いたりする

同じ言葉を並べても それが花束になることもあれば刃物になることもある
意識的にそうすることもあれば 無意識のうちにそうなることもある

ことばと心にはすこし距離があって 不確かで
私はときどき ことばを信じない
そういうときに写真は もう少し私の心に近いように思う

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mito

mito

写真を撮るおばけ
from France

Reviewed by
ふき

そう、そうだった。写真を撮ろうとカメラを持ち歩いていた時期があったのだった。おもしろくてシャッターを次々ときった。でも、現像から戻ってきたその景色は私の思っていたものとは違った。残しておきたい時があった。でも、構図を考えているうちにその時は消えてしまった。決定的だったのは、現像に出したフィルムが現像所のミスでダメになったことだった。それはポジフィルムだったのだけど、ネガフィルムと間違えて現像されてしまったため、焼いた写真はおかしな色になってしまった。そこには亡くなった父親の最後の元気な姿があるはずだった。私はそれ以来、写真をどこかで信じていない。とはいえ、日々、記憶からこぼれ落ちていき、失われてしまういとおしいかけらたちがある。私は「書く」ことでそれを残すことにした。私の身体に閉じ込められた時間。頭の中のひきだしを開けて、書いていく。いったんしまい込まれてしわくちゃになっている紙をそっと開いていくような作業。深呼吸をしてゆっくりと。出てくる言葉はなるべく平らかになるように。
mitoさんの「写真」と私の「言葉」は、形は違うものだけど、きっと近いところにいるのだと、思った。

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